オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

わたしのダー(*^_^*)

2007-11-06 | 想い
みなさまこんばんは。いつもありがとうございます。

毎日たくさんの暖かいお言葉をいただきまして・・・本当にありがとうございます。

いただいたメールの中には、愛するお父様やお母様を亡くされたときのこと、大切な友人を亡くされたときのこと、
また、現在お子様が病気で日々奮闘されていらっしゃること・・・など、
自らの経験から得た心の想いを綴ってくださった方もたくさんいらっしゃいまして・・・
読ませていただきながら、人はみな、普段どんなに明るく振舞っている人であっても、
心の中ではいろいろな悲しみや困難を相手に、自分自身と闘っていることを改めて知りました。


わたしたちは生きている限り、必ず愛する人の死を経験しなければなりません・・・
それがわたしのように現在であれ、遡った過去であれ、まだ見ぬ未来であれ・・・
必ず経験しなければならないことなんですよね・・・。誰だって、絶対に避けることはできない・・・。
自分自身の死ももちろん・・・。

辛いけれど、悲しいけれど、さみしくてどうしようもないけれど、
必ずやってくるのですから、そのときに自分を見失ってしまわぬよう、日頃から自分自身の心を癒す術を見つけ出しておくことが必要なのかな、と思います。

わたしの場合は、
ダーが、以前からわたしに教えてくれていた「死」に対する価値観、
そしてわたし自身がダーの闘病生活の中で、いつの間にか築いていた死への想い。
何より、生きるためにできることはすべてした。最期の最期まであきらめなかった。後悔のない闘い方をした、ということが、心を癒す術になっているように思います。


わたしのダーは信仰心の厚い人でしたが、根っからの科学者でした。
そんな彼がわたしに説いていた「死」は、「死は終わりではなく、次の段階へと進むステップである」ということでした。

ダーは、若い頃、医学部の研究室で「日本住血吸虫」という虫の研究を行っていました。
この虫が体内に寄生して起こる疾患「日本住血吸虫症」は、昔は日本の山梨県などを代表とした風土病でもあり(水田改革により現在日本では根絶しているようです)、
現在も東アジア方面など発展途上国では、この疾患により死亡する人が大勢います。
この虫はヒトに寄生すると(イヌやネコなどにも寄生します)、宿主の体内で成長し、最終的には宿主を死に至らしめます。
ダーは、この疾患の研究と医療支援のため、フィリピンや中央アフリカに長期滞在するなど、この疾患のスペシャリストでした。

彼は、死というものを、この「日本住血吸虫」の生態に置き換えて説明することがよくありました。


・日本住血吸虫の生態は・・・

宿主(寄生したヒトやイヌ・ネコ・牛など)のうんちから卵が排出される→水中で孵化→ミラシジウム幼生に変化→ミヤイリガイという巻貝の体内に侵入→
ミヤイリガイの内でスポロシスト幼生に変化→ミヤイリガイの体内でセルカリア幼生に変化→
ミヤイリガイの生息する水田に宿主が皮膚を浸ける→皮膚から侵入→門脈に吸い付き宿主の体内で悪さをして最終的に宿主を死に至らしめる・・・
・・・このくり返しです。

それにしても、この虫はなんと多彩な変貌・変化を遂げていることでしょう・・・
なぜこのような変化を辿るのか、という疑問は愚問で、ただそうなるようになっているからそうなる、というのが答えだと思います。

寄生虫と、人の死をいっしょにするなんて・・・という声もあるかもしれませんが、
ダーの言いたかったことはそのようなことではありません。

日本住血吸虫は様々な変化・変貌を遂げ、次の段階へと進んでいく。
人もまた、様々な変化を遂げ、次のステップへと進んでいくのであれば、死は次のステップへの経過でしかない・・・

ダーはわたしに、自分自身が長年携わってきた、日本住血吸虫の生態を明かすことで、死は最終的なものではない、ことを示したのです。
彼のそうした理解は「生命の不思議」に繋がっているものだと思います。
彼は科学者で、科学的根拠のないものは信じない性分でしたが、一方で、この虫の不思議な生き様に、科学では証明できない、自分たちには計り知れないことが起こっていることを悟っていました。
目に見えるものだけがすべてじゃない。
耳に聴こえてくることだけがすべてじゃない。

だからこそ、科学者なのに、信仰心の厚い人だったのだと思います。

確かに、わたしたちはなぜ自分がここに在るのか、その答えを出せる人はいないのではないでしょうか。
母親の胎内で、細胞分裂をくり返し、産まれ出てきたことは知っていても、
なぜ一個の細胞が秩序を保ちながら倍々ゲームをくり返し、人の形になるのか・・・
なぜ精神を宿して生まれてくるのか・・・
そもそもなぜ人類が誕生したのか、どうやって創り出されたのか・・・
さっぱりさっぱりわかりません・・・

