ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

グローバル化について。

2004年12月29日 00時58分42秒 | 古い日記
それが、かつてアメリカが発展途上国だった時代の名残なのか?
どうかは知らないが、彼等はインチとかヤードとか、
ポンドとか、ガロンとか滅茶苦茶な単位を使う。

何故、滅茶苦茶かと言えば、12進法だったり10進法だったりと
ややこしい事この上も無い。
1cmがわかれば、1ccも判るし、1gも判る。が、
1インチがわかった所で、1ポンドや1ガロンはわからない。

解像度を表すdpiはドットパーインチなので、
デジタル機器の時代になってもこの悪癖は続いている。

まあ、前振りはこのくらいにして、本題に移ろう。
前の会社(電子、機械、ソフトの会社)
にいた時の話だ。

朝、俺がいつものように会社に行くと、入り口の所で、
先輩社員達が、騒いでいる。

「困ったな」
「困りましたね」
「ケトーだな」

何かと思えば、ドアのネジが一本抜けて、施錠部分が壊れていた。
機械の専門家もいるし、
いつもなら、簡単に直してしまう人達が往生していたのが不思議だった。
理由を聞くと、
「ケトーだからだめだ」(普通のネジじゃないから)
だと言う。

「あ!もしかしてこれですか?来る途中で拾ったんですけど」
俺は階段の下の方に落ちていたネジを差し出した。
一見、何の変哲もないネジだが、差し込むとスルスルと入った。

「でかした!これだ!これ毛唐ネジだよ。やっぱり」

毛唐ネジ?って何だそりゃ?

「インチネジの事だよ。日本の規格には無いネジだ」

ネジ山のピッチが、mmじゃなくてインチだそうだ。
そこに無理押ししてミリネジを入れたりすると、
ネジ山が壊れて永久に使えなくなるらしい。

しかし、まあ、言うに事欠いて「毛唐ネジ」は無いだろう。
何故、ネジの世界にだけ「毛唐」などという好ましくない表現が
残っているのか?

察するに、「国際単位」に準じないアメリカの横暴に散々悩まされた
技術者の「怨念や憎しみ」に違いない、と思っている。

ちなみに、今日再びおきてるくがやって来た。
ポーリーさん達は今度は「タイ」に赴任するそうだ。

残念なのは、写真の「置手紙」の現物が残っていない事。
二回目に遭った時、没収されてしまった。

まあ、持っていたからと言っても何の得も無いけどね。
だからこそ価値があるんだけど。

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