二十歳といえば、実りはじめた玉蜀黍のようなもの。
生のまま歯を立てればプチっと汁が飛び、口の中にも甘い汁と青っぽい匂いが充満する年頃だ。
「玉木さん、ぼく今度個展をやりますので見に来てください」
テレピン油の臭いが充満するアトリエで、二十歳の誕生日を祝ったばかりの日下五郎は顔を輝かせた。
アトリエといってもアパートの四畳半で、寝室にもなれば客間にもなる。
ビニールシートを敷いた畳の真ん中にはイーゼルと四本足の丸椅子が置いてあるから、生活空間にするには工夫が要るのだが・・・・。
日下五郎は、押し入れに寝袋と枕を放り込んでおき、制作に疲れるとそこで眠る。
貧乏生活には違いないが、働きもせずに美術学校に通い個展まで開くというのだから、玉木にとっては羨むような身分だった。
「へえ、個展やるのって、お金がかかるんだろう?」
本の取次店で働く玉木は、自分の給料との比較で五郎の生活基盤がどうなっているのか、なかなか理解できなかった。
親が授業料や生活費を全額仕送りしてくれるのだろうか。
それとも秘密のスポンサーが、日下五郎の将来性に惚れ込んで先行投資をしているのだろうか。
玉木の見るところ五郎の絵はルオーにそっくりで、暗い色調のキリスト像を中心にした宗教画ばかりである。
せめて風景とか裸婦がテーマなら注目する者がいるかもしれないが、信仰もしていない画学生の聖人像に価値があるのか疑問に思っていた。
「誰かが資金を出してくれるのかい」
玉木が再度問いかけた。
「銀座の外れですけど、三日間だけ展示してもいいという画廊がありまして・・・・」
はにかんだ喋り方をするので、知り合った者はいつの間にか五郎という人間に親近感を持つようだ。
よく母性本能をくすぐられるというが、この男には何かしら庇ってやらないといけないような気持ちにさせられる。
美術学校の女生徒などにはファンも多く、同級生に誘われて相手の家にお呼ばれしたという話を玉木は五郎から何度も聞かされた。
日下五郎はその辺を承知の上で、貧乏画学生という立場を演出している形跡もある。
夏ならば破れたジーパンに絵の具のついたТシャツ、冬ならフード付きのアノラックを着っぱなしにして相手が構いたくなるような気分にさせるのだ。
玉木はそうした五郎に対して、無頓着を装いながら案外計算づくの甘え上手なのかと疑念を抱くこともあった。
玉木が初めて日下五郎と知り合ったのは、一年前の三月中頃のことだった。
場所は、銀座三原橋の映画館シネ・パトスの出口のあたり、夕闇迫る寒い時刻である。
映画のタイトルは忘れたが、老いぼれたボクサーが八百長のかませ犬として雇われたにもかかわらず、何かのきっかけで相手に本気で立ち向かう話だった。
(土壇場で、ボクサーの本能に火がついたんだ・・・・)
仕事帰りに立寄った外国映画に興奮した玉木は、そのままの勢いで薄暗い地下通路に出ると、歌舞伎座側へ向かって急に方向転換した。
「おっと、危ない。ぶつかりそうになりましたよ」
玉木は、後ろからついて来た男にいきなり文句を言われた。
「ええっ、でも、そっちが避けるべきだろう」
ムッとした玉木は、前屈みの姿勢で目線をあげようとしない男に強い口調で言い返した。
よく見ると、相手は丸顔で眉が濃く男っぽい風貌をしている。
しかし、最初に見せた遠慮がちな言い回しに、弱気な性格が現れている。
汚れたアノラックの上から斜めに掛けた布製カバンを見て、玉木は「こいつ学生だな・・・・」と、瞬時に判断した。
「ぼく、青木勝利の知り合いなんですよ。東洋チャンピオンになった青木のこと知っているでしょう?」
(だから、どうした!)
