ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

まったく

2013-01-21 23:50:37 | Weblog
アルジェリアと言えば、海賊バルバロッサ、ジャック・デリダの故郷という連想以外、
ほとんど何も知らないのだけど、痛ましい事件が起きた。

それにしても、砂漠のなかに、ずいぶんいろいろな国の人が駐在していたことに驚く。
世界には、まだまだ私が想像もつかないようなところがある。

さて、それでも日常は続く。
申し訳ないけれども、私の日常は、アフリカ大陸からは遠い。

今朝も、中国人の部下くんがあまりにもボーッとしていて、
考えるはおろか、資料を見てすらいなかったので、
呼び止めて、「ねえねえ、これ見た?」と聞いた。

顔色がさっと変わって、私の横に来た。
私の声がかたくなると、いつもは流暢な日本語を話している部下くんが、
いきなり中国語しか話せなくなる。
「就是、就是(それは、それは)」と呟きながら、
私が指差したモニター画面を見つめている。

「見たの?」ともう一度日本語で聞くと、言い訳は無理と観念したらしく、
「没看(見てません)」と中国語でションボリと答えた。

同情はしない。このミスはもう数えきれないほど繰り返している。
しかも、「じゃあ、もう一回ちゃんと見てね」と言って解放した後、
またもや続けざまに同じミスを犯した。

萎縮しているのか、そもそも、その回線を持ち合わせていないのか
もうよくわからないけれど、
その気配を全身でキャッチしていた周囲の中国人の
「うわ~、またやっちゃったんだ~」という声にならない声も面白い。

中国人は面子を重んじるので、みんなの前では叱らないこと、が前提だ。
だから、私はあえて日本語にしているのに、
自分が中国語しか話さなかったら、周囲の中国人に丸わかりだよ。

まったくなあ。

伝統芸能

2013-01-21 01:15:30 | Weblog
約20年間、ときどき思い出すことがある。

北京に留学していた頃、よく京劇を観に行った。
演目は、もともとストーリーを知っている三国演義や史記、
また、見てわかる漫画的な西遊記が多かった。

最初は外国人旅行客用の舞台を観に行っていたのだけど、
そのうち北京人が行く劇場で、彼らに混じって観るようになった。

ローカルの劇場は、もちろん外国人用と違うので、
字幕の電光掲示板もなければ、ストーリー解説もない。
周囲は、北京人が向日葵の種をバリバリ食べる音、種の殻を踏む音、
そして観客の「好(ハオ!=いいぞ!)」という声。

戦争ものならわかりやすいのだけど、
歌が延々と続く演目は、聞き取れないだけに辛かった。

ある日、どうやら誰かが何かを間違えた。
私にはよくわからなかったけれど、北京人にはわかったようだった。
こういうときにシビアなのは万国共通で、
北京人たちもヤジを飛ばしていた。

演目がすべて終わり、ロビーに出てみると、
そこで、普段着に着替えた役者が、動作のおさらいをさせられていた。
横には、杖をついたおじいさんが坐り、
何度も何度もステップをやり直しさせていた。

もちろん北京人も私も野次馬になる。彼らの周囲を取り囲む。
みんなが固唾を飲んで見守る中、おじいさん先生の指導が続く。
首を横に降ると、役者はやり直す。
それが何度も繰り返される。

おじいさん先生は坐ったままなのに、
ほんの小さな動きで、タイミングと力の入れ具合が伝わってくる。
そして、若い役者はその小さな動きを見逃すまいと
全身を感覚にして読み取り、
それを自らの動かない身体に伝えようと必死になっている。

おじいさん先生は、もう身体が動かない。でも動いている。
若い役者は身体が動く。でも動けない。

何回か繰り返された後、ようやく若い役者はその動作をマスターし、
おじいさん先生の許しを得て、帰ることができることになった。
もちろん周囲にいた野次馬もホッと一安心して
満足して帰路につくことになった。