昔は、人が生まれてきた意味も生きる意味もわからないことで落胆し、自殺をした哲学者が大勢いたと聞きます。

答えの出ないものを追い求めて窮地に陥るのではなく、答えの出ないものは答えの出ないものとして扱うしかないのではないかな・・・とわたしは思っています。
生物の誕生のすべては神秘的で、答えなど出せるはずもない。
「なぜそうなるのか」ではなく「そうなることが答え」ということでしょうか・・・。
そう考えると、日本住血吸虫の生態も、人の死は終わりではなく次の段階へいくためのステップでしかない、
という想いも、受け入れることができるのではないでしょうか。


わたしは、亡くなる人は、みな、幸せな気持ちで次の段階へ進んでいくと思っています。
わたしのダーのように、最期まで意識があり、痛み止めも延命措置も何もせず、「ありがとう。幸せだった」と言って、笑って旅立つ死もあれば、
事故やある疾患での突然死、また、最期まで苦しんだように思われる死など・・・
様々だと思いますが、それでも、わたしは、亡くなる方はみな、幸せな気持ちで次のステップへ上られるのだと信じています・・・。

先日も書いたように、わたし自身は、信仰心の厚い人間ではないんですね。
ものすごく現実的で、心の目で物事を捉え、心の声で何かを聴く、というようなことが困難で、
「あたしってほんと俗的だなあ・・・」と思うことがよくあります。
ダーとの日々で、特にこの二年間で少しは変わってきたとは思いますが・・・
それでも俗的な人間に変わりはなく、そんなわたしでさえ、死は終わりではない、ということはずっと信じていました。
死により「無」になるのは肉体で、精神(魂)はずっと生き続ける、って・・・。

もし、ダーの魂がわたしを見守ってくれているとしたら・・・
わたしがいつまでも悲しんでばかり、泣いてばかりいたら、どんなに心配するだろう、って思うんです。
日頃から彼は、「もし自分が死んでも、いつまでも泣いていたらだめだよ。真希は絶対に幸せになれるからね」と
言っていました。
「真希、愛しているよ。大丈夫だからね」と最期まで言ってくれました。

「死」に対して、特に愛する人の死に対しては、人それぞれ価値観の違いがあると
思いますが、
わたしは、本当にその人のことを愛していたなら、精神力のすべてを使ってでも、その人の死を受け入れ、強く強く生きていかなければならないんじゃないかな、と思っています。
遺された人たちが、亡くなった人に心配をかけないような生き方をすることこそ、亡くなった人への最大の供養であると思っています。

そうは言っても、確かに、現実は厳しいものです。
愛していればいるほど、その人の不在に耐え切れない思いがします。
でも、それでも、やっぱりわたしは、どんなに辛くても受け入れなければならないよね・・・と思っています。
今すぐじゃなくてもいい。ゆっくりでもいいから。

もしわたしが死んだら・・・わたしだって、愛する家族や友人たちにいつまでも悲しんでいてほしくない・・・
できることなら早くわたしへの執着を棄てて、新しい日々の中で幸せを見つけていってほしい・・・。
愛する人がいつまでも自分のために泣き暮らしているのをそれでいいなんて思えるわけがありません・・・。

死は忌むべきもの、悲しむべきもの・・・と思うのは、決しておかしなことではありまんし、
生きている人間が当然抱くべき感情だと思うのですが、
そんなわたしたちにも必ずいつか・・・死は訪れるんですよね・・・
決して逃れられないものです。
それを、忌むべきものであり、悲しむべきものだと決め付けてしまうのは、ちょっと違うんじゃないかな・・・と思ったりします。
死は必ずやってくる。だからこそ、死について、もう少し、穏やかで精神的な捉え方をしていないと、
本当に死がやってきたとき・・・安らかに迎えることができないのではないかな・・・なんて考えたりします。

また、死を忌むべきもの・・・としてしか捉えられないのは、生にたいする否定でもないかな・・・って。
生と死は、決して切り離すことのできない一セットなのに・・・って。

ダーもわたしも、最期の最期まで生きることに執着し、何が何でも生きてやるぞ、と死に反抗してきました。
当然です。
わたしにしてみれば、こんなに愛する人を簡単に死なせるわけにはいかなかった。
ダーにしてみれば、こんなに愛するわたしをひとり残していくわけにはいかなかった。
自分の体の中でひとつひとつ破壊が起こり、容態が悪くなっていく中でも、新薬の投与に前向きだったダーは、本当に、最期まで生きることをあきらめなかった人でした。

そうであれば、わたしにとってダーの死は怒りそのものではないか、忌むべきものじゃないか、と思われると思いますが、そうとも言えませんでした。
確かに、ダーの死はわたしにとって、これまで生きてきた中で一番の衝撃で一番の悲しみで、言葉になんて言い表せないくらいの想いがあります。
愛する人を失ったとき、誰もが経験する、
他人にはわからない・・・自分だけの想いをたくさんたくさん持っています。
決して誰にも言えない想いをたくさんたくさん持っています。

