りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その32-④ 見附宿~

2018-08-10 14:04:00 | 旧東海道散歩
旧東海道から少し離れた所にお店を発見!meromero
「SANDWICH&BURGER ブラウニーサンドイッチ」で遅いランチです。


ランチボックスは安くて美味しかったです!


お店を出ると旧東海道沿いに立派な建物・・・先程はお腹が空きすぎて気がつきませんでした。


訪ねてみることにしましょう。


「金原明善翁生家」

niko200年以上前の建物を修復し、明善記念館となっているそうです。

館内へ入ると、金原明善翁の生涯を紹介するビデオを見せて頂きました。
お恥ずかしい話し、こちらへ立ち寄るまで金原明善翁のことを存じ上げませんでしたが・・・ものすごい偉人でした。


1832年(天保3年)に豪農の長男として生まれた金原明善は、「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川の水害に悩む住民のために、全財産を投じて(!)治水工事を行ったのです。bikkuri
それだけではありません。天竜川の水源地に緑のダムを作る目的で植林を行いました。これが(人工の)三大美林と言われる「天竜杉」です。(他は奈良県の吉野杉と三重県の尾鷲(おわせ)ヒノキ)
金原銀行(1940年三菱銀行に合併)など、金原明善が始めた事業は時代ととも変化しながら、現在の企業へと繋がっているものも多くあります。
一方、三方原の開墾、北海道の開拓、私財を投じて出獄人保護事業(刑を終えた人々の救済活動)や済生会事業など慈善事業にも貢献しました。

入館料無料の上に、スタッフの方がとても丁寧に館内を説明をして下さいました。


「明善翁三つの信条」

一、実を先にして名を後にす
一、行を先にして言を後にす
一、事業を重んじて身を軽んず

「山岡鉄舟と金原明善・・・共通するものを感じます。実はお二人は盟友でもあったそうです。

niko鉄舟が明善へ志気を鼓舞する手紙を送っています。

この山駕籠に乗って・・・


91歳の明善は金原山林を視察しました。

bikkuriすごい!カッコいい!!

すっかり感銘を受け、自分の無知を棚に上げ・・・
niko「すごい方ですね~!このような立派で魅力的な方は、ドラマなどでもっと取り上げてたくさんの人に知って欲しい人物ですね!」
smile「いやいや・・・現代はドラマの主人公は女性の方が良いのではないでしょうか・・・」
niko「実業家として成功した上に、人々のためにこれほど社会貢献するとは・・・この91歳の時のお写真もカッコいいですよね!」
smile「でも明善はこういう人だったので、ほとんど遺産は残しませんでした。この記念館を維持するのも結構大変です。」

その後も、スタッフの方が以前、我が家の比較的近くにお住まいだったとのことで、町の近況・変化などをお話しして盛り上がりました。


年表に明善翁は「渋谷で92歳で永眠」とあったことを思い出し・・・
niko「そういえば、ご子孫の方は今も東京にお住まいですか?」
smile「えっ!?ああ・・・子孫は私。私が明善の子孫です。」
bikkuri「えーーーーーーっ!?そっそれは大変失礼しました!!!!ase2ase2ase2ase2

親切なスタッフの方・・・と思っていたら、ご子孫の方が直々に説明して下さったのですね。優しい笑顔の素敵な方でした。本当にありがとうございました!

さらに恥の上乗りになりますが・・・
2018年1月、安倍内閣総理大臣施政方針演説のニュースを偶然見ていたところ
「百五十年前。天竜川はたびたび氾濫し、村人たちは苦しめられてきました。子々孫々、洪水から村を守るため、金原明善は、植林により治水を行いました。
 六百ヘクタールに及ぶ荒れ地に、三百万本もの木を植える壮大な計画。それでも、多くの人たちが明善の呼び掛けに賛同し、植林のため、共に、山に移り住みます。
 力ある者は、山を耕し、苗木を植える。木登りが得意な者は、枝を切り落とす。女性や子どもは蔦(つた)や雑草を取り除く。それぞれが、自身の持ち味を活かしました。
 多くの人たちの力を結集することによって築き上げられた森林は、百年たった今でも、肥沃な遠州平野の守り神となっています。」と引用されるような著名な偉人ででした。

旧東海道に戻ります。


本坂通(姫街道)安間起点

niko見附宿で分岐した姫街道ですが、天竜川の川越えでは旧東海道と同じルートを通るこことになります。この場所を右折し、再び姫街道へ分岐します。

我々は真っすぐ、旧東海道を進みます。

日本橋から64番め「安間一里塚」




国道1号線の高架下を通ります。


「東海道松並木」


絶対に子供が押したくなるような「信号機の押しボタン」good


「立場跡」

niko藤棚がある茶屋があったと云われています。



地下道を通り・・・


浜松駅前のアクトタワーが近くなって来ました。


日本橋から65番め「馬込一里塚」


「旧掛塚街道入口」



馬込川に架かる馬込橋「東木戸跡」

niko浜松宿の東側入口です。



「夢告地蔵」

niko1853年(安政5年)に流行したコレラの犠牲者を供養するための延命地蔵です。明治時代、小柳丈之助の夢に「世上に出たい」と現れ、1919年(大正8年)掘り出されお堂に安置されました。



「JR浜松駅」に到着!


26,400歩の散歩でした。
今回の散歩の行程です。


(2017.11.3)

夜は浜松駅前のホテルに宿泊。
駅前の「浜松たんと」で浜松ぎょうざを頂きましました。meromero2


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