相手の男は何を言おうとしているのか、確かめる前に怒鳴りつけてやりたいほど苛立っていた。
「お兄さん、ぼく青木さんにボクシング教えてもらってたんですよ。だから、喧嘩したくないんです」
学生風の男が、玉木の位置から離れた場所でシャドーボクシングの真似をしてみせた。
確かに動きは素早いが、こんなところで強さを見せつけようとする男に子供じみた性格を見た。
「へえ、やるじゃないか」
玉木は笑いをかみ殺していた。
二人とも老いぼれボクサーの映画を見て、何がなし興奮していたことに思い当たり、いっぺんに親近感を覚えたのだった。
「おお、君もこっちから帰るのかい」
玉木は目を逸らさずに近づき、布製バッグの男と並んで歩道への階段を上がった。
「東銀座からだよね?」
「ええーっと、茅場町でしたが・・・・」
学生風の男は、この辺りに慣れていないらしく、周りをキョロキョロと見回している。
「そうだ、もし時間があるんだったら、コーヒーでも飲んでいかないか」
玉木は、ちょうど通りかかった歌舞伎座正面入口横の軽食喫茶『暫』に男を誘った。
店内に入ると、手前側の席が空いていた。
丸いテーブルに腰高の椅子が複数配置されていて、多ければ他へ押しやり、少なければ一つ引っ張ってくるといった融通が利くようになっていた。
二人はコーヒーとカレーライスを注文し、やおら向かい合わせの位置に腰を下ろした。
「ぼくは玉木です。新橋の方の会社で働いていますが、今日はたまたまこっちまで遠征してきたんですよ」
「あ、どうも。ぼくも銀座の画廊を巡った帰りでした。・・・・日下五郎といいます」
自己紹介が済むと、ひとしきり映画の話をして、遠まわしに趣味や現在の境遇を探り合った。
「日下君は武蔵美の学生さんでしたか。とすると、ボクシングは趣味ですか」
「ええ、たまたま青木さんと同じアパートに入ってたもんで、三鷹ジムにも遊びに行っていたんです」
「なるほど、道理で構えがプロっぽかったものね」
「すみません・・・・」
「いやあ、ぼくの方は頼もしい人と知り合いになれてよかったですよ」
半分はおちょくったつもりだったが、日下五郎は一向に気づいていない。
「青木さんがいなくなって中断しちゃいましたが、よかったら、いつでも教えますよ」
自分に対しては、誰もが好意を寄せてくれると信じ込んでいるようだ。
こういう学生には、こちらが全面的に奢ることになるのだろうなと考えていたが、やはり玉木の予想したとおりとなった。
玉木のもとに個展の案内ハガキが届いたのは、五月も終わりの頃だった。
日下五郎のアトリエを訪れてから、二か月も経っていなかった。
(へえ、本気かよ)
展示できるほどの枚数をどこに置いていたのか。
押し入れの下段に布で覆った荷物のようなものがあったが、あれがそうだったのだろうか。
もしそうだとしても、画廊の壁を埋めるほどの数があるのだろうか。
五郎に関しては、いろいろとわからないことが多かった。
ハガキの裏面を見ると、画廊の場所を示す略図と日下辰吉・五郎父子展の活字が踊っていた。
「えっ」
思わず声が出た。「・・・・どういうこと?」
玉木は目まぐるしく頭を回転させた。
五郎は何も言っていなかったが、案内状を額面通りに解釈すれば、父親もまた絵描きだったということになる。
父親がどれほどの画家だったのか、生死も含めて俄然興味をそそる案内状だった。
ウィークディの三日間ということなので、玉木はあらかじめ午後から時間休を取って出かけた。
並木通りから首都高の手前を入船方向へ向かう道路沿いに、その画廊はあった。
通りに面してプラスチック製の行灯が置かれていて、「あっ、画廊だ」と気づく程度の目立たない店構えだった。
一間ほどのウィンドウに東郷青児風の女人像が飾ってあった。
本物かどうかはわからないが、冷ややかな眼差しで道行く人を眺めている。
玉木の好みは印象派の画家だったから興味の持てる展示物ではなかったのだが、画中の女性の挑発的な視線が案外客寄せの効果を生んでいる気もした。
(ここの親爺が日下五郎を買っているのか)
それとも、辰吉という父親の方を・・・・。
父親との二人展としたところに、店主の思惑が感じられた。
どちらかというと無趣味に近い玉木には、絵画の価値など本当のところはわからない。