あのおじいさん先生は、文革の時期を生き延びた役者だったのだろう。
もしかしたら役者としての一番いい時期に、
舞台に立てなかったのかもしれない。
そして多くの仲間を失ったのだろう。
年齢的にはそのように思う。

私がこれをずっと思い出すのは、
なぜ、あのおじいさん先生は、あえてあの場で、あの若い役者に
あの動作を何度も繰り返し教えたのか、と考えるからだ。

役者が失敗するのは普通にあることだ。
でも、その特訓をあえてロビーでやったのはなぜか。

最近私はこう思う。
観客さえいれば、その芸は、ずっと残ることができる。
もし政治の理由で一時期それを演じることができなくても、
それを愛する観客さえいれば、いずれそれは復活し、残る。
でも、観客に見放されたら、
どんなときであっても、その前途は閉じられてしまう。

だからこそ、次に来てもらうために、あえてロビーでやった。
あえて若い役者に恥を重ねさせることによって、
あの若い役者を救い、劇団を救った。

下手だった、間違えたという記憶が残ったら、
次に観客は、その役者の演目を観に来てくれないだろう。
そして、その劇団も人気を失うかもしれない。
でも、それを取り返したら、
次も観に来ようと思ってもらえるかもしれない。可能性が繋がる。

政治の流れの中で生き残った役者だからこそ、もっと遠くを見ていた。
芸術とはなにかを知っていた。
そんな気がする。

いまの上海は、いろいろとスマートになった。
でも、私が北京に対してある程度以上の尊敬心を持ちつづけているのは、
あのおじいさん先生の影響が結構大きいと思う。

心配事

2013-01-20 14:42:33 | Weblog
昨晩から今日の昼にかけて、久しぶりによく寝た。
正月の風邪ダウン以降、中国の8連続出社日に、
かなりのダメージを受けていたらしい。

私の周囲の人は、
当然ながら日本と中国の両方に関わりながら生きている人たちばかりなので、
最近話題に上るのは、やはり日本の方向性と、
あと子どもがいる人たちは、子どもたちの将来について。

・将来、うちの子が徴兵にとられるようになったらどうしよう。
・ハーフなんだけど、どっちの学校に入れたらいいだろう。

みんな結構真剣に悩んでいる。

そして私たちの世代は、
これで憲法改正して変なことになったら、いよいよ中国の就労ビザが出なくなる。
私はおそらく、日本に帰っても職がない。
そして中国でも働けないのなら、
もっと違う、遠い国に行かなければならないのだろう。

駐在員の人たちだって、
会社がこれまで20年かけて築いてきたものが一気に失われる。
たとえ人は無事に引き上げたとしても工場は置いて行かなければならないし、
同時に巨大な市場も失う。
日本の工場が軍事転用されて、そこで製造された兵器が日本人を襲う。
朝鮮戦争のとき、アメリカ軍に対して人民解放軍が使った武器のほとんどは、
援蒋ルートでアメリカが大量に送り込んだ、アメリカ製の武器だったように。

また、市場を失うという意味ではサービス業も同じ。
結局は会社が行き詰まって職を失う可能性がある。

中国にもリスクはある。
でも、これから内需に期待できる中国と、外に出なければならない日本では、
どちらのリスクのほうが大きいだろうか。
華僑ネットワークも含めたら、
それこそアジア全域を失う可能性があり、韓国もしくはヨーロッパの技術大国が
漁父の利を得るだろう。

ただ、心のどこかで、
もう一度敗戦をちゃんとやり直したらいいんじゃないか、という気もする。
でもこれは、子どもがいないから無責任に言えることだとも思う。

もしかして強硬派の人たちは、尖閣諸島辺りで小競り合いがあるだけで、
本土は大丈夫だと思っているのだろうか。

中国と日本が戦争をする場合、それはアメリカとテロとの戦争とは
まったく意味合いが違うものになる。
国家対国家、しかも相手は共産主義の国なのだから、
どちらかの国体が解体されるまで続く。
もしくは、中国は日本が立ち上がれなくなるまではやめない。
これは過去の恨みのせいではなくて、今後のビジネスのため。

