とちぎ発道路観察日記

このブログも開設から12年、、
頻度は少ないですが、今後ともよろしくお願いします。
令和5年3月22日

震災から3年

2014-03-12 11:07:10 | 日記
こんにちは。


昨日の3月11日は2011年の東日本大震災から3年目を迎えました。

私はあの地震が起こった際、自動車教習所にいました。最初は何が起こったのかも分からず、建物の外に避難した事を覚えています。

余震が続く中、落ち着いた頃を見計らって屋内にもどり携帯のワンセグをつけると、最初に見たのは千葉の石油タンクが燃えている光景でした。

「なんだ、こんなもんで済んでよかった。」そう思ってしまいました。実際はこんなもんでは済まされなかったのに、、、

私も震災で物があることのありがたみであったり、電気のある生活が便利である事、車に乗る為にガソリンがある幸せを実感しました。

昨日、学校に向かう間、RADIO BERRYでは当時9時間並んで給油した・・・なんて人がいました。


今でも、緊急地震速報のジングルを聞くとドキっとされる方も多いはず。。







そんな震災3年目を迎える数日前に、震災後に初めていわきに行ってきました。

私が最後にいわきを訪れたのは震災の一週間前でした。目的は、いわきにあるという角型信号機を撮る為。

今回は震災後の風景を見に行きたくて。


前回とは異なり、今回は白看を撮影しながらだったのでR4で白河、石川、上三坂R49で平、R6で小名浜方面へ。


白看に関しては次回の記事にしたいと思います。



私の記憶では、アクアマリンの近くの信号機は小糸U型の疑似点灯防止レンズだったのですが、京三VSPになっていました。



その先の引き込み線と思われる踏切には、信号機が設置してあり上と同じく小糸だったのですがこちらは撤去されていました。


江名・豊間の方に行くと、家の基礎だけ残っていたり、震災前と変わってしまっていました。


信号機に関しても、電材もどきがあった交差点もLEDになっていました。

いわきの沿岸の電材もどきは殆どLEDになっていました。かつての信号機も流されてしまったのでしょうか。
結局、電材もどきを確認したのは2か所程でした。



やはり、変わってしまいました。


ただ、海は変わらず。




また、いわき  行きたいと思います。私のできることは、その土地へ行く事なので。。。




では。。。