(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書『英国大蔵省から見た日本』

2008-04-19 | 時評
読書『英国大蔵省からみた日本』(木原誠二 文春新書 2002年2月)

 最近の政治の混乱は、目をふさぎたくなる。一体日本はどうなってしまうのだろうと要らざる心配をしてしまう。日銀総裁の人事一つ決められず、空白をつくってしまった。そんな時に民主主義の発祥の地である英国ではどんな政治システムになっているのだろうと、大分前に読んだ本を引っ張りだしてきた。これは、日本の財務省(当時の大蔵省)と英国の大蔵省(Her Majesty's Treasury )の交換派遣制度によって、1999年7月から2年間にわたり、英国行政の現場で働いた若手官僚の書いたものである。

 大蔵省だからといって、財政・金融の話ではない。むしろ彼の地の政治のあり方についての観察である。また7年も前のこととはいえ、この観察とそこからくる思考は、大変前向きであり、今もなおその価値を失っていない。是非みなさんにお読み頂きたいとご紹介する次第である。著者は、財務省の若手官僚である。1997年7月から2年間英国大蔵省へ交換職員として派遣された。その前にもロンドン大学で日英の金融制度に関する法制比較研究をしている。しかし、この本は金融や財政に関するものではなく、むしろ4年間の英国滞在を通じて感じた、日本のありかた、特に政治のありかたについて感じたことをまとめたものである。

 出発点は、「なぜ日本は失われた10年を迎えたのか? そしてなぜそこからなかなか脱却できないのか」という点にある。これらの点に関して鋭い観察眼と問題意識に裏打ちされた著述がある。とくに一人一人の意識改革が重要、と説く著者の考え方には深い共感を覚える。  注)「失われた10年」とは、1990年代の10年間のことである。この期間中の日本のGDP平均成長率は1.3%、生産性は先進7カ国中最低の1.8%に落ち込んでいる。

そして著者は、言う。
 ”英国に来て今回最も印象深かった点は、一発逆転満塁ホームランを狙う革命的指向とは、百八十度反対に位置する「進化する保守」の中に英国の思考法をみた”

 ”どんなに強い指導者を持っても、どんなに素晴らしい改革のプログラムを手にしても、それを支え行動に移す我々一人一人の意識改革が進まなければ、再び何十年後かには停滞を迎えるに違いない・・・”

(たとえば金融ビッグバンにしても)
 ”すくなくとも英国や米国のビッグバンには、小さな改革の流れが少しずつ集まって大河となっていくダイナミズムと永続性がありし、民間主導で改革が進むいき生きした感覚がある”

そして著者は、このようなアプローチの違いが生じてきた所以について英国のコモンロー的思考に着目している。ー「進歩する保守の国」英国
  
 ”英国では、大陸法のように、法が体系化されることがなく、法の体系的・網羅的な美しさよりも、裁判所が事実関係に即して妥当な解釈と救済を図る中で、判例の積み重ねによる一群の法体系がつくられてきた”

 ”現在世界を見渡すと、新しい挑戦に果敢にとりくみ元気がある国には、ニュージーランド、豪州、英国、カナダ、米国など、コモンローの伝統をもった国が多い。何故かとということを考えないわけにはいかない。特に、英国の場合は、成文憲法を持たないという意味で、「コモンロー」的な考え方が一層際だっており、それは、日本のような成文憲法の国とは全く異なる思考方法を持っていることを意味している。かんたんにいえば、英国は歴史と伝統に裏打ちされた「進歩する保守の国」であり、英国人の考え方は、イデオロギーや大げさな理論を大上段に振りかざすのではなく、徹底した実践感覚と、公的関係よりも私的関係を重視する人間、個人への信頼に根付いたものである。”                 ”

  ”コモンロー的な考え方、英国社会に深く根ざす「進化する保守』的思考方法についてしっかりと理解せずに英国からなにか学ぼうとしても、それは熱帯魚を氷水の中で飼おうとするような無謀な結果に終わってしまう危険すらある・・”

英国は基本的に保守の国であるが、伝統に縛られて変化ができないと、いうことではなく、むしろ変化に対して柔軟である、と指摘する。英国の保守党の真骨頂は、維持するためには(生残るためには)変革しなければならない 、ということにある。そして近代保守主義の創始者の一人であるエドモント・バークの言葉を紹介している。

  ”変化のための手段を持たない国家は、その存在事態維持することができない”
 
制度上、英国が変化ということに対してタブーではなく、きわめて柔軟だという事実ほど、現在の英国の強さを説明するものはないであろう。こういう変化への取り組みの事例やアプローチの仕方がおおく紹介されていて、日本との対比で見ていくと大変興味深い。

(とりあえず試してみる、そして現実的であること)
 ”英国では、行政の行う政策を評価する仕組みについて、サッチャー政権以後多くの試行錯誤が繰り返されてきた。そのなかで英国大蔵省は、国民の税金を各省庁が実施する政策の財源として配分する以上、その効果や効率性についてしっかりとしたチェックをしなければならないとして、政策評価に深く関わってきた。特に1997年に労働党政権が誕生すると同時に、大蔵省は総歳出見直しをおこない、その結果を発表するとともに、3年間の期限で、公共サービス同意と、アウトプット・業績分析を各省庁とのあいだで締結した。
(Public Service Agreement, Output and Performance Analysis)

公共サービス同意とは、各省庁が向こう3年間で行う政策についてその政策意図、政策目的、政策目標を掲げ、これを大蔵省との間の同意として国民に公表するものである。特に重要なのは政策目標で、「人口一万五千人以上の規模の町からの下水処理について二次処理を確保」というような具体的なものである。

