ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ぶつぶつ

2014-07-13 22:23:30 | Weblog
1日に1回は、なんらかのチベット語を口に出して言ってみようと思っている。

とりあえず無難なのは「おはよう」=「ཞོགས་པ་བདེ་ལེགས།」あたりだろうか。
私は会社に一番乗りなので、事務所の中でぶつぶつ言っていても、あまり怪しまれない。

この単語は、私も参加している微信のグループで、
朝、チベットに住むチベット人たちが、みんなこのステッカーを出すことから、
「おはよう」という意味だと知った。

だが、文字を見ても、相変わらず、すんなりとは読み方がわからないので、
上海にいるチベット語の先生に発音を吹き込んでもらい、
なんとなく覚えることができた。

まあ、そんなこんなでチベット語を、ぼちぼち続けているわけだけど、
先日、買った日本で出版されているチベット語教科書の写真を微信にアップしたら、
上海の同級生たちから、たくさんコメントが来た。



そして、おそらくヒマラヤのどこかに住んでいる
会ったことがないチベット人からも「いいね」と言ってもらい、
世界は確実に小さくなっているというか、不思議な感じがした。

自分たちの文化を残そう、発信しようと思ったときに、
あまり土地にしばられなくなった。
それよりも重要になったのは、自分のアイデンティティを自覚することだろう。
大地に根付く生活で文化は養われるものだけど、変化は世の常だ。

もちろん、日本在住の中国人からも微信の友だち申請が来るのだけど、
誰も受け入れたことはない。
どうせ日本に住んでいるのは、ほとんどが漢族だから。

遥かな道のり

2014-07-11 23:29:38 | Weblog
昼休みに青山あたりを歩いていたら、
前から目つきが鋭く、ガラが悪い感じの歩き方をする3人組が来た。
3人のうち、特に女子がひどい。
Tシャツ、短パン、ビーサンで、風を切って歩く。

すれ違ってみたら、彼らは上海語を話していた。

なんだ、上海仕様のまま青山を歩いていたのか。
上海にも、品のいい人はたまにいるのに、なぜわざわざこんな。。。

と、私も外国で思われないようにしなければ。
そう思った瞬間に、もしかして、私も日本で「あ、中国人だ」と思われているかも、と思い、
思わずドキッとした。
気をつけねば。

家に、Amazonで買った『現代チベット語会話 Vol.1』というテキストが届いていた。
ダラムサラで外国人教育用に発行されているチベット語教科書の日本語訳だ。

例文がいい。
『私はブッダに帰依します。私はダルマに帰依します。私はサンガに帰依します』
うん、使えそうだ。

そして、気になる解説。
チベット語は口語と文語が大きく隔たっているために、口語・文語では辞書が異なります。

え。辞書まで違うの。
これは大変だ。

道のりは遠い。
あと何回ぐらい輪廻転生したら、間に合うだろうか。

2014-07-10 23:45:41 | Weblog
会社からの帰り道、台風っぽい生暖かい風の中を歩いていたら、
運転主席に誰もいない車が、向こうから走って来た。

「でた~! でも駅前で? 結構明るいけど」と思ったら、
そうでした。
日本は中国では、運転主席が逆なのでした。
右ハンドルの席には、ちゃんと、人が、いた。

やばい、やばい。
すっかり中国仕様になっている。

上海の中国人同僚たちにとって、私はすでに「鬼籍」に入っているらしく、
私との仕事には緊張感もなく、何やら適当な連絡が来るようになったので、
鬼ならば日本鬼子になってやろうと、朝一番で「怒ってます」メールを送ったら、
かなりビビったらしい。

慌てふためいた対応の上、ますます支離滅裂になって返って来た。
そして、普段は怒らない優しい他の日本人も、
みんなにccが入っているのを承知の上で、
その中国人スタッフに怒りのコメントを寄せた。

何よりも面子を重んじる中国人なのに。
わがままいっぱいに育った80后なのに。
玉の輿に乗って「私は上海人」気取りなのに。

三段落ちくらいに容赦なく突き落として、かわいそうなことをした。

こうしたドタバタを横で見てた「日本人の良心」のような上司が、
「なんで、こうなの?」と、ボソリとつぶやいた。

明るく「幼稚園なんですよ~」と答えたら、
「ああ、そうか。幼稚園なのか」と。

納得してもスッキリしない感じ、よくわかるわあ。

遠隔操作

2014-07-09 22:47:21 | Weblog
昼休みに、会社の周りを散歩していたら、猫がワイパーになっていた。



後ろ足、のびすぎだと思う。

さて、日本に帰って来てから、ずっと脳天が痛い。ズンズンと響く。
相変わらず、領収書は「発票」と言ってしまうし、とにかくOSが日本語に切り替わっていない。
そのための頭痛なんだと思っている。

ここ数日で口走ってしまった日本語でも中国語でもないこと。
「大丈夫です」→「没問題(メイウェンティ)です」
「それは、何とも言えないですね」→「それは説不定(シュオーブディン)ですね」
「空調入れましょうか」→「開空調(カイコンティャオ)します?」など。

