メリークリスマス

わたし・・・イヴの夜、友人にメールで「メリクラ♪」と打って送ってしまい大笑いされました。
「アンタはアホや」とお決まりの返信がきたので「メリクラもメリクリもいっしょやん・・・」と開き直りました。
だいたい一文字違うくらいでアホ呼ばわりするのはけしからん!・・・と、思いませんか?
今日は、最近うれしかったことを二つ書かせてくださいネ

長いっすよ~~^m^
一つ目はですネ・・・
15年来の友人・・・正確に言うと先輩なのですが、sさんと先日久しぶりに会って食事をしたときのことです。
sさんは、わたしとは正反対のしっかりきっちりした性格で、美人だし一見近寄りがたく見えちゃうのですが、
実はとっても心のあたたかい人柄で、わたしの大好きな女性です^m^
sさんには昔から「変わりもんで騒がしくてわけのわからないマキちゃん」で通っているわたしのようですが、
決してそんなことはありません^m^わたしは寡黙でクールなオンナですから。
しばらく会っていなかったけれど、会えば、会っていなかった日々の事などすっかり忘れて、しゃべるしゃべる・・・
わたしがニヤつきながら「あたしめちゃ元気でしょ」と言うと
「ほんまやん。安心した。きっと・・・できることはやり尽くしたからやろうな」とsさん。
その一言に・・・わたしは心から幸せを感じました。
うれしい! と叫びだしたいくらいでした!
やっぱりsさんはわかってくれているんだ・・・と。何にも言わなくても、わたしの気持ちをわかってくれているんだ・・・って。
「なんでそんなに元気なの。空元気じゃないの」って言われてもいいところなのにネ。
ある年齢になると、本当の意味での友人を作るのはムツカシクなりますよね。
本物の友人とは、頻繁に会っていても、そうではなくても、心が繋がっていることを感じます。
だから久しぶりに会っても何の違和感もなく話ができるんですよネ!
また、無意識のうちにも選んでいるのは、やっぱり価値観の同じ人であることを改めて感じます。
広く浅くがよいと思っていた若い頃と違い、
今では、本当に一緒にいたい、と思う友人が数人いればそれでいい、と思えるようになりました。
一人でも二人でもいい。言葉だけではなくて、言葉+心で語り合える人がいれば、
救われることをしみじみと感じます。
二つ目は・・・うちのママちゃん。太るのは嫌だ、と断言しておきながら、腹いっぱいしゃぶしゃぶを食べた後に、ぜんざいを食べてしまう、矛盾だらけに生きている実家の母との会話でのこと。
その前に・・・
わたしはダーが旅立ってから、この二ヶ月間に、50冊くらい本を読んだのですが、
そのほとんどが、死について書かれたものなんですね。
逝ってしまって数日後、さみしさを埋めようとしたのもありますが、それ以前に、ダーの死に関しては不思議なことばかりが起こり、それが死後も続いていましたので(どれもすべて幸せを感じるようなことばかりです)、
それがなぜなのか、を自分自身の心で検討したかったからです。
慰みに死の世界を信じたりしたくはなかったんです。
しかし、なんでこんなに不思議なことばかり起こるねん? と疑問だったんです。
そして、初めて江原さんの本を読みました。
わたしは実際、この方のことはほとんど知らず、テレビも観ていませんでした。
ただの肥り気味でいつも笑っている人(失礼な・・・)、くらいしか印象はありませんでした。
これまでのわたしは、いわゆる唯物論者(物事のすべては物質から成っているという考え方)でした。
本物の科学者と暮らしてきたので、それに更に拍車がかかっていたようです。
科学的に証明できないものを信じることはできませんでした。
ダーは、信仰心の篤い人でしたが、全体的には、やはり科学の目で物事を捉えていました。
「死はすべての終わりではない。次の段階へのステップにすぎない」
以前書いたように、これはダーが研究していた日本住血吸虫の生態から学んだ考え方ですが、キリストの教えにもつながっています(神のもとへ帰るということ)。
しかし、わたしは、それさえも信じていませんでした。
「死は無になること」「すべての消滅」であると思っていました。