世界にまだ残る神話「Made in Japan」、
そして世界の警察アメリカに勝った兵器と兵士であれば、
いまだ紛争が残る地域に、兵士ごと高く売ることができる。
恩給を払わなくてもよくなるし、一石二鳥だろう。
どちらが失う物が少なくて、得る物が多い戦いになるか。
これは、政治でもイデオロギーでもなく、ビジネスの話なんだ。

相手が論点をすり替えてきているのに、
みすみす乗せられるなんて、まったく愚の骨頂だ。

なんていうことを日本で話すと、白い目で見られるよ、と
この週末に来ていた日本の友人に言われた。

あ~あ、来年の今頃は、こんなレストランで四川料理に舌鼓なんてことも
できなくなるかもしれないなあ。



麻婆豆腐美味しかったなあ。



3月にオープン予定の上海電影制片廠では、現在突貫工事進行中。
映画が何のために作られるのか、というと、こういうことだ。
作業員さんの疲れた後ろ姿が、なんともいえない哀愁。



そして、いつの間にか世界のアイドルとなったキティちゃん。
その専門ショップが上海にもある。
キティちゃんは、口がないから食べ物が食べられないし、
話もできない(テレパシーが使えれば言いたいことは言えるだろう)。



ということで、小さいころから苦手だ。

さて、これからどうするかなあ。

反旗

2013-01-19 02:04:19 | Weblog
上司のことは好きなので、たいへん申し訳ないのだけれど、
これから会社がやろうとしている人事評価制度には、
決して馴染めないだろうから、管理職からはずしてほしいと言った。

私は、日本が低迷しているのは、
ワケのわからない能力評価主義を強引に導入したせいだと思っている。

そもそもアメリカでは、
白人、ヒスパニック、黒人、いろいろな人がいるなかで、
雇用契約履行に対する評価制度として能力主義があったと思う。

しかし日本では、契約すら明確でないまま能力主義を導入したために、
特に中間管理職は自分の責任範囲が明確にできず、鬱病者が増えた。
そして、要領がいいやつは、評価対象にならない仕事を他人に押し付けて、
主には部下に押し付けて、安泰、という状況に陥った。

結局のところ、能力主義は、契約ありきの話になる。
でないと、上から無理な目標を押し付けられて、
結果達成できなくて、だから給料が上がらなくて、という、
経営者にとってしかメリットのない制度に陥りがちだ。
しかも、日本人はマイナス評価をする人たちなので、
日本人はおろか中国人のことも、まっとうに評価できないだろう。

能力主義を導入する前に、管理職研修をやるべきだろう、と思う。
そして、管理職の意識改革が終了した段階で、
能力評価主義をとりいれたほうがスムーズだと思う。

会社の経営陣は、自分にとって評価基準が明確だからというだけで、
部下にとっても、価値判断が明確だと勘違いしがちだ。

昨日、会社が委託している日系の人事コンサル会社の人に、
「おたくのこの考え方は、中国企業に導入した実績がどのくらいあるのか」ときいたら、
顧客はほとんど日系企業だけど、中国系企業は、ある程度の規模になったら、
こういった評価制度を導入している「はず」という返答がきた。

ということで、上司に対し、
私はできませんので、役職をはずしてください、と言っておいた。

アメリカの能力評価制度を中途半端に輸入した日本の、
そんな企業が行うコンサルに中国の人事制度がつくれるとは思わない。

中国は、この範囲なら評価されるよ、というのと同時に、
いまは採算があわないけど、もしかしたら20年後は主流になってるかも、
という時間軸で、すべてをひっくるめて、
いま稼げるヤツが一族を養う、という考え方なんだと思う。
そこに契約を前提とする能力評価主義を、
契約を反古にしつつ導入しようとする日系の評価制度は、
決して馴染まないと思う。

