とちぎ発道路観察日記

このブログも開設から12年、、
頻度は少ないですが、今後ともよろしくお願いします。
令和5年3月22日

栃木街道?の旧道

2011-07-11 22:05:11 | 旧道
おばんです。

この書庫では、(その名の如く)旧道の風景を紹介していこうと思います。
第一回目は栃木街道(宇都宮街道)の旧道を。

栃木街道(場所によっては宇都宮街道とも呼ばれる)は宇都宮市桜十文字から壬生町を経て栃木市に至るr2〈宇都宮・栃木線〉です。
が!
今回の場所は栃木街道なのか??といった非常にビミョーな場所なんです。栃木街道と呼んでいいのか不明ですが、そこは、やっちゃいましょう!(爆)

栃木街道はバイパスの開通に伴い、たくさんの旧道が存在します。
今回はその中の栃木市(大平町)川連付近です。
ここは、旧大平町と栃木市の境界付近です。


今回は、道路メインではなく標識がメインになりそうです。

こんな標識を発見。

いかにも昭和の遺産って感じです。

もっとアップで

この標識はカーブの手前にある為、予告標識みたいになっています。
ちなみに、バイパスは宇都宮・鹿沼の矢印と逆方面です。矢印が無い為、バイパス開通前から変わっていないと思われます。

標識があってカーブがあり、、


その先に現道と交わる交差点があります。

交差点を・・
↑栃木市街、栃木駅、栃木翔南(旧栃木南)高
←宇都宮、鹿沼、壬生、栃木I.C〈r309〉
藤岡、佐野、R50、大平→(バイパス区間)〈r11〉
方面です。


上の交差点に設置されていた標識です。

↑栃木市街 3km
←宇都宮 33km

これも右にあるバイパス開通以前のものではないでしょうか。。
やっぱり、「市」や「都」はどこか公団ゴシックと共通点があってイイですねぇ。

他県の旧型青看には見られないフォントのようです。



今日はこんな感じで終わります。。
それでは。。。




いろは坂起点(馬返)

2011-07-10 22:22:22 | いろは坂
おばんです。

今日は、手抜きになってしまうかもしれませんが、一応更新ってことで・・・(汗)

日光市にある国道120号いろは坂(日光道路)の起点の馬返の写真です。(2010年12月撮影)

標識には
↖沼田 中禅寺湖  と書いてあります。
金精峠が冬の通行止め期間になると、沼田の部分は「金精峠通行止め」の表記に変わります。
それと、左下の大谷川の標識は とちぎ県と表記されていて、県内には結構このタイプ、見ることが出来ます。



いろは坂は昭和29年に日本で2番目の有料道路として料金徴収開始、昭和34年に道路公団の管理下に置かれ、昭和40年に第二いろは坂(登り)開通。 昭和59年に無料開放されました。

起点は馬返から始まりますが、馬返という名の由来は、昔この坂は女人禁制・牛馬禁制であった為、ここで引き返した・・・(ウィキペディアによる)という話と、
この坂が急な為、馬をここで置いて、登って行った・・・(昔、私が聞いた記憶による)
という話だそうです。

また、父によると有料道路時代は写真の近辺に料金所があったそうです。
有料道路時代は、日光道路と呼ばれていた為、日光市内には未だに日光道路と書かれた標識も存在します。


次回のいろは坂の書庫はカーブの標識の今・昔を紹介します。

今日はここらで。。。

高すぎた宇宙人

2011-07-09 00:20:38 | 交通信号機
こんばんは。
暑いですね~!


今回は高すぎた宇宙人・・・です。!

場所は愛知県幸田町の大草広野交差点です。(向こうは町と書いて ちょう と読むんですね。)

県道が交わる普通の交差点なんですが、一基だけめちゃくちゃ高い所にくっついているんです。

設置されている灯器は・・・

①三協高分子の樹脂丸型の蛇の目レンズ250

宇都宮の日信製樹脂とほぼ同じです。ちなみにこの灯器は平成5年6月製でした。


②京三製角型250

製造年は不明ですが、、これも信號機と表記されていたので、豊川の角型と同じ世代でしょう。


③小糸製角型250

この灯器、実は古いんです!