だけど、最期まで生きることをあきらめなかったからこそ、死は穏やかに、やさしく、訪れてきてくれたように思うのです。
「よくやったね。がんばったね。お疲れ様ね・・・」と。

目尻を下げ、口角を上げ、本当に笑顔で逝った彼を見たとき、わたしの中に、死に対する怒りは生まれてきませんでした。
途方もないさみしさや悲しみはあったけれど、怒りはなかった。
やさしく迎えにきてくれたんだ・・・という感動があっただけだったと思います。

ダーは死の前、「道を整え ローソクを灯し 天使を待とう」という自分で創った言葉を紙に書いていましたが、
そのとおり、道を整え、ローソクを灯していた彼を、やさしい天使たちがそっと抱き上げてくれたような・・・そんな感じがありました。

そんなふうにやさしく迎えてくれたことに対して、わたしは、
自分自身の途方もないさみしさや悲しみとは別のところで、
ありがとう、わたしの大切な人をやさしく迎えにきてくれて・・・と、感謝の想いすらあります。

生きることを軽んじたり逃げたりした結果の死と、最期まであきらめず生に執着し続けた死とでは、
同じ死でも違うと思っています。
ダーはまさしく後者でしたし、だからこそ、穏やかな死を迎えられたのだと信じています。

ダーの死に携わってくれたある方が、今でも毎日のように言ってくれます。
「真希ちゃん。先生の死は本当に素晴らしかったよ。たくさんの死を見てきたけれど、誰もあんな死に方できないよ。絶対にできないよ。
真希ちゃん、これでよかったんだよ。本当によかったんだよ」と。
慰めでも何でもなく、それが真実なんだと知ったとき、わたしは心からうれしく思いました。
ダーの死を、悲しいものとばかり決め付けるのは、ダーに対して失礼だと感じるようにもなりました。


だけど・・・だけど・・・愛する人の死はとてもさみしくて悲しくてやりきれなくて・・・
死というより、その人の不在に圧倒されてしまって・・・
部屋中あちこちにダーの想い出が散らばるのみで、実際はいない・・・
どこにもいない・・・
その現実に打ちひしがれて、心がつぶれてしまいそうになる・・・
なんでいないの? と大声で叫びたくなってどうもこうもない・・・
ダーの匂いがこびりついているジーンズやハンカチやいろいろなものを抱きしめて、それで心の平穏を保っているときもあるんです・・・。

それでも。それでもわたしは、心の深いところでは、満たされた想いでいるのです・・・
何だか言葉で説明するのは難しいですね・・・。

こんなことを書くと笑われそうですが、わたしはイヤというほどダーに愛されました。
なんでこの人はこんなにも強くあたしを求めるんだろう・・・
なんでこの人はこんなにもわたしを愛し、理解し、護ってくれようとするんだろう・・・と、正直、不思議なときもありました。
単に女性として愛されている、というよりも、何だか本当に、無償の愛みたいなのをずーっと感じていたんですね。
わたしたちはお互いに隠し事が一切なかったので、ケンカも多く、一日口を聞かない・・・なんてこともよくあったんですよ。
それでも、ケンカをしながらでも、いつも、ダーの自分に対する無償の愛を感じていました。

でも、わたしの満たされた心は、わたしに対するダーの深い愛を得られたことだけに依存しているわけではありません。
もしそれだけなら、逆に後悔とさみしさで泣き暮らしていたかもしれません。

わたしが愛する人の死を完璧とは言えないまでも受け入れることができた「核」になること・・・
それは、わたしたちが、精一杯、できる限りことを尽くして、病気に立ち向かっていったことなのですが、
それはまた後日書かせていただこうと思います。




ダーの作った置くだけフェンスの文字に色を塗ってくれる優ちゃん・・・

ピンクという色にとことんこだわってうるさいわたしのために、ダーが買ってきてくれたのは
こんなにかわいいベビーピンクでした。



場所も移動して・・・とってもステキになりました。

優ちゃんは、あと二つ・・・作りかけのままになっていた置くだけフェンスを完成させるべく
がんばってくれています。

それにしても・・・ダーがどんなにうれしがっていることでしょう・・・
優ちゃんが自分の後を引き継いで作ってくれるなんて、きっと夢にも思わなかったでしょうから・・・
本当に喜びながら、優ちゃんを叱咤激励していると思います。



素敵なマット類・・・とっても優雅で雰囲気ありますよね(*^_^*)
すべてメーカー価格より大幅値引きのセール価格にてご紹介いたします。
本当は今夜の予定だったのですがサーバーがメンテナンスに入っていて、
HPの更新ができないんですよ。
なので明日以降に・・・。



画像よりずっとキレイな上品ピンク・・・♪
ロングサイズは縦幅がそれほど大きくないので、ベッド下のマットにとってもいいと思います♪

かなりステキなので大ブレイク間違いなしですね・・・(*^_^*)

お楽しみに。





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