会社が「試してみよう」というなら、できる範囲で協力するけれど、
ただ、それだけのことだ。

保齢

2013-01-18 01:06:15 | Weblog
何年ぶりだろうか。
もう思い出せないくらい記憶が古い。5年以上は経っているだろう。

今日は、保齢球(ボーリング)をやった。



上海のあるホテルにいるボーリング場は、
古びた温泉街のボーリング場のような雰囲気で、
レーンにワックスが塗られておらず、
球威が上がらない、ピンに当たる音も響かない、
ボールを触っても手がべたべたにならないけどほこりっぽいという、
非常に素朴なボーリングだった。

1993年に北京に留学していた当時、
確かボーリング場の第一号店がホテルの中にできた頃だった。
あの頃は、ボーリングのルールを知らない中国人たちが、
点数を気にせず、ひたすら正直にボールを投げていた。

相変わらず、中国人のなかでボーリングは普及していないようだけど、
なんとなくルールくらいは知っているようだった。

あまりにも久しぶりだったせいもあって、
私のスコアは散々なものだったけれど、
久しぶりに身体を動かして、少し気持ちがスッキリした。

最近はデスクワークが多すぎて、よくない。
身体は動かすためにあるのだから、スポーツをせねば。
とはいえ、もともとアウトドアスポーツは得意じゃないうえに、
この汚い空気の中では、本当に動く気がしないし、
ヨガ教室にでも通うべきなんだよなあ。

見送り

2013-01-17 00:32:56 | Weblog
今日は上海でお世話になった日本人の友人が、
もうすぐ日本に帰るので、一緒にちょっといい食事をした。

日本人ならいずれは日本に帰るわけで、
そうなると話題に上るのが、日本の将来に対する不安。
特に、年金や介護保険料の負担の重さと、
将来それを受け取れないであろうことに対する不満。

新しく首相になった人が、いよいよ日本に引導を渡してくれそうだけど、
そのあと、どう再生するのか。

海外に出ると、
日本にいた時は当たり前だと思っていた理不尽さに対する忍耐力が、
ふっつりと切れる。
会社にも幻滅するし、日本の将来にも不安を覚える。

なかには「やっと日本の本社に戻れる!」と思う駐在員もいるけど、
そういう人は、根っからの安定志向なんだろうと思う。
安定が、頭に浮かんだすべての疑問に打ち勝つ人たちだ。

でも、海外にどっぷりつかると、普通は逆になる。
だって、私たちの祖国や会社の同僚は、
外にいる日本人に対してやさしくないって、経験で知ってしまっているもの。

本社からハシゴをはずされた駐在員や、
外務省の役人たちは真っ先に逃げるって知ってる私たちが、
どうやって日本を信じることができるだろうか。
反日デモのとき、日本領事館は「領事館は危ないのでなるべく来ないで」と
通達を出していた。
それは真実だけど、何かあったとき、私たちはどこへ逃げたらいいのか。
単なる事なかれ主義の現れにしか思えない。

それでもやはり、祖国は好きだ。帰りたい。
私は、引導を渡された後の日本に戻るのだろうなあ。
そのとき、役に立てるように、がんばろう。

ただ、今日、日本に向けて送り出した友人は、近い将来、また海外に出てくると思う。
そんな簡単に、日本に馴染めるわけがないだろう。

モテる条件

2013-01-16 00:05:05 | Weblog
昼休みにみんなで行う仕事があったので、ついでに一緒に弁当を食べた。

中国人と日本人が半々くらいいて、ふだん家事を誰がやるか、という話になった。
上海人の男性はもちろん家事ができる。
料理、掃除、洗濯、買い物、女性よりも家庭内で働く。
日本人の男性でも、中国人と結婚している若い人は、
「週末は食事くらいは作るよ。買い物ももちろん手伝う」とのこと。
日本よりも、家庭内の分業と協業が進んでいる感じだった。

