オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

酒井雄哉大阿闍梨のこと。&明日はレディで清楚なコーディネート☆

2014-01-14 | 遠藤周作、エミール・ゾラ、ロシア文学・英国児童小説などマキの図書館

まいどありがとうございます。

お正月あけで少し落ち着いたと思っていたらいつもの賑わいが戻ってまいりました、感謝でございます。

ただいまご注文、発送が大変混雑しております。何卒よろしくお願いいたします。

 

昨年お亡くなりになられた 比叡山 天台宗 酒井雄哉大阿闍梨(さかい ゆうさい だいあじゃり)の御著書。

みなさまご存じのように、小説以外の本のタイトルというのはほとんどの場合、著者ではなく出版社がつけますからね、

このような随筆に関しては、万人にわかりやすい、受け入れてもらえやすいタイトルをつけます。

 

「がんばらなくていいんだよ」とか「ムダなことはひとつもない」などという類のタイトルの本を・・・つまりどこを繰ってもどこかで聞いたような言葉の羅列で、著者がしかつめらしくその言葉の意味を説明しているだけだろうと推測される人生指南書のようなものを・・・わたしはいまだかつて読みたいと思ったことはありません。

ページをめくって字が大きくて読みやすいというだけで、まず大した内容じゃないだろうから読まないでおこう、なんて思ってきました(児童文学以外ね)^^; 

読みやすさではなく、内容を重視したいと考える人の多くが、似たような感覚をお持ちかもしれませんね(だって生きている間に読める本の数は限られているもの)。

 

だからこそ、大阿闍梨の御著書に、このようなタイトルはふさわしくないとも言えるし、一方、やはりふさわしいとも言える気がするの。

 

事実として、大阿闍梨の本は、大変わかりやすく、ムツカシイ言葉は一つも使われていない、だけどそこらの指南書とはわけが違いますわ、とても大切なことが独特の軽快な語り口調で書かれていましてね、非常におもしろいのです!

 

何より、とても人間業とは思えない日本一厳しい(世界一だとわたしは思う)荒行「比叡山 千日回峰行」を二度にわたって満行された大阿闍梨が書いた本、というだけで、素直に大切に読もうと思えましたの。

 

注釈させていただくと、酒井大阿闍梨の御著書を読むためには、仏教のことは知らなくていいけれど千日回峰行のことはある程度知っていなければならないと思いますの(You Tubeで観られます)。

 

わたしは、なぜ、酒井さんが、40歳にもなって、厳しい修行で有名な天台宗に出家したのか、そこにとても興味を抱きましたの。そして、新婚間もない奥様が自死なさったことをきっかけに得度なさったことを知ったのです。

大阿闍梨は、奥様の自死について、そのような事実があったことをさらっと話すだけに留め、詳しいことはほとんど何も語りませんでした。

だけどわたし自身もまた、愛する人を失っているからこそ、大阿闍梨のお気持ちがわかりました。愛する人をこの世で失うことほど苦しいことはないのに、さらに自死ときています。自死遺族がどれほど苦しむかは、遺族会で出会った自死遺族の方々の話を直接聞いているので想像ができましたの。

いずれ千日回峰行のことをもっと勉強して書きたいと思いますが、

少し説明しておくと、7年(その間の1000日を使う)かけて自然の厳しい比叡山を4万キロ歩き(一度酒井大阿闍梨を車で追いかけたという山折哲雄さんは、酒井さんはまるで山を飛んでいるようだった、と表現していましたよ)、700日目には、もっとも過酷と言われる9日間の堂入りが行われます。

 

堂入りは、入堂前に大がかりな「生き葬式」を行うくらい命がけの行で、9日間、断食断水(文字通り一切食べず一切飲まない、3日目からはうがいのみ許されるがもちろん水は一滴も飲めない、飲んだら最後で、仏様との約束を守れなかった罰として自分で自分の命を絶たなければならない)、不眠不臥(眠らないのはもちろんのこと横になることもできない)でひたすら不動明王に祈りを捧げます。

この行は普通の人が行うと高い確率で死に至ります、それゆえ、厳しい修行を積んで挑むのですね。

堂入り3日目あたりから、体から死臭が漂い始め、瞳孔が開いたり、話しかけられても声が聴こえなくなったり、幻覚のようなものを見るそうです。

 

