(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ 薔薇と月の日々(続き)

2014-06-06 | 日記・エッセイ
エッセイ 薔薇と月の日々(続き)
          (写真は、蝋燭の絵で知られた弧高の画家、高島野十郎の作品「月」です。

(月の日)やがて秋が来る。二人だけで、静かに中秋の名月を愛でる「月の日」である。今度の舞台は、岐阜県赤坂町に住むもう一人の女性の住まいである。江戸から数えて57番目の赤坂宿と呼ばれた中山道の町である。文久元年(1861年)公武合体の一環として皇女和宮(明治天皇は甥にあたる)が将軍家茂のもとへ降嫁。7800名の大行列は11月中山道を通り、赤坂宿で一泊している。今も、それを記念した行列が町を華やかに練り歩き、さながら時代絵巻である。しかしいつもは静かな、それでいて街道筋の魅力の残った町である。

          


「月の日」の時期は、おおむね9月中秋のころ、今年は9月9日であるが、多事多忙な二人の都合がつかない。それで晩秋10月の居待ち月、十八日のすこし月の出が遅くなるころになった。無月の夜もいい。雨月でさえも、いい。また雲遮月であってさえも。しかし望むらくは、月が煌々と輝やく夜がいい。江戸時代の連歌師、谷宗牧の『四道九品』にこういう名文がある。

 ”秋立つ日より涼しくおぼえ、・・・やうやく秋風涼しく吹きて、たえだえに虫の音添ひ、野辺の萩薄露に乱れ、遠山の鹿の音も夜な夜な枕近くなりゆくころ、月の光身にしみわたりおぼゆるを、初の後といふなり”

 そういえば鎌倉時代の僧明恵上人の歌を思い出す。

 ”あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月”

 まだ冷たい夜風の吹く季節ではない。二人縁側に並んで座り、用意した手料理を楽しむのである。栗おこわ、松茸のおすまし汁、黄菊の梅肉あえ。秋鮭(あきあじ)の味噌漬け、秋ナスの漬物などが膳に並ぶ。あまり酒を嗜むことのない二人ではあるが、今宵は少々。ワインクーラーに冷やしたシャンパンの栓を抜き、金色に輝くブーヴ・クリコをグラスに注いで乾杯をする。さわやかな泡が口中ではじけ、フルーティな液体が喉を落ちてゆく。これまで乗り越えてきたことを思い起こし、乾杯!

          

 唐の詩人、于武陵に「勧酒」と題する有名な詩がある。これに井伏鱒二は、絶妙な日本語訳をつけた。

 ”君に勧む金屈卮(きんくつし)
  満酌 辞するをもちいざれ
  花発ひらいて風雨多し
  人生別離足る

  コノサカヅキヲ受ケテクレ
  ドウゾナミナミツガシテオクレ
  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
  サヨナラダケガ人生ダ

人生に別れはつきもの。常にそこある。何時、そうなるか分からない。だからこそ今のこの時を大事にしよう。 映画「今を生きる」を思い出す。ホラティウスの詩”カーペディエム”である。 おそらく、今夜二人は、そんな気持ちも持ちつつ月を眺めたのでなないか。

時に月光、あくまで透明に光り輝き、静かな時が流れていった。二人とも口は開かない。開かなくても思いは友に通ずる。今宵の月光の美しさは、たとえようもなく、胸中に湧き上がる詩(うた)を書き留めることすら忘れてしまう。灯りを消し、ただひたすら月を愛でるのである。

 ”燭を消しただ曳白の居待ち月”

そこに低く、静かに流れるのは名機タンノイから流れる楽の音。ウイーンの詩人マテウス・フォン・コリンの詩にシューベルトが作曲した歌曲「夜と夢」が、ふさわしい。

 ”Heil'ge Nacht, du sinkest nieder;
Nieder wallen auch die Traume
Wie dein Mondlicht durch die Raume,
Durch der Menschen stille Brust.
Die belauschen sie mit Lust;
Rufen, wenn der Tag erwacht:
Kehre wieder, heil'ge Nacht!
Holde Traume, kehret wieder! ”

 神聖な夜よ、おまえは沈み下りてくる、
 すると夢もまた静かに歩み下りてくるのだ、
 おまえの月の光が空中に差し込むように、
 人々の静かな胸の中へと・・・・


 
 よき友がいて、共に月を愛でる。これこそ、ささやかではあるが最高の”贅沢”と言わずしてなんと言えよう。











 
コメント (6)
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