1日に1回は、なんらかのチベット語を口に出して言ってみようと思っている。
とりあえず無難なのは「おはよう」=「ཞོགས་པ་བདེ་ལེགས།」あたりだろうか。
私は会社に一番乗りなので、事務所の中でぶつぶつ言っていても、あまり怪しまれない。
この単語は、私も参加している微信のグループで、
朝、チベットに住むチベット人たちが、みんなこのステッカーを出すことから、
「おはよう」という意味だと知った。
だが、文字を見ても、相変わらず、すんなりとは読み方がわからないので、
上海にいるチベット語の先生に発音を吹き込んでもらい、
なんとなく覚えることができた。
まあ、そんなこんなでチベット語を、ぼちぼち続けているわけだけど、
先日、買った日本で出版されているチベット語教科書の写真を微信にアップしたら、
上海の同級生たちから、たくさんコメントが来た。
そして、おそらくヒマラヤのどこかに住んでいる
会ったことがないチベット人からも「いいね」と言ってもらい、
世界は確実に小さくなっているというか、不思議な感じがした。
自分たちの文化を残そう、発信しようと思ったときに、
あまり土地にしばられなくなった。
それよりも重要になったのは、自分のアイデンティティを自覚することだろう。
大地に根付く生活で文化は養われるものだけど、変化は世の常だ。
もちろん、日本在住の中国人からも微信の友だち申請が来るのだけど、
誰も受け入れたことはない。
どうせ日本に住んでいるのは、ほとんどが漢族だから。
とりあえず無難なのは「おはよう」=「ཞོགས་པ་བདེ་ལེགས།」あたりだろうか。
私は会社に一番乗りなので、事務所の中でぶつぶつ言っていても、あまり怪しまれない。
この単語は、私も参加している微信のグループで、
朝、チベットに住むチベット人たちが、みんなこのステッカーを出すことから、
「おはよう」という意味だと知った。
だが、文字を見ても、相変わらず、すんなりとは読み方がわからないので、
上海にいるチベット語の先生に発音を吹き込んでもらい、
なんとなく覚えることができた。
まあ、そんなこんなでチベット語を、ぼちぼち続けているわけだけど、
先日、買った日本で出版されているチベット語教科書の写真を微信にアップしたら、
上海の同級生たちから、たくさんコメントが来た。
そして、おそらくヒマラヤのどこかに住んでいる
会ったことがないチベット人からも「いいね」と言ってもらい、
世界は確実に小さくなっているというか、不思議な感じがした。
自分たちの文化を残そう、発信しようと思ったときに、
あまり土地にしばられなくなった。
それよりも重要になったのは、自分のアイデンティティを自覚することだろう。
大地に根付く生活で文化は養われるものだけど、変化は世の常だ。
もちろん、日本在住の中国人からも微信の友だち申請が来るのだけど、
誰も受け入れたことはない。
どうせ日本に住んでいるのは、ほとんどが漢族だから。