堂入り前はまるまるとして血色のよかった酒井大阿闍梨の顔は、最終日には、片側ゴルフボール二個分くらいにまで頬がこけ、唇が何とも言えない色に変色していました。わたしは実際、死人というのはこういう顔をしているな、と思ったくらいです。

もちろん自分で石段を降りることもできないほどの衰弱ぶりでしたが、大阿闍梨は、この想像を絶する行を、多くの人よりずっと歳を重ねてから行ったにもかかわらず(得度したのが40歳ですからね、千日回峰行を行えるようになるまでにはだいたい10年間くらいは修行を積まなければならず、厳しい審査の上、選ばれたばれた者しか行えない行でもあります)、

一度目を満行して半年後、再度同じ行に入られ、満行なさいました。

ですから大阿闍梨は、14年かけて全部で8万キロ(およそ地球二周り分)を歩き、18日間の堂入りをしたことになりますね。

 

この千日回峰行を二度にわたって満行したのは、戦後の比叡山では酒井大阿闍梨ただお一人だそうです。天台宗の長い歴史の中でも、酒井大阿闍梨をふくむたった3人しか二度の満行はしていないそうですから、どれほど過酷な行か、ご想像いただけると思います。

 

わたしが酒井大阿闍梨に惹かれたのは、この荒行の二度にわたる満行者であるということへの好奇心からだったのですが、

この人間業とは思えない行をなぜ二度も行ったのかについて訊かれ、

「一回目が終わってもう卒業かな、と思ったんだけれどまだやることがあるような気がした。それでとりあえずもう一回歩いてみようと思った」

と軽く答えていらっしゃることにさらに惹かれ、

「二回もやって大変なことを得られたんでしょう、と周りの人から訊かれても「なんにもなかった」と応えるしかないんだ、毎日同じことをしているだけだから最終的に千日できたってなにも得るものなんてない、あるわきゃないんだ、ハハハ。ただ自分が生きていられて千日を終えたということだけだよね、それ以外にはなにもない、ただそのほうが気が楽だよ」

にはもう大笑いしてしまうくらい楽しくなっちゃって^^;

 

大阿闍梨となり、信者たちから「生き仏さま!」などと呼ばれて拝まれるようになっても、「はて? 誰のこと言ってんだ?」ってな感じで、何の気負いもなく、オレは人生の落伍者で頭が悪くってスカタンばっかりやっていてなあ! って平気な顔で話すんですね。 

 

おぼろげながら理解したんです、ああ、こういう人だから二度も満行できたんだな、って。

ただ歩いただけなんだって、阿闍梨になりたいとか誰かに認められたいとかそういう欲なんてぜんぜんなくって、行者だから歩く、って信念でただひたすらに歩いてきただけ。

事細かく計算して生きているような人間にはぜったいできないんですよね、だって1日目を終えて「ああ、あと999日にもある・・・!」とか思う人ができるわけないんですよね。

 

これぞ、「何にも考えないでただ生きている(歩いている)」、「生きるために生きている(歩くために歩いている)」典型じゃあないか、って。言い換えれば、過去も未来も眼中になく、ただひたすらに「今を生きている」。「一日一生」その言葉どおりに。

「生きるために生きる」ことがわたしはすごくイヤだったんだけれど、

なんだ、それでいーのかって。目の前がぱーーっと開けたような気持ちになって。

何か、仏教ってすっごく辛気臭いイメージがわたしの中にはあったんですよね、だって仏式のお葬式はもう耐えられないくらい暗いイメージだし。坊さん自体が頭をテカテカ光らせているわりには陰気くさくって、なめくじみたいだし。

 

クリスチャンなのに仏教の行者に傾倒して・・・と言う人がいるかもしれないけれど、

わたしは元々宗教、宗派には特にこだわっていないんですね、だってみんな基本的には一緒だもん、何が大切かって、目には見えない耳には聴こえない、偉大なる者を信じている、ってそこだけが重要なんですよ、そう考えると、キリスト者も仏教者も同じだもん。

もちろん、わたしの中では、その偉大なる者は、阿弥陀様ではなく、この世界の創設者・・・イエス・キリスト・・・ただお一人である、ということは何があっても変更がきかないんだけれど、

でも別にいーやん。人智をはるかに超えた偉大なる者を信じているという、それだけでお仲間ですわ。

 