そして、話題は自然とまだ結婚していない若いスタッフの話へ。
人事担当の上海人女性は、中国人スタッフが付き合っている彼氏のことを
すごくよく知っていた。人によっては、会ったこともあるらしい。

「すごいね」と言ったら、「それも人事の仕事のうち」との返事。
日本や欧米だったら、プライベートに介入してると怒られそうだけど、
中国では、特に地方から出てきた若いスタッフのプライベートな相談に乗ったり、
そういった人間関係から発生するだろう若い人たちの将来を見据えて
人事という仕事をやっていくのが責務なのだとか。

それに、スタッフも、会社の人に付き合っている相手を紹介するのに、
なんら躊躇しない。異性関係は、基本的にすごくオープンだ。
そして、まだ付き合っている人がいないスタッフのことは、
「誰かいい人いないかしら」と、本気で心配する。
もう、井戸端会議の延長だ。

全体的な印象としては、女性に対してよりも男性に対する見方のほうが厳しかった。
上海人女性いわく、上海でモテるための最低条件はこれ。
「女性やみんなといるときに、いろいろと気がきいて、
サービス精神があって、場を盛り上げて、誰にでもフレンドリーで、
そして、一番大切なのが、金払いがよいこと」と。

つまり、中国的なリーダーシップを持った懐の広い人がモテる、ということらしい。
決して二枚目だってだけではモテるわけではないあたりが、面白いと思う。

あまのじゃく

2013-01-15 00:28:15 | Weblog
今日、会社で面談があり、ありがたいことに少し昇給することになった。
が、なんなんだろうか。
自分の仕事がお金と言う価値に置き換わった瞬間に、
なんとなくその話を避けたくなる。

お金はほしい。
たくさんもらえるなら嬉しい。
でも、私としては最悪のタイミングでありがたい話を聞いたなあ、と思う。

ある人の四柱推命によると、
私は1月が1年の中でも、もっともボーッとしている時期らしい。
何となくやる気が出なくて、体調もすっきりしなくて、
忘れっぽくなる時期。

ということで、12月決算の会社の経理は、絶対にできない。
単純なミスが多すぎて、自分がきらいになるから。

そんな状況で昇給の話をもらい、
「次回もっと昇給できるように、がんばってください。期待しています」と、
心をこめてねぎらってもらっても、
「あー、ありがたいんですけど、でもいいです」と言いたい気持ちと
めいっぱい戦うことになる。

実際のところ、何が認められて昇給したのかよくわからなくて、
周囲とのバランス上、きっとそうなったんだろうな、という感じだから、
忠誠心が芽生えたというよりは、逆に独立心が強くなった。

せっかく経験させてあげると言ってくれているのだから、
その機会は多いに使わせてもらおう。
でも、だからといって、絶対服従はしない。
それでは、日本と同じになってしまう。

でも、なんだか、会社にいる日本人は、
「日本みたい」に、なりたいみたいなんだよなあ。

ポーズ

2013-01-14 00:04:29 | Weblog
今日、はじめてフェイシャルエステに行った。

日本のエステ店の上海店で、日本人の女性が担当してくれた。
私がエステなんて、と自分でも驚くが、友人から割引券をもらったからで、
一生に一度の経験としては、すごくよかったと思う。

すごく気持ちよかったのだけど、たぶん2回は行かない。
別に何の不満もなく、どちらかというと満足だったのだけど、
だからといってリピーターになるほどハマりはしなかった、という感じだ。

やっぱり私は、家でゴロゴロしながら本を読むほうがいい。
エステで癒される人、というのは、
身体が動かせる状況のときには、なにか有益なことをしなければならない、という
勤勉で働き者の人なんだろうと思う。

私は根が怠け者だから、すぐゴロゴロ、だらだらする。
だから、起きていられるときくらいは本を読みたいと思う。

夕方から、3冊くらいの本を読んだ気にさせてくれる歴史勉強会に行き、
久しぶりに仕事以外のことに集中して、頭がスッキリした。
集中すると頭がスッキリすると自覚したのはここ最近で、
もっと若い頃は、いろいろと連想が浮かんできて、人の話に集中できなかった。
もしかしたら感性が鈍くなっているのかもしれないな。

