とちぎ発道路観察日記

このブログも開設から12年、、
頻度は少ないですが、今後ともよろしくお願いします。
令和5年3月22日

敢えて昔話と近況報告

2017-11-22 22:03:03 | 日記
おばんです。


最近、よく利用している日光宇都宮道路で、、今は環状線から宇都宮北道路という80キロで走行できる立派な道で市内からそのまま東北道ないし日光宇都宮道路へとアクセス出来ていますが、果たして北道路が開通する前はどんな道だったのかなと。。

日光街道119号から行ったと思われますが、想像がつきません。2車線の対面通行だったのか、4車線の道路だったのか。。?


どうしても知りたくて、この前宇都宮市立図書館へ行ってきました。


が、結局手掛かりになる資料は見つけられませんでした。泣


もし、ご存知の方がいらっしゃれば教えて頂きたいです(*´ω`*)


しかし、行ったことは無駄にはならず新たな歴史を知ることが出来ました。


やはり宇都宮市内の昭和の写真が沢山載っており、

県庁と市役所を結ぶシンボルロードと大通りの交差点(本町)は昔から時差式信号(3方向矢印)で角型灯器であったり、池上町もNSか京三の角型であったり。

駅前の宮の橋では、角型灯器とNS2台目丸型が横に並んで設置してあり、その写真のコメントも『新旧ならんだ信号機。。』という風に書いてありました笑


標識についても、池上町のものは新品のローマ字なしのタイプで、直進が日光 大谷(日光の表記が大きめに書いてある)左折が小山だったと。

ちなみに日光だけ大きな文字のものは今でも存在し、宮の橋交差点の北進は日光 矢板とあります。

しかし宮の橋のものより池上町のものは格段に標識サイズは大きかったです。


県内の角型灯器は愛知県とは異なり二段設置ではなく、両面タイプが多く見られました。

灯器の色も深緑をしていたりそうでなかったり。

いずれにしてもゼブラ板は標準装備でした。



あとは、鹿沼の楡木交差点です。
今は小糸赤だけ300ブツブツレンズとD型矢印3位式で歩行者も親灯器と同じ世代です。

しかし歩行者1灯だけ昭和世代のモノなんです。
これからして昔は網目か格子状レンズかなと思っていたのですが、謎は解けました。


予想通り、小糸格子状250でした。笑
また時差式信号も昔から。しかし日光方面の青延長型でした。
楡木町の看板もローマ字なしのタイプです。


ひとつ南の追分交差点は、壬生から北方面だけ見るとNSの内庇レモンのように見えました。
今は小糸赤だけ300です。


ふたつの交差点とも、今年低コストへと更新されてしまうのではないかと予想してます。

ちなみに南押原小の近くの手押しは更新フラグです。


場所はさらに北上し今市の板橋交差点。

ここも今は小糸Dですが昔は小糸網目赤だけ300でした。

そんなに古い灯器ではないですよね。


昔から栃木県は灯器の更新サイクルが早かったようですね。




ここから現代の情報を。

国分寺の花見ヶ丘は小糸丸型から京三へ、岩舟の下津原も京三で右折分離は引き続き。

あとは上三川の明治中の北側のr71との交差点は京三カマボコから、京三か電材か不明の灯器へ。

佐野では、r75の犬伏のLAWSON交差点も小糸から不明低コストへ。



個人的に小糸の赤だけ300のブツブツレンズは一番好きな信号機なのでなくなるのは悲しいですね。私と同世代でもあるので。


あとは、交差点のイメージが信号機のメーカーなので(謎w)、更新されてメーカーも変わると違和感ありありです。


今後の予想です。

岩舟の旧50号(支所前から和泉)、壬生の西高野歩道橋、役場前、石橋の4号


今ざっとです汗




ながながとすみませんね笑笑



ではでは。。。