あと、何のために祈るのか、という部分にも共感を覚えたんですね、

阿闍梨は自分のことなど祈っていないわけです、はっきりとおっしゃっていたように、すべての人のため、世界平和のために祈ってこられたのです。そして同様の深さでもって、神仏への感謝の祈りをささげてこられたのです。

キリスト者もその他の宗教者も、本来そうあるべきなんですよね、聖書にもきちんとそう書かれているんです、自分がどうなりたいとかこうなりたいとかそういうことを祈るのではなく、神様には他者への愛の祈り、大局的な祈り、そして何より感謝の祈りをささげなければならないのですね。

 

この写真が大のお気に入りなんです。

毎日眺めてはほがらかな気持ちにさせていただいておりますの^m^

 

回峰行を終えられた酒井大阿闍梨は、今度は世界中を回り始められて・・・当時のローマ法王、ヨハネ・パウロ二世に謁見なさったときの写真です。

ご覧ください、行に出るときとまったく同じ格好なんです^^; 死に装束に細長いこっけいな笠かぶって^m^

1万人もいたという人たちはみんなどう思ったかしら、おおーーっ、あれが日本の天台宗の行者かーー! と好奇の目を向けたのかしら、酒井大阿闍梨が大聖堂の中に入っていった瞬間、何やら大拍手が起こったそうですよ。

 

実は、杖と刀をはずすよう、門番に言われたそうなのですが、「これらは行者の必需品だからとれない、これらをとったら何のために来たのかわからない」と粘って、結局通してもらえたんですって^^;

 

ちなみに、回峰行の間も刀と紐を常備しているそうです。一度行に入ったら何があってもやめることはできない、後戻りもだめ(忘れ物したらもちろん取りに帰れません)、という掟があるので、途中、有事で歩けなくなったり進めなくなったりしたときには、刀かひもで自死をしなければならないのです。

この刀で一度、足を切ったこともあるそうですよ、イノシシと格闘しちゃって崖に落とされ、足を怪我したんです、化膿して痛みがひどくなりついに歩けなくなったとき、誰にも見られない岩の陰に身をひそめ、死ぬ覚悟で自分で足を切ったらしいのです。

そしたら失神したけれど生きていたそうで^^; そうか、まだ死なせてもらえないんだな、と腹をくくって再び歩き始めました。

行の最中は、医者にも行けないのです、周囲の人も手出しはできません、ですからすべてを自分で始末しなければならないんですね。ほんとうにこうして書いていてもとんでもない行だなーと改めて思います。

 

写真では法王にだるまを手渡していますよね、これも何だか笑っちゃって。酒井大阿闍梨の素直で純真な心があらわれているような贈り物ですよね。

「法王の願い・・・世界平和がかなったらもう一つ目を入れてください」と言葉を添えてお渡ししたら、とても喜んでくださったそう。

ローマ法王は素晴らしい人で、さすがに全世界の宗教を束ねているだけあり、そばにいるだけであたたかな気持ちにさせてくれた、と酒井大阿闍梨はおっしゃっていました。

 

酒井大阿闍梨の千日回峰行は、You Tubeでも観られますし、その後に行われたインタヴュー(7回に分けてUpされています)もまた、素晴らしく愉快なのですよ。

機会があったらぜひ、酒井大阿闍梨のありのままでありながら個性あふれる生き方に触れられてみてくださいな(^^♪

 

今、これ読んでいますの。

以前、何度かトルストイの悪口書きました^^; 同じロシアの文豪でもドストエフスキーとトルストイの差と言ったらどうだろう! って。

ドストに傾倒する人間はトルストイなんか読めない、って^^;(もちろん読んだことあるんですよ、その上で言ったのです)

でも、シスター高木が

「あのね、人間の死というのはトルストイの『イワン・イリッチの死』に書かれているとおりよ」とおっしゃって。

それなら読んでみようと思って。

この『イワン・イリッチの死』に、トルストイは自身の死への恐怖を描きだした、ということにも多少の興味はありましたしね。

 

みなさまご存じのように、トルストイは、どこかのさびれた駅舎で野垂れ死にしているんですよ、少なくとも野垂れ死にと言っていいみじめな最期でした。しかも、奥さんのことがイヤで家出をしている最中だったらしいわ。

お金も名誉もある文豪の死としてはあまりに残酷だと誰もが言いますが、わたしはそうは思わないんです、トルストイに限らず、死に方なんて問題じゃないと思うから。死んだあとに行くところはみんな一緒ですからね。

