りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その29-③ 金谷宿~

2018-01-29 15:20:00 | 旧東海道散歩
静かな「菊川の里」を進みます。


旧東海道では御馴染みとなった「秋葉山常夜燈」


「間の宿 菊川の里会館」


会館の入口横には「菊川由来の石」がありました。

昔、近くの川の中から菊の花の模様のような亀裂の入った石が多数出たことから、川は「菊川」と名付けられ、地名の由来にもなったそうです。
江戸時代は東海道の「間の宿」でしたが、鎌倉時代の初期から街道の要所として知られていました。

菊川を有名にしたのがこちら・・・
「中納言宗行卿詩碑」と「日野俊基歌碑」


源頼朝 の死後、鎌倉幕府 の力が弱まると、後鳥羽上皇 は幕府追討の軍事行動を起こしましたが、鎌倉幕府の反撃を受け失敗に終わります。
計画に加わった中納言藤原宗行 は捕えられ、鎌倉へ送られる途中、菊川の宿に泊まり宿の柱に辞世の詩(漢詩)を書き残しました。

「昔は南陽県の菊水下流を汲みて齢を延ぶ
今は東海道の菊川西岸に宿りて命を失う」

不老長生の霊泉菊水が流れるという中国の南陽の伝説に因んだ漢詩です。
そういえば、日本酒の「菊水」もこの不老長生に因んで名付けられたそうです。

そしてその110年後・・・後醍醐天皇も鎌倉幕府の倒幕を計画しますが失敗。
計画に加わった日野俊基は捕えられ、鎌倉へ送られる途中、菊川の宿に泊まり同じ運命をたどった宗行卿の話を聞き哀歌を残しました。

「いにしえも かゝるためしを 菊川の 
おなじ流れに 身をや しづめん」

歴史に疎いので、鎌倉時代は圧倒的な武士の世の中だと思っていましたが、朝廷も政権を奪還しようと画策していたのですねbikkuri


復元された石畳を通り・・・


階段を上って・・・


振り返ると菊川の里。


青木坂を上ります。
この先は標高252m、旧東海道の三大峠の一つ「小夜の中山」(他は箱根峠と鈴鹿峠)です。


茶畑が広がります。


とても美しい景色。

この時期に収穫されるのは四番茶。品質は良くないので、三番茶と合わせて番茶として利用されることが多いそうです。(玉露は例外で、この時期にも収穫されます。)

坂道の途中にあった温度計を覗いてみると…29℃hekomi
暑いはずです。


「小夜の中山」は歌枕として古今集などで歌われている峠です・・・ということで、旧東海道沿いには、
多くの歌碑や句碑が建てられていました。


峠の頂上には「久延寺(きゅうえんじ)」があります。
関ケ原の戦いの時には、山之内一豊が徳川家康を接待したという古寺名刹です。
境内に人影はなく、猫が1匹我々を迎えてくれました。
時間が止まったような、静かなこの場所が心地よく、しばらく休憩させて頂きました。


境内には大きな丸石・・・遠州七不思議の一つ「夜泣き石」が安置されていました。


昔、妊婦が峠で山賊に襲われ、殺されてしまいました。お腹の子供は助かりましたが、母親の霊が丸石に乗り移り、夜ごと泣いていたため「夜泣き石」と呼ばれるようになりました。久延寺の和尚さんに飴で育てられた子供は成長し、母親の仇を討ちました。この話しを聞いた弘法大師は同情し、「南無阿弥陀仏」と石に刻んだと云われています。

それにしても夜、この石から泣き声が聞こえたら・・・想像しただけでゾッとします。hi

お寺を出ると、近くのお店に出入りする人の姿が・・・


江戸時代創業の茶屋「扇屋」


訪れる人のために、週末と祝日のみお店を開けてくださっているそうで・・・ラッキーでした。
早速、「夜泣き石伝説」にちなんだ名物「子育て飴」を買いました。
お店の方が壺の中から琥珀色の飴をすくって、手渡してくれました。
「絶対に噛んではダメよ。歯について取れなくなってしまうからね。」と言う注意を守って味わう飴は、
優しい甘さで疲れが取れました。


(つづく)
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