東京から上海の遠隔操作はつらい。
想像していた以上のつらさだった。

何がつらいかというと、
目の前で、面と向かって怒られない限り、中国人は手を抜く。
今までできたことも、急にできなくなり、決めてあったこともなし崩しになる。
この乱れぶりは、なかなかすごい。

心の準備はしていたものの、やはり疲れる。

自分の目の前30センチしか視界がない中国人に対し、
構造だの、目標だの説いてもしょうがない。
彼らにとっては、いま、怒られるかどうかだけが、問題なんだ。
過去も未来も関係はない。

このギャップは、私が日本にいる限り、ますます広がって行くのだろうと思う。

こういうときに日本人は、中国の歴史観による反日感情を引き合いに出したがる。
たしかに反日という素地はあるけれど、それ以前に、これは文化的な差異なのだと思う。
盧溝橋事件も満州事変も、正直言って、
いまの80后、90后にはあまり関係ない。彼らはほとんど興味がないだろう。
この興味のない感じ、結構日本人に通じるところがある。

たぶん、日本という国がどこにあるのか、
白地図を渡して正確に書き込める中国人は少ないだろう。
きっと、実際よりももっと遠い、太平洋の真ん中あたりに書き込んでくれるだろう。

というくらい、目の前のことしか見ていない人たち。
まあ、遠隔操作は無理だよなあ。

2014-07-07 22:02:18 | Weblog
うちの前には、一本のネムノキがある。
小さい頃からあるので、毎年この季節になると花を咲かせるのを楽しみにしている。

ちょっと盛りは過ぎてしまったけれど、週末、雨が小降りのタイミングをみて、
写真を撮りに行った。



綿毛というか、鳥の羽がとまったような姿が大好きだ。
触れてはいけない気がする。触れたら壊れそうな気がする。



でも、実際は結構しっかりと幹についている。
その意表をつく感じも好きだ。

今日は帰り道、月が明るいので驚いたのだけど、
ここのところ、上海のスモッグの中でしか、月を見ていなかったせいだと気がついた。
月の近くには、星まで見える。

最近、日本の会社でよく同僚から聞かれる。
「どうして、中国は、こうなっちゃうの?」と。

日本人からすると、摩訶不思議なことばかりが起きる。

それに対する私の答えは、
「それが中国なんですよねえ。彼らには彼らなりの論理があって、
 まあ、理解しがたいんですけど、要は保身で・・・、だから・・・」となる。
説明が続けば続くほど、日本人には理解ができなくなる。
日本人からの質問に答えれば答えるほど、日本人の頭の上には「?」が並ぶ。

だって、月が、こんなにきれいに見える国なんだもの。日本は。
東京でも、素晴らしい月が輝く国なんだもの。

感覚が違って当然だと思うよ。

アジサイ

2014-07-05 14:27:00 | Weblog
梅雨は鬱陶しいけど、東京の道は、靴も洋服の裾も汚れないので、比較的快適だ。
私が小さかった頃は、駅までの道で、すっかり泥がはねたものだけど、いまはそんなこともない。
同時に、日本人の潔癖さも加速したような気もする。

会社の近くで見つけたアジサイは、非常に美しかった。



埃まみれでない花を見ると、ここが上海ではなく、東京なのだと実感する。

昨日は、夕方から会社の中国エリアで
「どうしてまた、何度も同じミスを繰り返すのか」というようなトラブルがあって、
もしかして行けないかもと思ったのだが、
なんとか遅刻しつつも聞きに行った。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所主催の
「チベット亡命政権 議員講演会 チベット近況報告と中道のアプローチについて」。

亡命政府の議員が3人来日していて、
現在の状況や取り組みや、亡命政府としてのメッセージを紹介してくれた。
議員のうち1人は、中国チベット自治区で育ち亡命した人。2人はインドで育った人だった。



日本人は、まずチベットの問題云々の前に、中国人という人たちを知らないと思う。
チベットが交渉している相手は、あの漢族たちなんだ。
他人の話になんか耳を傾けない。軍事力と経済力が価値観のすべてである、あの人たちだ。
そして、あの漢族に対し、亡命政府は中道の和解策を訴えつづけている。

もともと、チベットという独立国であったけれど、中国からの独立は求めないので、
せめて、中国の行政区に取り込まれることによって分断されてしまったアムド、カム、ウツァン地方、
現在の青海、甘粛の一部、四川の一部、そしてチベット自治区を1つの行政区として、
チベット人による自治によって、文化と歴史を守れる生活を保証して欲しい、というものだ。

いま、中国に住むチベット人(チベット族)には、中国人としての基本的な権利すら与えられていない。

私たちがよく見かける街でうるさい人たち=日本を訪れている多くの中国人は漢族であり、
チベット族やウイグル族は、漢族では簡単なパスポートの取得はおろか、
甘粛、青海、四川のチベット族は、チベット自治区に入ることすらできない。

漢族はいくらでもチベット自治区に入れる。
チベット族はいくらでも漢族の土地に行くことはできる。
でも、そもそもチベットであった青海、甘粛と四川の一部に住むチベット人は、
ラサに行くことができない。聖山カイラスにも行けない。