わたしは実際に、ダーに向かって「死んだらおしまいなんだよ。だから絶対に死なないで」と何度も言っていました。
あのときはそれでよかったと思います。もし、わたしが、死後の世界を信じるような人間であれば、あれほどまでに積極的に治療に携わってこられたかは疑問だからです。
死が、この世の苦しみからも煩わしさからもすべて解き放たれた輝く世界への旅立ち、本来の故郷への里帰りだと信じていたなら、
気持ちは楽であったにしろ、もしかすると、生に執着する気持ちが薄れてしまったかもしれません。
わたしはやはり、生に執着して、とことんまで治療を続けたことに大きな意味があった、と確信しています。
ただ、いまは、唯物論では語れないものを信じています。
つまり、肉体の死がすべての終わりではない。
死んで無になるのは肉体だけで、魂は、意識体として永遠に不滅であることを信じているんですネ。
よくよく考えると、唯物論的考え方には、「心」がありませんよネ。
「心は脳が動かしている。脳こそ最高司令塔」とは医師をはじめとする科学者たちの見解ですが、それを見事に否定するような研究結果も出ていることから、
脳と心は別であると、心=魂は肉体を持っているときには思いもつかないほど、ある意味鮮明なものだと信じています。
もし、肉体の死が、すべての終わりであったなら、人間の生とはなんと虚しくさみしいものでしょう(>_<)
わたしは考えました。あんなにもたくさんのことを成し遂げてきた、人のために尽くしてきた
わたしのダーが、肉体が滅びただけで本当に消滅してしまうのだろうか、と。
即、決してそれはないだろう、と思いました。
わたしがなぜ、こんなにも元気で、毎日暮らしているのか、時には泣いてしまうけれど、でも、そこからまた立ち直ることができるのだろうか、
ダーがわたしを愛し続け、この世に生きているときとは比較できないほどに圧倒的な力を持って、
わたしを護ってくれているからに他なりません。
わたしの耳には、いつも、生前よく口にしてくれていた「マキ、愛しているよ」というダーの言葉がこだましているのです・・・(ノロケ)
いつかかならず再会できることも信じています。
話を戻します。
で、江原さんの著書は・・・かなりの数がありましたが、入手できるものはすべて読みつくしたのですが、
やはりどこかふっきれない部分があったんですよ・・・
わたしは未だ、霊媒とかいう存在による死者との交信のようなものは信じていません・・・。
もし自分がやってもらったなら信じられるのかもしれませんが、それでもどこか懐疑的です。
なぜなら、ダーがわたしに伝えたいことがあるなら、霊媒など通さず、わたしに直接語りかけてくれるんじゃないかなあ・・・と。
声が聴こえなくても、あの人がわたしを護り続けてくれている事を、言葉ではうまく説明できないまでも、実際に感じているからです。
それから、霊界のシステムみたいな・・・そういうところも・・・ちょっとうまくわたしの中には入ってきませんでした。
わたしの心が狭いため、ちゃんと入ってこないのだと思いますが・・・。
江原さんは、スピリチュアルな世界をオカルト的に見てほしくない、と一貫して仰られていますし、伝えようとされていることはよく理解できましたし、
愛する人を失ってでも生き抜かなければならない、その意味を、教えてもらいました。
でも、ちょっとわたしには(元唯物論者には^_^;)物足りないというか・・・これらのことを科学的に検証されたようなものはないだろうか・・・たとえば医師が書いたようなものはないのだろうか・・・。
いろいろ探して見つけたのが
・エリザベス・キューブラー・ロス(精神科医)
・レイモンド・ムーディ(精神科医・哲学博士)
・マイクル・セイボム(心臓外科医)
・ケネス・リング(心理学者)
・カーリス・オシス(心理学者)
・エルレンドゥール・ハラルドソン(心理学者)
たちにより研究、執筆されたニアデス(死に最も近づいた人たち、臨床的には一時死んでしまった人たちが体験する肉体を超越した出来事)書籍でした。