決して、行いの悪い者がイヤな死に方をするわけではないんですよ(逆もまたしかり)、これは誤解していちゃぜったいだめだと思うな。

それではなぜこのようなみじめな死に方があるかというと、単に、いろいろな生き方があるように、いろいろな死に方がある、というだけのことじゃあないかしらね。生まれ方や死に方でその人を判断できないんですよ、もっともみじめな生まれ方・・・汚くて臭い馬小屋で生まれた大工の息子・イエスは神様だったのですものね。

 

読み終えたらまた書きますネ。

 

帰ってまいりました。さあ、明日の新作速報でございます☆

お洋服が可愛いと毎日が楽しい

なんてキュート(^^♪

クチュールライン・スウィーツリボンの国ニット

その名の通り、お菓子みたいに愛らしいリボンやフラワーが夢いっぱいに散らされて・・・☆

どこまでも愛らしくどこまでも甘く、どこまでも可憐でどこまでも少女チック☆

ドキドキしちゃう可愛らしさでございます♪

一枚でもとびきりキュート☆ レイヤードでさらにキュート☆

肩口ギャザーのパフ☆

お砂糖菓子みたいに愛らしいベロアリボン、サテンリボン、チュールフラワー、そしてハートパールが夢のように散りばめらています

胸元にキラキラ輝くようなリボンとフラワー☆

清楚なキラめきに満ちたデザイン☆

前回ご紹介のリボンカーデと合わせるとまるでアンサンブルみたい(^^♪

ぜひセットでいかが(^^♪

このスタイルにふんわりスカートを合わせると世にも可愛い令嬢スタイルの完成(^^)/

お色が優しげで甘やかなミルキィホワイトなのでリボンいっぱいでもお上品に着こなせます。

タートルネックにも、折り返してハイネックにも♪ くしゅくしゅとルーズに合わせるのも可愛い♪

しっとりなめらかでスムースな、オールシーズンOKの上質素材☆

それぞれに魅力あるリボンやフラワー、ハートパールが独特の世界観を生み出す逸品でございます(^^♪

この子の可愛らしさと使いやすさもまた格別☆

クチュールライン・リボン&レース モダールニット☆

熱を逃がさない特長をもつ、上質なモダール素材がこの時季から春にかけてとってもうれしい♪

この子は一枚でもほんとうに可愛いんです♪♪

透明感のあるホワイト、ふっくらとしたふくらみお袖☆

何より可愛いのが、タートル部分♪

ラッセルやチュールはたまに見かけますがコットンレースはなかなか見かけません(^^)/

張りのあるコットンレースは華やかさと清楚さを併せ持ち、はっとするほどステキな印象を与えてくれます。

くしゅくしゅっとしたシャーリングが効いてふわっとホイップクリームのような愛らしさ♪♪

クチュールの上質ラインならではのこだわりと繊細さ。

取り外し可能なリボンはレースとベロアのコンビ♪

 

この子ならではのロマンティックムードにあふれています(^^)/

大ブレイク間違いなしの一押しスカート☆

高級素材マイクロ・タフタは手触りスムースで独特の張りがあり、こんなにもふっくらふんわりふくらみます☆

裾からはロマンティックなスカラップレースがちらりで淑女気分♪

レディ感を高めるブラックサテン×白カメリアのブローチがつきます♪

なんてステキなのでしょう・・・(^^)/

正面から観るとゴムスカートには見えないきちんと感があるのに、後ろゴムだからとっても楽チン☆(1サイズ ウエスト62-75)

着丈は約60cm。

このふくらみが素晴らしいですネ☆

一段ギャザーが入っていることでさらに可愛らしくふくらみますの。

こうして観るとまるで「輪っかスカート」に見えるくらい贅沢にたっぷりと生地を使うことで、完璧なフォルムでふくらみます。

履くと最高に可愛いので明日の着画をお楽しみにネ☆

どちらのニットとも相性抜群☆

レディで夢みるコーデをお楽しみいただけます☆

 

トップスは2デザインとも半額! スカートも、お値引き対象ではないところをお買い得価格にて。

トップスは入荷数が少なめのためお早くどうぞ(^^♪

 

その他にもご紹介できるかもしれないしできないかもしれません^^;

詳細は明日のウェブ・ショップにて☆

 

みなさまからのご注文お待ちしております。

バイバイ。


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