私は何かを組み立てながら考えるとき、右側の少し上のほうを見つめるクセがある。
きっと左脳が活性化されるからだろうと思うのだけど、
ロダンの「考える人」のように俯き気味になるよりは、上のほうが見たくなる。

そうすると、自然と、アゴが上がるかたちになるので、
なんとも間抜けっぽいポーズだし、
一生懸命に考えごとをしていて、目の焦点があっていないことも多いので、
他人が見ると、かなり薄気味悪いのではないかと思う。

きっとこれも、ゴロゴロしながら本を読んでいるうちについた、
ポーズのクセなんだろうなあ。
机に向かうクセがある人なら、きっと「考える人」みたいなポーズになるだろう。

歴史勉強会からの帰り道、上を見ながら歩いていたら、
「らしいな~」という広告が出ていた。


スイッチ

2013-01-12 12:04:56 | Weblog
1993年に留学していた頃、名前を知らない女性を呼ぶときには
「小姐(シャオジエ)」と呼んでいた。
意味は「お嬢さん」で、どう見ても「お嬢さん」ではない女性のこともそう呼んでいた。

いまは、「小姐」と呼んでも、誰も振り向いてくれない。
夜のお店で働く女性のことを「小姐」と呼ぶことが多いので、
普通のお店で働く人たちは、「私、そんなじゃないわよ」というプライドとともに、
無視される。
その場合は「服務員(フーユーユエン)」と呼ぶのが普通だ。

あともう1つの呼び方は「美女(メイニュー)」だ。
「服務員」よりも「美女」と呼んだほうが、確実に反応がいい。
そして「美女」は、友だち同士や会社の同僚の間柄でも使う。
「おっ。今日はきれいだね。これお願い」みたいな雰囲気で。

ということで、いつも他部署に行く時は、
元気よく、「へい! 美女」と呼びかけながら入って行くことにしている。
そうすると、中国人の女性スタッフが数人「お呼びかしら?」と乗ってくれる。

これは、日本の会社だと怒られるかもしれないけれど、
中国人と一緒に働く職場では、意外と効き目があるコミュニケーション方法だ。
日本人は、相手や周囲の人の邪魔にならないように小さな声で、
「あの~、いまよろしいでしょうか~」と声をかけるが、
それだと中国の人は「話をする」スイッチが入らないので、逆に驚かせることになる。
これは先日、中国人の同僚がある日本人のことを
「さっきさ~、目の端に大きな虫が見えた!と思って、驚いちゃったよ~!!!」と
爆笑していたことから学んだ。

男性の場合は、「率哥(シュアイグー)」と呼びかける。
これは「かっこいいお兄さん」という意味で、
呼びかけながら席まで行くと「もしかして、ぼくのこと?」と乗ってくる。
すると、みんなでわいわいやる国民性なので周囲の女性から、
「調子に乗るからやめてよ」「え、うそ~、どこが~」などと突っ込みが入る。

とはいえ、仕事中だから、ダラダラと話すことはない。
ほんの30秒くらいのことだ。
というのも、これはコミュニケーションのスイッチなので、
毎回同じような会話が繰り返されるわけだから、ダラダラはしない。
みんなわかっている。

ただし、この段階で周囲の人もなんとなく会話に参加しているから、
その人たちに関係する仕事の依頼だった場合に、巻き込みやすくなっている。
「ねえねえ、これって、もっと何とかならないかな~」
「やり方、変えられる?」「そうだな~、例えば」と話がつながる。

いきなり、これは仕事だから協力してください、と言うと、
中国人はなかなか動かない人たちだけど、
これは、スイッチの入り方が日本人と違うからで、
決して仕事をしたくないからではない。

とはいえ、これはかなり年上の人や社長クラスの人には通じない。
そこはやはりかしこまるのが、中国人でも常識だ。