「石部道道標」
😀 「すぐいしべみち」「高野郷親善光寺道」・・・分かれ道を進むと東海道の石部宿です。
左側の写真ではわかりにくいですが、街灯に巨大ホタルが!😲
「ほたる通ノ商店街?」…不思議に思っていたのですが、正しくは「ほたる通り商店街」でした。
😆『り』の一部剥がれてしまい、『ノ』に見えてしまったようです。
この辺りはゲンジボタル(守山ボタル)の群生地として有名で、1902年(明治32年)から天皇陛下への献上が始まりました。明治時代にはホタル問屋(ホタルを売り買いする店)がたくさんあったそうです。
😀 大正時代から昭和初期には、ホタル祭りが盛大に行われていました。
「慈眼寺」・・・別名「帆柱観音」
😀 ご本尊は秘仏「十一面観音世音菩薩立像」・・・最澄が唐から船で帰国する際、嵐から最澄を救った仏様です。
明治時代の政治家「岡田逸治郎之碑」
「高札場跡」・・・守山宿の東側入口です。
ここから先は、守山宿の加宿「吉身村」です。
「益須(やす)寺跡」の解説板
ここから東側100m辺りに、日本で最初の療養施設「益須寺」があったと考えられています。
😀 日本書紀に「病人が益須寺に宿泊して治療した」と記されています。
「吉見三丁目交差点」
😀 遠くに近江富士(三上山)が見えました。
「中山道街道文化交流館」で教えていただいた「守山玻璃(はり)絵館」へ寄り道をしました。有名な和菓子「たねや」グループの洋菓子店です。
😀 「たねや」は滋賀県近江八幡発祥・・・お店は要予約だったので、立ち寄ることは断念しました。
「馬路石邊(うまじいそべ)神社」の社標
野洲(やす)川に架かる「野洲川橋」を渡ります。
野洲川の源は鈴鹿山脈の御在所山で、琵琶湖最大の流入河川です。
江戸時代、橋は架けられず徒渡り(かちわたり)でしたが、朝鮮通信使が通行するときのみ、仮土橋を架けたそうです。
😉この頃から「おもてなし」文化はあったのですね。
遠くに近江富士(三上山)が見えました。
(つづく)