琵琶湖疎水船下船後は、「蹴上(けあげ)」周辺を散策することにしました。
下船場近くの広場に「蹴上義経地蔵」
「蹴上」という地名は、牛若丸(源義経)が鞍馬山から奥州へ向かう途中、平家の関原与一ら9人の一団とすれ違った際、一団の馬が蹴り上げた泥水を義経にかけてしまったことがの由来と云われています。
話しは続きます。
謝ることなく通り過ぎた平家の一団の無礼に怒り、義経は9人をその場で切り殺してしまいました。その後、殺された9人の菩提を弔うために9体の石仏を安置され、そのうちの1体がここに祀られているそうです。
義経・・・子供の頃からキレやすい性格だったのですね😱
さらにこのエピソードから「義経地蔵」という命名・・・違和感ありますけど😰
この場所は高台にあるので、眼下に京都の街を望むことができます。
近くには、蹴上インクラインで使われていた台車が復元展示されていました。
「蹴上インクライン」は琵琶湖疏水の一部だった傾斜鉄道のことです。琵琶湖疏水は京都と大津の間の舟運を担っていましたが、勾配が大きく(高低差約36m)船の運行ができない区間がありました。そこで勾配のある場所にレールを敷き、舟を台車に乗せ、ケーブルで引っ張り上下させていました。
全長582mの世界最長のインクラインの跡地が今も残っています。
復元された台車と舟。
インクラインを下って行くと・・・「岡崎疏水」の噴水に到着しました。
😀この後、琵琶湖疏水は 宇治川に合流します。
岡崎疎水の隣接する「琵琶湖疎水記念館」で琵琶湖疎水について復習しました。
「疎水物語」という飲料水も購入しました。
😀 美味しかったです。
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