製造は1971年で昭和46年製です。よく生きてたなー(涙)


③京三製宇宙人250

これがとちぎの足利にあるタイプと同じで、とちぎではこれが最古になります。
この灯器の製造年は不明です。

③の信号機・・・変なんです。

それは


設置されている高さ




普通は5mぐらいの位置に設置されることが多いのですが


これは

電柱の高さスレスレです。
高さはどのくらい?なんでしょうか。


正面から

宇宙人が高いのはこの標識があるからでしょうか?
でも、そこまで高くなくてもいいんじゃないの?(笑)


こんなん初めてみましたよー
とちぎだったら、おそらく案内標識に縦型で設置するでしょうかね。



そんな交差点でした。


全然関係のないハナシ〉
昨日、私の大学に某音楽番組の収録に来ていました。あの子どもに音楽を聴かせてリアクションが映るやつ。です。意外に静かでしたけどね。ちなみにワタクシは映っていませんが・・



それでは。。。




愛知の信号機・・・

2011-07-06 22:01:23 | 交通信号機
おばんです。

ここからは、愛知に行った最大の目的・・・信号機撮影!(^^)! です。
愛知の信号機事情を一言で言うと「昭和かここは!?」といった感じです。

時間の都合上、たくさんの場所に行けたわけではないのですが、とちぎとは天と地ほどの差です。

とにかく、昭和50年代前半の信号機が多く、古灯器は金属で丸型は樹脂。そして幹線道路にはLEDといった感じでしょうか。

一番最初に行った場所は豊川市豊川稲荷付近です。今日はそこの信号機を紹介します。

遠くからの撮影



信号機ファンなら感動モノでしょう。


歩道橋からの撮影

歩道橋には「童謡のきこえるまち とよかわ♪」本当に聴こえたら少し怖いですね。(笑)


もっと近くからのショット!

これぞ昭和の信号機!!です。ゼブラ板の錆び具合もグッド!
歩道橋に2基設置されていました。


↑のプレート

錆止めのペンキが上塗りされて見えにくいですが、京三製作所の昭和47年製です。年齢は39歳です。
プレートには三位交通信號機となっていて、旧字体の「號」が使われています。



こちらは、電柱に設置されたものです。こちらも歩道橋のものと同タイプ。
初めてみた方は「なぜ2段設置なのか・・・?」と思われる方もいるでしょう。



じつはこれらの「角型灯器」と呼ばれる昭和50年代前後の灯器は、電球の交換を背面(レンズの後ろ側)から行う為、、現在の灯器の様に向かい合わせに設置すると、電球の蓋が干渉し交換できないのです。
※2枚上の写真の下の灯器で背面のピラミッド型になっているところから電球を取り換えているのです。


最後に制御機を・・・

愛知仕様です。警察管理番号と交差点名が記入されていました。


今日のような角型灯器がとちぎの公道で設置されている確率・・・0%でしょうね。
教習所ならあるかもしれませんが。

次回の信号機の書庫は変わった設置の信号機を紹介します。。。

お楽しみに~。
END


港北~愛知

2011-07-05 23:13:38 | DRIVE(旅行記)
こんばんは。です。。


間があいてしまっていますが、今回は東名高速港北~愛知までの特集です。
※しかーし、ワタクシが運転していた為に、捕れた画像はほんの少し・・・orz
ですが、ちゃんと撮りました。なのでご覧下さい。

っとはいうものの実際は富士川SAからまいります。




いつもは富士山が見える絶景ポイントなのですが、天候が悪かった為、撮れませんでした(泣)



12 焼津まで10分
13 吉田まで15分
16 浜松まで50分

結構、浜松って遠いんです。



日本坂トンネルです。ここはかつて、トンネル内で玉突き事故が発生し火災が起き死傷者が出た、有名なトンネルです。
この事故以降には各地のトンネルに信号機が設置されるようになりました。



三車線のトンネルは珍しいと思われます。



一時、牧ノ原SAにて休憩。目的は あれ を買う為。(あれ は後ほど・・・)



浜名湖を渡ります。。



18 豊川 16km
18-1 音羽蒲郡 28km
(東名) 名古屋市街 85km

三ケ日を過ぎて、すべてが愛知の地名になりました。
「蒲」の冠が変ですね(爆)



宇利トンネルを抜けると・・・そこは愛知県・・・
イラストは~~~おなじみの鯱鉾です!



最初の信号機の撮影地、、豊川市へ。
イラストは、豊川稲荷のきつね です。



豊川で降りて、一般道へ。



この先は、信号機・標識の書庫で書いていこうと思います。

それでは