しかし、最もステータスのある銀座で五郎が個展を開けるのには、父親の存在が寄与していることは疑うべくもなかった。
開けっ放しの扉から覗くと、部屋の隅に記帳用の机が置かれ五郎が背中を見せて座っていた。
「こんちは、どうですか」
五郎以外は誰もいないのに、問いかけるのに気が引けた。
「おお、来てくれたんですか」
うれしそうに立ち上がった。「・・・・午前中に、新聞社の人が来てくれたんですよ」
「へえ、そんなに注目されてるんだ」
玉木はショックを受けた表情を隠せなかった。
「でも、目的はオヤジの絵なんだろうけどね」
五郎は自嘲気味に声を裏返した。
「そんなことないだろう。・・・・とにかく見せてもらうよ」
玉木は、手前の壁に展示された見覚えのある絵の前に立った。
「ほう、こうして額に入っていると違って見えるね」
目の高さに掛けられた若きキリスト像が、この世の苦難を一身に引き受けるようにうなだれていた。
「画廊の社長さんが、似合った額を用意してくれたんですよ・・・・」
五郎が冴えない声で反応した。
「いや、額に入れると一段と輝いて見えるということさ」
まるで額を褒めているように受け取られたのではないかと、あわてて言い直した。
玉木は、来場者がそうするように、一二分ずつ立ち止まって五郎の絵と対峙した。
絵の下には<マグダラのマリア>とか<ゴルゴダの丘>とか、もっともらしい画題が表示されている。
暗い色調の絵が、弱い間接光の中である種の物語を紡ぎ出していた。
(うーん、ひょっとしたら才能あるのかも・・・・)
玉木は、ユダを描いたらしい一枚の絵の前で腕組みをして見入っていた。
上目遣いにキリストの表情を覗うユダの口元に、かすかな苦悩が浮かんでいた。
瞬間、なにか見過ごせない思いが脳裏をよぎった。
日下五郎が抱えている後ろめたさのようなものが、目の前の絵に重なって見えたのだ。
他人の好意に甘えながら、心の奥底でそれをよしとしていない。
自分はこんなものじゃないぞと、時おり頭をもたげる自負が見え隠れしていた。
五郎が人を惹きつける理由が、そのあたりに潜んでいるような気がした。
画廊の床にテープで示された順路の最後に、日下辰吉の作品が展示されていた。
五郎の絵より一回り大きい号数で、素朴な額縁の中に茶畑で茶摘みをする二人の娘の姿が描かれていた。
「この絵は、社長の手元て保管されていたものです」
戦前の日本プロレタリア美術家同盟に所属していた日下辰吉の作品を、縁あってここの画廊主が蒐集していたものだった。
「僕はよく知りませんが、同時期のメンバーには村上知義とか岡本唐貴とか黒澤明がいたそうです」
もちろん、詳しいことは玉木にもわからなかった。
ただ、そうした組織があって、そこに所属して活動していた画家の一人に、日下五郎の父親がいたということだけは理解できた。
「へえ、すごいな。・・・・なんとなく聞いたことのある名前だけど、みんな偉かったんだろうね」
「治安維持法ができて、ほとんどの芸術家は潰されたそうです。あとは、転向したりとか・・・・」
五郎の説明を聞きながら、当時の過酷な状況をぼんやりと思い浮かべていた。
日下辰吉という画家が、プロレタリア美術運動をどのように引きずっていったのか、五郎につながる経緯を知りたいと思った。
「ところで、お父さんは今も健在なの?」
「特高に捕まって、まもなく獄死しました・・・・」
予想もしない結末に、玉木は絶句した。
となると、日下辰吉の作品は長い間ここの画廊主に秘蔵されていたに違いない。
そして何かのきっかけで五郎の存在を知った社長が、父子展の形で日の目を見させたのだろう。
安アパートに住む貧乏画学生のはずが、あっという間に大きな可能性を秘めた存在に駆け上がろうとしている。
きょう取材に来た新聞社の記事次第だが、日下辰吉の経歴や新発見の絵画への興味、そして遺子の存在と画業紹介など話題性には事欠かなかった。
(持ってるな・・・・)
通常の人が歩む道のりを、一足飛びに駆け上がろうとする運の強さを感じた。
玉木には、五郎の姿が眩しく見えた。
日々書籍の仕分けや梱包に汗を流す自分に比べて、神様は不公平なんじゃないかと五郎に対して嫉妬に似た気持ちを抱くのだった。
予想通り、翌日の東日新聞文化欄に『日下辰吉・五郎父子展』の記事が載せられていた。
