ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

学習院中退居士

2004年12月20日 00時51分41秒 | 古い日記
さて、先日は、他界した祖父の事を美化しすぎた気がするので、
真実も付け加えておこう。

まず、能(謳)を始めた経緯について、
親族に聞いた事を以下に纏める。


実業学校(今で言えば工業高校)卒業後、
運良く石川島重工業に入社した時は若干、18(か17?)歳。

そんな若造が、田舎から出てきて、かなりの給料(当時としては)
を貰う訳だから、「悪い遊び」を覚えるに違いない。

特に資材部は、資材の買い付けを行う所であるから、
接待、賄賂の誘惑が付きまとう。
若者に何か「健全な趣味」を持たせる必要がある。

そう考えた石川島資材部の上司は、祖父を
「半ば強制的に」能の世界に引きずり込んだ。
(能と言っても、舞の方では無く、地謳の方だけど)

そこで渋々謳(うたい)を始めた、のが真相らしい。

「なんでこんな爺臭い事やんなきゃならないんだ?
 麻雀やりてえ。飲みに行きてえ。」

と内心で叫びつつ、「幽玄の美」の世界に落ちて(?)
いったらしい。

簡単に言えば「祖父を教えた上司」が、
後に家元になる程の大家だったと言う事で、
祖父は運が良かったのだろう。


また、性格的な事を言えば祖父は大変頑固な所があった。

息子や娘に「勘当」を言い渡した事も
一度や二度では無いらしい。

母の弟(俺の叔父)が、学習院大学を勝手に中退した時も、
怒りに怒りって「勘当」した。

俺は当時、生まれていなかったが、その勘当された
叔父が後に、こう言っていたのはよく憶えている。

「俺は俺の考えがあって、そうしたわけだし、
 その後は自分一人の力で生きて来た。
 ...(中略)...
 まあ、一生言われるのは覚悟しているが、
 死んでからも『学習院中退居士』なんて
 戒名付けられた日にゃ浮かばれない。」

結局、勘当は、なし崩し的に許されたようだが、
人の一生をそんな戒名で表現されたら、
人権侵害もはなはだしい。

で、祖父の戒名は、えーっと。覚えきれなかった。
「匠」と「謳」と言う字、俗名から一文字、「院」と「居士」
が入っていたのは確かだけど。

学習院中退居士は憶えやすくていいな。