三好達治
〈写真はウィキぺデイア〉より
<太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。>
三好達治の「雪」という題名の作品から取り上げた。
教科書にも載っていたから思い出していただけたと思う。
この詩を読むと、雪がしんしんと降り積もっている光景が目に浮かぶ。
作者は二階の窓からでも見ているのだろうか。
家々の三角形の屋根がいくつも並んで音もなく雪を受け止めている。
いきなり<太郎を眠らせ・・>と入るところが作者の意表である。
屋根の情景は後まわしにして、屋根の下ですやすやと眠る子供の様子を想像させる。
太郎の屋根と次郎の屋根は、それぞれの家の子供の象徴ではないだろうか。
詩が書かれた時代背景から、家督制度が存在し、長男は特に大事にされていたと思われる。
しかし三好達治は子供のころから病弱だった。
そのため、親が望む陸軍士官学校を途中でやめざるを得なかった。
なにがしかの負い目が、この詩の制作過程に影響しているのではないか。
雪までが太郎や次郎を大切に見守っている。
雪が降り積む屋根の頑丈さと親の愛情や期待まで連想してしまう。
詩の陰に達治の負い目が感じられると見るのは深読みに過ぎるだろうか。
参考=大阪市西区で印刷業を営む家に、10人兄弟の長男として生まれた。幼少期より病弱で、読書に没頭。中学時代、句誌「ホトトギス」を愛読し、句作に没頭した。父の意向で陸軍士官学校に進んだが、軍人には不向きと悟って中退。旧制三高から東大仏文科へ進んだ。三高時代から詩作を始め、梶井基次郎らと知己を得、のちに同人誌「青空」にも参加した。
詩誌「詩と詩論」「詩・現実」創刊を経て、第1詩集『測量船』(1930年)を刊行。1934年、詩誌「四季」を堀辰雄らと創刊、四季派と呼ばれる新詩人のグループを形成した。『南窗集』(1932年)、『閒花集』(1934年)などでは、自然な感情を4行の平易なことばでうたった。
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