チベットの土地の企業はすべて漢族による運営で、
チベット語は第2言語のため、漢語(中国語)ができなければ、仕事にすら就けない。

以前は1年に何千人という亡命者がいたが、現在は中印の国境警備が厳しくなり、
年間数百人も亡命できないという。
でも、国土も産業もない亡命政府が、自分たちの国民を守るのは至難の業だ。
チベット亡命政府は、国土も産業も、そして軍隊も持たない政府なんだ。

時々、ラマに特殊な能力があると信じて「救ってください」とすがりに行く日本人を見かけるけど、
もしそんな能力があったら、ラマたちは国土を人民解放軍に取られることもなかったろう。
とっくのとうにチベット問題を解決しているだろう。
こんなにも、いまチベットに住むチベット人たちが、
ダラムサラの同胞の政府に希望を見いだしつつ、救いには来てくれないと絶望することもないだろう。

もし、私たち日本人が、過去の「侵略戦争」と呼ばれる戦争を少しでも反省するのなら、
満洲国建国や国民党の首都南京攻略を反省するのなら、
いま、同じことをやっている中国に対しても、言わなければならない。

あなたたちの中国が国家としての形を変えたとき、
いま何十年にも渡って、あなたたちが抗日ドラマを流し続けるように、
この先のチベットの人たちは、あなたと地続きのところで、あなたたちを恨み続けるのですよ。
ひいては、あなたちの子孫のためにならないと思いませんか。
だから、基本的な中国人としての権利がもらえるだけでいいと言っているのだから、
それだけでも、改善していきませんか、と。

そのためには、海外からの声が必要だと思う。
軍事力も経済力も持たない人の意見なんて、聞く耳持たないのが漢族なのだから。

得難い

2014-07-04 00:37:59 | Weblog
今朝、目覚めるときにグラッと揺れた、ような気がした。

上海では、地下鉄や大型トラックが通ることによって地面がゆれることはあっても、
地震はほとんどない。
だから久しぶりの揺れに「ああ、日本に戻って来たのだなあ」と思った。

昨日は、古くからの友人に会い、
そして今日は、新しいけど妙な連帯感のある友人に会った。

世の中にはいろんな考え方をする人がいるなあ、と思う。
友人であっても千差万別。

考え方は違っても、ちゃんと自分の意見を持っている人は好きだし、
話していて楽しい。
上辺の愛想言葉しか話さない人は、つまらない。

仏教に理解がある人たちでも、チベットや亡命政府に対しては、
いろいろな意見があって、
私の友人の中では、中国に住んだことがある人は概ね好意的、
住んだことがない友人の中には、インドのチベット亡命政府、
特にダライ・ラマは金儲けばかり考えてると批判する人もいる。

そういう意見を聞くと、私は必ず、
命からがら逃げてきた同胞たちを亡命政府という立場で抱え込むには、
まず餓えさせないことを第一に考え、
結果、お金に四苦八苦するのはしょうがないことだと思う、と言う。

豊かな日本で、他国のある意味特殊な状況にある人たちに対し、
「仏教徒のくせにお金に走った」などと批判するのは、
ちょっと見当違いかな、と思うからだ。
(しかも、そういう批判をするときは、たいてい食事中で、お酒も入っている)

そして、まずは日本の仏教界を見てみなさい、とも思う。
座禅組んだとき、すごく金持ちそうに太ったあの人たちに肩を叩かれて、
あなたは「ありがとうございます」と思っているのですよ、と。
まあ、ありがたがっている人に対して、わざわざ言わないけど。

信仰は個人の心の中にあるから、それを他人から意見されると、
とにかく非常にイヤな気持ちになるのは、誰でも同じことで、
でも、そういう話でもちゃんとできる友人と言うのは、
やっぱり得難いとも思う。

変化

2014-07-02 00:09:31 | Weblog
日本での会社生活がスタートして、
久しぶりに通勤電車で周囲の日本人を眺める。

変わったと思うこと。
みんなの着ている服におけるブランド率が下がり、身の丈にあっている。
やせ我慢が減り、気候にも順応して来ていると思う。
夏、ストッキングを履くことに猛烈な抵抗感があった私としては、
大歓迎な変化だ。

次に、変わってないと思うこと。
電車内が静かで、ちゃんと並ぶこと。
今日は、初めての駅で乗り換えをするときに、
その駅の流儀を知らなくて、思わず横入りして謝ってしまった。
そんなつもりはなかったのだが、失礼した。

そして、乗るエレベーターがすべて静かで揺れがなく、
おまけにスピードが速いことに感激。

などと考えていたら、集団的自衛権が可決していた。

日本はどこへ行くのだろうか。
でも、それを決めるのは、私たち国民1人ひとりだから、
これからの方向性も、私たちの自覚にかかっている。

むかし母がよく、「バカとはさみは使いよう」と言っていた。
あなたは天才でもなんでもないんだから、
自分を律して、自分の能力を自分で活かせるようになりなさい、と。

その境地には、まだまだ遠いなあ。