風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

京都・奈良 2018古都の秋 3-1(東山)

2019-01-29 | 近畿(京都・滋賀)
2日目からの続きです。

● 朝のお勤め

この日も朝5時に起床。
また部屋のドアをドンドン叩かれると思い、慌てて起きましたが、ノックはありませんでした。
起床の放送も一度きり。昨日ほど激しくありません。
集合場所に見えたのは、前日とは違うお坊さんでした。
人によって、起こし方もいろいろなんでしょう。

お坊さんの案内に続いてお堂に入り、本堂と不動堂での朝のお勤めを1時間ほど。
その後、お茶をいただきながら、東山第一といわれる築山庭園を見学します。
おそらく一年のうちで一番長い間、正座をしている時です。

● 庭園鑑賞タイム



この日も、赤いもうせんの上でお茶をいただきながら、庭園を眺めます。



高貴な家柄の人になった気分。まろは~(男?)



膝の悪い私の母には、このように机を出していただきました。
さりげない心配りです。



座っている部屋の豪華な襖絵。
レプリカなので、撮影もOK。
本物は宝庫に入っており、そちらも見せていただきました。



お堂の外に出ると、ちょうど朝日が昇ったところ。



まだ早朝です。朝焼けがきれいでした。

● ハートの石庭

担当のお坊さんによって説明内容や見学ルートが少し変わるようで、この日は全日と違う石庭の前を通りました。



ハートの形に見えます。
以前仏前結婚式があったときに、若い僧侶がこの形に庭を作ってあげたそうな。
偉いお坊さんに反対されて元に戻したそうですが、結婚式の参列者がSNSにアップし、その反響が大きかったため、そのままハートが採用されることとなったそうです。



SNS効果。お寺の世界でも、ネットの影響力は大きいんですね。

● 僧侶それぞれ

今回のお坊さんは、襖絵「百雀図」に描かれた最後の一羽や、炭の濃淡で描かれた桜の枝を間近で鑑賞できるように、普段は立ち入り禁止の場所に入れてくれました。
サービス満点です。ありがたや、なむ~。

オレンジの衣と黒い衣の僧侶がいるので、違いを聞いてみると、黒衣は修行僧で、1年間ここで修行して過ごすのだそう。



智積院はいつも五色布がかかっているイメージ。
それは以前、この五色布がかかった状態でガイドブックに載り、そのイメージが付いたからだそう。
このままでいてほしいと旅行者からリクエストを受けて、さしあたりそうしているとのことです。
やっぱり外部からの影響力って大きいんだわ。

● トップの門

駅から七条通りをまっすぐ東に進むと、智積院の門に突き当たります。
でもその門は、普段は閉じており、車はその前で左右に方向転換します。
普通人々が入る門は、少しずれた場所にあります。
それではこの門は、いったい何のためでしょう?



これは、このお寺のトップが交代するときだけ開かれる門。貫主のみが通れる門なのです。
由緒正しい門を、お寺の内側から眺めます。
門の向こうに見えるのが、七条大通りです。



こちらは違う門。



明るくなってくると、紅葉の色が際立ちます。





● 朝日スーパードライ

数年前の朝日スーパードライの宣伝で、福山雅治のバックにこのお寺所蔵の絵が映りました。
ファンから「撮影時、福山さんはどんな風でしたか?」との問い合わせが多数寄せられたそうです。
実際にはCG合成で、彼が訪れたわけではなかったと、教えてもらいました。




国宝 長谷川等伯『松に秋草の図』





国宝 長谷川等伯『桜図』


おつとめの後、宿坊に戻ったら、そのポスターが壁に貼られていました。
その話を聞いていなかったら、なぜお寺にお酒の宣伝が貼られているのかとあやしんだことでしょう。



ここのお寺はやっぱりお豆腐がおいしい。
朝食をいただいて、チェックアウトしました。

● 昭和な商店街

この日はバスの一日乗車券を購入し、まずは清水道バス停で降ります。
清水寺へ行く人たちがごっそり降りる場所なので、その流れに乗って下車できました。



松原通りに渋い商店街がありました。昭和感満載。
「ハッピー六原通り」かと思いきや、これはスーパーの名前だそうです。

ちなみにこの辺りの地名は轆轤町(ろくろちょう)。
平安時代には葬送地、鳥辺野(とりべの)で、人骨が多かったことから髑髏町(どくろちょう)と呼ばれていました。
それが「どくろ」→「ろくろ」→「ろくはら」と変わっていったのだそう。
六波羅蜜寺って、ドクロからきてたのね・・・。

● 六道珍皇寺

まずは、前の日に行けなかった六道珍皇寺を訪れます。
六道珍皇寺は、臨済宗建仁寺派のお寺で、すぐそばに、建仁寺があります。



薬師堂が公開されており、最澄が作ったと言われるご本尊の薬師如来像が見られました。
迫力満点の閻魔像と、それを作成したとされる小野篁(802年-852年)の像があります。
ただ、どれもガラスに反射して、うまく撮影できませんでした。



草庵のようなお寺の中に入ります。趣のある境内です。
目下、特別拝観「寺宝展」開催中。
部屋には地獄や閻魔様の絵がたくさん飾られていました。

● 黄泉の国への井戸

お寺の奥まった場所には、小野篁が毎晩使っていたという、黄泉の国へ通じる井戸があります。



平安時代前期の政治家・学者・歌人だったマルチな彼は、昼間は朝廷に仕え、夜間はこのお寺の井戸から冥界へ行って死人をさばく閻魔大王の補佐をしていたという伝説があります。



いったいこの人いつ寝てたの?仕事中に居眠りしてたの?スーパーヒーローは寝ないものなの?



この辺りは、あの世とこの世の分岐点。
少し怖いし、のぞいたらいけないような気がするけれど、のぞかずにはいられない、これは人間のサガでしょうか。

● 黄泉がえりの井戸

その近くに、近年発見されたという、小野篁が黄泉の国からこちら側に戻るのに使った「黄泉がえりの井戸」もありました。



井戸の縁には「輪廻転生」と書かれています。
少し怖いし、のぞいたらいけないような気がするけれど、のぞかずにはいられない、これは人間のサガでしょうか。(二度目)



六道の辻の出口は、嵯峨の清涼寺にもあります。
もともと清凉寺の境内塔頭の薬師(福正)寺に出口があったとの言い伝えですが、昔の話過ぎてよくわかりませんね。

● 六波羅蜜寺

幽霊子育て飴のお店を見ながら、六波羅蜜寺へ。
この辺りは、いまだに死の気配が残る、独特の場所です。



そんな中で生者と死者を見守り続けるお寺の存在はありがたいもの。
供養のために、ここにお寺が建てられたのでしょう。



空也上人が建てたお寺で、口から6体のミニ仏を出している、あの有名な像は、ここに所蔵されています。
縁結び観音と呼ばれる十一面観音菩薩像が出迎えてくれました。

夕方近くにこの辺りを訪れたら雰囲気がありすぎて怖いかなと思って、午前中に行ってみましたが、いつ来ても時が止まっているような、不思議な空気が漂っている場所だなあと感じます。
死のイメージがあるとはいえ、敬遠される場所になっているわけでもなく、周囲には普通に人が住んでいます。
京都はつくづく、歴史を感じる場所です。

その2に続きます。




最新の画像もっと見る

post a comment