五郎から聞いた説明では漠然としていた日下辰吉の足跡が、造形美術展とか日本無産者芸術家連盟とか玉木の知らない戦前の団体名を交えて解説されていた。
それとともに、辰吉の油彩画『八十八夜』と五郎の油絵『受難の朝』の写真が並べて掲載されていた。
おそらく画廊主の思惑通りの話題を勝ち取れた気がする。
記事掲載の当日と翌日の二日間で、かなりの来館者があったに違いない。
このまま描き続ければ、日下五郎の前途は洋々たるものになるはずだった。
日下五郎が三鷹駅北口で、肩のぶつかった青年と口論になり刃物で刺されて死亡したと報じられたのは、個展から数ヵ月後のことだった。
画家として将来を嘱望されていたのに、急転直下の運命の逆転だった。
玉木は夕刊を開いたまま、言葉を失っていた。
(まさか、ボクシングの格好をしたんじゃあるまいな・・・・)
銀座三原橋の地下通路で玉木に見せたシャドーボクシングの真似事が、今回は相手に恐怖心を抱かせた可能性があると思った。
あるいは、日常的に刃物を持ち歩いているような男だから、見境なく逆上したのかもしれない。
真相はわからないが、もしそうだとすれば短期間での運命の軌道修正は神の悪意としか言いようがなかった。
(父親は時の権力に殺され、息子は社会の歪みの犠牲に・・・・)
玉木は自分の人生の先行きにも怖さを感じていた。
(あいつのことを、ボクサー画伯とからかったことがあったが・・・・)
あの時、五郎は玉木の言葉を本気で打ち消そうとした。「・・・・勘弁してくださいよ。なんだか辛くなっちゃいますよ」
普段なら甘えた口調で否定する程度のはずが、この時ばかりは必死に玉木を制しようとしていた。
「どっちもダメだったら、恥ずかしくて生きてられないじゃないですか」
怯えたような五郎の声が、今でもまだ玉木の耳の奥に残っていた。
(おわり)
本当はそんなこと関係なかったのかもしれませんが。
でも、好きな絵だけ描いていたとしたら絵筆を握る利き手だけ大事にさっさと逃げをうったような気がします。最近若い頃からの友人である漫画家とそんな話をしたばかりだったので、この短編を読ませていただいて「えっ!!」という感じを受けました。
もしそうしていればかれは命を失わずにすんだのではないかと。
もったいなかったなあー。
ボクシング映画にしては地味な作品でしたが、盛りを過ぎたボクサーが人間としてのプライドを取り戻していこうとするときの苦悩とぼろぼろになりながらも誇り高い姿勢が伝わってくる美しい名作でしたね。
人の心のひだの表現がtadaoxさまらしく
思わず引き込まれてしまう作品でした
玉木の羨望と嫉妬が
じんわりと見えてくるのが面白く
「どっちもダメだったら、恥ずかしくて生きてられないじゃないですか」と言われ
玉木はどのように思ったのだろうかと
そちらの方が気になりました
ボクサーと画伯
どちらも自分を表現する職業ですが
不器用なくらいが丁度よかったのかも知れません
どちらも天職だったのでしょうね
大変面白く拝読させていただきました
いつもありがとうございます
まもなくバンタム級の東洋チャンピオンに上り詰める青木勝利と偶然知り合ったという設定は、やがて転落の人生を歩むことになる青木の人生を、主人公の身の上にも再現させる暗示としました。
玉木に見せたシャドーボクシングは、やがて命取りになる因子を孕んでいます。
日下の甘えを示すことは、「まさにそれ」が現実になることを裏付ける努力でした。
日下辰吉と五郎の運命の対比を、絵のテーマの違いを表しました。
伏線としたものが、言い訳になっていないか心配ですが。
シネパトスで見たことにした映画のイメージは、たしかに「ボクサー」です。
ただ、この映画の公開は1997年頃らしいので、若干ストーリーをぼかして1960年代のこの話にはめ込みました。
いろいろ悩ませてすみません。コメントありがとうございました。
玉木の心の動きに着目していただき、大変ありがたく思いました。
単なる狂言回しではない登場者として、感情をあらわにする立ち位置に玉木を置きました。
日下五郎を「ボクサー画伯」と揶揄する玉木の内面と、いつになくムキになって否定する日下五郎の心情に、何かを感じていただければ幸いです。
死に至る運命に説得力があるかどうか、なかなか自分でも判断のつかないところがありますが。
これからも、よろしくお願いいたします。