この中の、キューブラー・ロスの一部と、オシスとハラルドソンの二人が書いた『人は死ぬとき何を見るのか』は死後の世界の存在をデータをもとに検討したもので(キューブラー・ロスはデータはあまり重要視していませんが)、
その他はすべて、ニアデス(臨死体験)を科学的に検討、データを出したものです。
ちなみに、ケネス・リングは最初の著書『いまわのきわに見る死後の世界』で
ニアデスを、正確なデータを根拠に、科学的に検証した素晴らしい書籍でしたが、
その後は、ちょっと理解不可能な方向に向いてしまったようです。
日本の科学者は、この手の問題を避けて通ると言うか、ほとんど無視していますから、あまり書籍も見当たりませんが、
日本人なら飯田史彦さん(福島大学助教授)の書かれたものがおススメです(読みやすく書かれています。この方は生まれ変わりの研究を主にされていますので、そのへんは好み次第ですが)。
本物の科学者、特に現役の心臓外科医のマイクル・セイボム医師が書いたものは、
瀕死状態の患者と直に接していることから、
圧倒的に真実味があり、唯物論に「科学的反論」を起こす最たるものだと思います。
特にわりと最近出版された『続・あの世からの生還』の中で書かれている「パム・レイノルズ」という女性のニアデス体験は圧倒的です。
この方の体験は、ニアデス研究史上最有力の体験とされています。
パムは、体温を摂氏16度にまで下げて心臓を停止させた上(心電図はフラット)、頭部の血液を抜き、
脳幹の働きを完全に停止させた状態(臨床的には完全に死んでいる状態)で特殊な手術をした際に、鮮明なニアデス体験をしたのです。
彼女は、臨床的に死んでいる間、肉体から抜け出て、手術中のほとんどすべての物事をはっきりと視覚し、
術後に、セイボム医師にそれらを語り、セイボム医師が事実確認をすると、ほとんどの証言が明確だったのです。
加えて、この手術を行ったのは世界的に著名な脳神経外科医でした。
これによって、ニアデスは、脳内現象ではない、つまり脳と心は別物であることが強く示唆されました。
このようなことを研究発表できるのは、医師の特権であり、また事実であるからこそ、読む側の人間を納得させてくれる説得力があります。
ただし、どのように優れた研究でも、死後の世界を証明したものではありません。そんなことは生きている人間にはできないことです
(いくら臨床的にしばらく死んでいたとはいえ、生還しているわけで、本当の死者ではないのですから)。
もしかしたらあるかもしれない。いや、あることが濃厚だ、というのを示唆しているだけのことです。
脳がすべてではない、ということは、心の世界、つまり魂の世界があるということ・・・肉体的に死んでも魂は存在する、ということを示唆する根拠になるからです。
その「示唆されたこと」を信じるか、信じないか、ということなんですけど、わたしは信じるほうに傾いちゃったんですネ。
内容については、省きますが、これらを熟読すると、死に対する考え方はもとより、生に関する考え方も変わります。
もちろんいい意味で、です。
死の向こう側にも、わたしたちの魂が生き続ける世界があるとしたら、
いよいよ、この世での生活をおざなりにしてはいられません。
たとえば、死が終わりでないとすれば、「やり逃げ」はできないわけですよネ。
「たくさん悪いことをしてやれ、死ぬまでに見つかりさえしなければいいんだ。どーせ死んだら無になるんだから罰を受けることもないだろう」決してそうはならないわけです。
やったことはすべて向こう側にも持って行かなくてはならないんです。
(罰かあるかどうかは知りませんが)
肉体の死が終わりではない、ということを知ると、この世で生き抜くことの大切さを、おのずと理解できるようになるんですよね。
これこそが、ニアデス研究・死後研究の最大の偉業ではないか、とわたしは思います。
愛する人が待っているのだから恥ずかしくないような生き方をしよう。
愛する人を失ってもまた会えるのだから、それまでは自分の人生をきっちり生き抜こう。
間違っても、愛する人を追うような死に方ではなく、愛する人に笑って迎えに来てもらえるような死に方をしなければならない、と思ったりします。