個別の工事やプロジェクト評価というのは珍しくないが、こうした省庁の政策を大きく評価する取り組みは世界的には必ずしも多くない。”

 →日本でも是非取りいれて欲しい。地方官庁もふくめて。

日本からも様々な分野の人が、調査に来て、いろいろの機関で話を聞くが、「数値化が難しいものはどうするか」、「政策目標に細かいものやおおざっぱなものなど各省庁でばらつきがあって、統一的ではないが、問題はないか」などなど、様々な質問がだされる。それに対する英国側の返答は日本人の想像していたものとは異なる場合が多々あった。 たとえば「数値化が難しいものについては、努力するが無理なら無理でしかたがない」 「成功しようがしまいが、試すだけの価値はある」平たく言えば、「とにかく始めてみて、少しづつ直せばいいじゃないか、何で、今そんな事を質問するのだ、今は今の状況を見ながらできるところから始めればいいじゃないか」ということである。
 
 いずれにせよ、判例や慣習を積み重ね、徐々にではあるが着実に変革を積み重ねてゆく、そんなコモンローの精神こそが英国体質である、と著者は見た。


(日本には何が必要かー変化を叫びつつ変化を潰す日本)
変化の芽をつみ取る「非寛容」の克服として、英国でみた面白いエピソードが紹介されている。

 ”次のような事件が日本で起こったら、どのような反応があるであろうか。
2002年ミレニアムを迎えた英国では、政府の肝いりで膨大な資金がミレニアム事業と呼ばれる巨大事業に投入された。東京ドーム三個分のミレニアムドーム、テムズ河畔の世界最大規模の観覧車、セントポール寺院とテート美術館新館をむすぶミレニアムブリッジ。ところが、いずれも当初見込みから、大幅にはずれる結果となった。ドームは観客動員数が伸びず大赤字、観覧車はなかなか完成せず、やっと完成したと思ったら開業日には動かない。ミレニアムブリッジに至っては、デザインの斬新さが災いして、歩けば大きく揺れるしまつ。ところが、担当大臣は、「国民はミレニアムドームの別の一面(成功した部分)をみるべきである。一から十まですべてが成功することはできない」と語る。さらに奮っていたのが、ブリッジの設計担当者だ。TVのインタビューに答え、”これまでにないモダンな設計の21世紀性をみて欲しい、いままで通りの詰まらない橋をつくるよりよっぽどましじゃないか」と。
日本で、政府が率先して多額の資金をつぎ込んだ事業がこれほど見事にことごとく失敗したら大変である。責任者は、深々と頭を垂れ、まるで犯罪者のごとき扱いをうけるのは必至であろう”

 日本は革命的変化を好み、英国は私流にいえば進化を好むと述べた。それは別の言い方をすれば「欠点、欠如」という進化に必ず伴うものに対して英国は思いのほか寛大だということであり、均衡状態に対して変化をもたらすことで生じる悪弊や不十分さに対して、ことさら騒がず、是正してゆこうという前向きの姿勢とも言えよう”

さらに反対意見を許さない日本社会の雰囲気の問題や、理念の欠如などについて述べているが、もうひとつの変化をつみ取る悪弊として官依存の体質をあげているが、それを脱却するのに国民の自立的視点ということが必要であるとして、次の
ように英国の事例も含めて説明している。

 ”国家はそうした国民の自立的視点の育成をサポートするように活動すべきであろう。日本と英国で政治課題としてマスコミや選挙、あるいはクエスチョン・タイムなどをはじめとする議会での論戦で取りあげられる話題の違いは、この国民の自立的視点ということを考える上で非常に参考になる。

 英国で政治課題、話題として真っ先に取りあげられるものには、「小学校の1クラスあたりの生徒数が労働党あるいは保守党の下で上がったのか下がったのか」、
「乳ガンの発生率が他の先進諸国より高いが、これまで十分な予防措置が講じられていなかったのではないか」、「同性愛について学校でどのように指導していくべきか」などなどで、とにかく国民の生活に密着したものが多い。・・・・・

日本では、上から近代化が進められてきたせいでもあろうが、憲法問題であるとか
マクロ経済政策であるとか、・・・そういうことばかりがマスコミでも選挙でも取りあげられる傾向が強いように思う。そして国民の生活に近い細かい問題は、切り捨てられる傾向がつよい。それどころか、日本社会全体に、国民の生活に密着した細かい事柄をわざわざ取りあげたりする人を、器の小さい、学のない人間のように扱う傾向もないではない。こうしたことが、国民が政治や行政に積極的に関与する機会を奪い、結果として下から沸きがあるような変革の気運が生じてこない一つの原因にもなっている・”


以上、ざっと英国のいいところを見てきたが、もちろん影の部分もある。貧富の差の拡大、教育の荒廃、犯罪の増加などについて述べるのも著者は忘れていない。また最後に重要な問題として政治・行政における制度信仰に陥った日本を、英国の議会制民主主義との対比で議論している。価値ある一節であるが、ここでは長くなるので省略する。

      ~~~~~~~~~~~~~~~

 著者がこの本を著したのは、2001年の帰国後すぐの時点である。弱冠わずかに31才。こんな若手が、とびっくりするくらい視点がしっかりして、読んでいて有望な若手官僚の存在に嬉しくなった。こういう職場交換を外務省や経済産業省、総務省などの若手をも体験してどんどん本を書いてくれないかな?
英語体験記などのように語学のことや海外でも日常生活雑記に近いレポートはいくつも散見するが、こんな政治・行政の中身にまで切り込んだものは、あまり知らない。価値ある一冊だ。




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