とちぎ発道路観察日記

このブログも開設から12年、、
頻度は少ないですが、今後ともよろしくお願いします。
令和5年3月22日

r44 大道泉橋 旧道  その2

2015-07-20 23:17:49 | 旧道


おばんです。しばらくぶりで忘れ去られそうな感じですが、前回の続きをお送りします!



前回の記事はこちらからどうぞ。





前回は下野市側から二宮方面についてお送りしましたが。今回は都合により反対方面からお送りします。

・真岡市(二宮)青田交差点 西進

写真は平成22年2月14日撮影です。まだ現道の開通前です。


現在の様子

こちらは平成22年12月26日撮影です。

新道開通により、案内標識が現在のタイプになり、信号機が変更されました。
標識に関しては、ずいぶん前は↑国分寺  真岡→
の表記でした。

信号機に関しては、以前は単純な丁字路交差点で制御もr44側がやけに青時間が長く、また夜間点滅が20時からと田舎の制御でした。
現在は灯器も京三から日信になり制御も、高架下の交差点であるような時差式制御に変わり以前に比べると複雑になりました。

理由は標識の通り、以前は直進がr44下野方面でしたが、新道は青田の交差点の西側に繋ぐように出来てしまった為です。新道開通以前から西側の交差点はありましたが、一時停止の規制のみでした。




・青田交差点 北進


こちらは開通後の様子です。

くどいようですが、新道開通前はこの先r44と交差するところは一時停止規制でした。


・堀込交差点 西進

以前はこの交差点で筑西方面へr316が分岐していました。標識の案内も←下館  でした。
しかし道幅が狭く、大型車両の進入が禁止されていました。よって手前側の青田から現道r44とr316で南進をとるようになりました。



・大道泉橋手前

こちらは開通後。

奥に標識がありますが、旧道は18tの重量規制がありました。


こちらは現役時の様子。歩道は無く、鉄骨もさびだらけです。センターラインも消えています。



こちらは現道開通後の様子で、バリケードがされています。

なにかさびしさを覚えます。


・橋を渡り終え、下野市境前



・現道と交わるところ





では、現道開通後の旧道を二宮方面に向かいます。

前回の記事とほぼ同じ位置での撮影です。



こちら側も封鎖されています。



順番や説明が不十分で申し訳ありませんが、今回は大道泉橋の新旧をまとめてみました。
つい2~3年前の様な気がしますが、新道開通から今年で5年が経過しました。こういうのを見ていると、普段何気なく見ている景色って大切なものだって気がします。







p.s.昨日、つくば近辺を通って来ましたが、なんだか茨城らしさが失われた気がします。
後ほど・・・






ではでは。。。





図書館に行ってきました。

2015-07-02 00:08:14 | 日記
おばんです。


前回の記事からずいぶんと間が空いてしまいましたが、いつものことですね(苦笑)


先日の日曜日は石橋と上三川の図書館に行ってきました。


私は中学時代に高校受験の勉強をする為に、毎週のように地元の図書館に行っていました。
図書館の落ち着いた雰囲気の中、机で勉強するとなぜか満足感が得られたのです(笑)


また、もうひとつ目的がありまして、それは・・・・




郷土資料を眺める事!


です(^_^;)







私が小学校の頃、社会科では「のびゆく○○町」といった教科書があって、地元の産業や歴史、消防警察などのお勉強をしてきました。
その教科書の写真が古く、貴重な写真が載っていてとても好きでした。

例えば、現在では美装化で電柱が埋められてしまったメインストリートでも昔の写真では、古い信号(小糸網目250や京三レモン250、さらには小糸の角型ゼブラ付で緑色塗装)が載っていて涙が出るほどうれしいのです。


・・・という事を勉強の合間(ホントはこっちがメインだったり(笑))にしてましたねぇ。





今回の収穫。

石橋町編
・町の交通設備の例で信号機の写真が載っているのだが、日本信号の丸型二代目250mmが載っている。かつては町内に設置されていたということ。
・石橋警察署前(現下野署)前の信号機は小糸製だった。詳細は不明だが、歩灯が小糸で車灯も丸型世代であることが確認できた。ちなみに現在は京三オマル型と同時期の歩灯。
・石橋交差点(駅前の)から1つ南側にある手押しが、小糸250mmの円弧アーム世代のもの。→小糸ブツブツ赤300→現在、京三VSSと同時期歩灯(だったような)
・国道4号×352号の下石橋北の立体がまだ開通しておらず、上三川方面からの352号と4号の平面交差だった。(当時は国道352号ではなく県道真岡・壬生線だったような)。
↑当時の352号は壬生方面から来て、現在の姿川橋西交差点から旧道を通って、国道4号交点の本町交差点までだったと思われる。ちなみに4号から先、真岡・上三川方面は県道のみの指定だった?
 ちなみに写真で見た下石橋北交差点は、現在の352号の橋脚があって、その両脇を通ってただけで、橋は無かった。
 当時はおそらく現在のバイパスを県道の名目で工事していた?
・本町交差点の看板は現在のローマ字入りではなく、「本町」とだけ書かれたタイプで信号灯器は現在と同じ日信丸型ブツ300mmだった。
・カワチ薬局のある交差点(文教通り)に京三宇宙人らしきものが写ってた。


上三川町編
・県道47号鬼怒大橋を降りた上三川の最初の信号は小糸円弧アームの灯器→小糸丸型ブツ300mm→現在はコイト薄型青粒少タイプ
・その先の旧道分岐点も小糸の円弧アームで矢印灯器が2つ付いていた。現在は京三VAT右折分離
↑交差点から石橋方面にバイパスが開通します!というようにまだバイパスにはバリケードが設置されていて、信号機も設置されたばかりのようだった。
・47号旧道と県道35号の交差点に真岡と石橋両方面に白看設置。
↑現在ある紺看と同じ内容(真岡方面)でした。
・町内に最初についた信号機は京三と思われるもので、六角ゼブラに緑色塗装でアームは旧式のまっすぐ斜めになっているもの。
・r35と新4の交差点は日信初代か2代目で矢印付
・新4は当時対面の2車線道路で上三川交差点降口(小山方面)には
 ↖真岡
  石橋
 の紺看あり(もちろんローマ字はなし)で2本の足で立ってる低いもの。
・交通標識の例の写真で40高・中速車の補助看あり






と覚えているものでこんな感じでした。
一部で憶測のものが混じっていることをご了承ください。

当時はまだデジカメなんてものはなく、カメラも貴重だったでしょう。そんな時代の風景写真はとても貴重です。
私も、標識や信号の写真を撮って十数年ですが、これからも今ではありふれている様子を撮っていきたいと思います。10年後は貴重な写真になっているかも。




ではでは。。。