死が近づいたとき、愛する故人が迎えに来てくれることは、
わたしの周囲でも確認しています。たとえば、まりこママのお父様は、亡くなる少し前、安らかな顔で天に向かって両手を挙げたので、まりこママは「誰か迎えにきてくれてるんだね」と言ったそうです。
わたしのダーは、臨終の日、朝から何度も「ゆっくり・・・ゆっくりね・・・」と微笑を浮かべながらつぶやいていました。
その時は意味がわかりませんでしたが、その後、迎えに来てくれた(たぶんお父さんだと思いますが)人に向かって言っていたのだろう、と思いました。
ダーは最後まで、はっきりと意識があったので(痛み止めを自分で拒否し、亡くなる寸前にわたしの目をしっかり見て名を呼んだくらいなので)、エンドルフィンによる脳内麻薬現象ではなかったはずです。
また、ダーは、亡くなる3日ほど前から、夜になると、遠くにいるお母さんの枕元にお別れを告げに行っています(お母さんが、静かな足音を聞き、誰かきたからドアを開けて、と言ったのを弟さんが確認しており、ダーの留守電にお母さんからの心配そうな声でのメッセージが亡くなる3日前から当日まで何度か入っていたのをわたしが確認しています。お母さんは、ダーの危険な容態を知りませんでした)。
長くなりましたが、そういうわけで、わたしは、唯物論を棄てたんですね。
わたしの唯物論は結構徹底していたので、もしかしたらダーがその考え方を変えるよう、
わたしにあらゆる書籍を読ませたのかもしれません。
で、母と喫茶店でお茶を飲んでいるとき・・・ふと思いついて言ってみたんです。
母がどんな反応をするかにも興味があって。
「あたし死後の世界を信じるようになってん。死はすべての終わりやないんちゃうかって」
そしたら母はなんと・・・
「そりゃあそうでしょ。死後にも世界があるはずよ。どんなのかわからんけどね」などと、さらりと言ってのけたのです^_^;
ええっ!? いやー本当にびっくりしました。
どう考えても、母がそのように応えるとは思えなかったからです。
わたしは母に変人扱いされるだろう、と思っていたからです。
眉間に皺を寄せ「マキちゃん・・・アンタ、そんなことばかり考えてたらあかんよ」と心配されると本気で思っていたんですよ(ーー;)
母が、なぜそんなふうに思うのかわかりませんが、わたしはものすごくうれしくて有頂天になり
運ばれてきたアイスティーを一気飲みしてしまいました(はあ?)。
まあ、それ以上・・・たとえば上に書いたような話をしても母にはわからないだろうからしませんでしたが、
わたしの周りには、やっぱり価値観の似ている人たちが集まっているんやなー、と
しみじみうれしく感じた次第です^_^;
最後に、歴史上の偉人たちが残した言葉をいくつか・・・
「科学を追及している者は誰であれ、宇宙の法則の中に神の霊が存在していることを
確信するに至る。神の霊は人間の霊をはるかに凌ぎ、
神の霊を前にした人間は、自らの力のささやかなることを知り、
謙虚にならざるを得ないのである」
アルバート・アインシュタイン
「人間は二通りの基本要素『脳と心』から成っているという考え方は、
一方『脳』のみから成るという考え方と比べて、可能性という点では特に差はないように思われる」
チャールズ・シェリントン(ノーベル医学生理学賞受賞者)
「わたしはこれまで自分の半生をかけて、脳によって心を説明しようとしてきた。
・・・・・心が最高位の脳機能によって働いたり、働きを止めたりするのは事実である。
だが心はエネルギーを持っている。しかしそのエネルギーは、神経線維を伝わる電気的なものとは異なっている。
ここから先はわたしの出る幕ではない」
ワイルダー・ペンフィールド(1970年代の著名な脳神経外科医)
「心はときどき空間、時間的な因果律の外で機能する。これはわれわれの空間や時間の概念、
したがって因果律の概念は不完全だということを示すものである」
カール・ユング(ニアデス(臨死)経験後の言葉)
最後まで読んでくださったみなさまありがとうございました(*^_^*)
今年も残り僅かですネ。
終わりよければすべてよし! の精神でがんばっていきまひょー♪