ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

婿養子、元太郎

2004年12月24日 00時25分34秒 | 古い日記
さて、祖父の死をきっかけに、
「偉大な先人の業績」について考えた。

本名を出すと、差障りがありそうなので、仮にその人の苗字は山田とする。

初めて会ったのは、俺がまだ出向社員として今の会社で
働いていた時だった。

パソコンに向かって一人黙々と仕事をしている俺の傍に、
一人の眼光鋭い老人が、杖を突きながら歩いてきて、
こう言った。

「こいつは、何をしている?」

俺は全くわけがわからなかったが、
暫くして「お世話係り」みたいなオバサンが現れた。

彼女(彼女といっても老婆に近い)は、
「アラアラ、こんな所に来て」と笑いながら言い、
その老人を連れ去ってしまった。

俺が後で、
「さっき、背の高い、恐そうなジイサンが来ましたよ。」
と部長に言うと、
「ああ、先代の社長、つまり会長だよ。そりゃ。」
との事だった。

しかし、会長とはその後、会う事は無かった。
病院で「寝たきり」状態だったらしいが、
なかなか死なず、4年後くらいにようやく亡くなった。

葬式は、盛大なもので、香典が一千万くらい集まった記憶がある。
(一応、香典は喪主の意向でお断りだったんだけど)

当時、
俺がこの「先代社長」山田元太郎氏について知っている事は、
以下の事くらいだった。

1:元々、山田家の家督を継ぐ人ではなく、養子だった。
2:市長選に出て落選した。
3:今の社長とは、仲が悪かった。

・・・時は流れる(半年くらいかな?)・・・

その後、俺は社内の片付けをしている最中に、「会長遺品」
と書いてあるダンボールを発見した。

中を見ると、会長(元太郎)についての記事が載っている
雑誌、新聞の類、が出てきた。
(おや?、インタビュー記事か?)
俺はその中の一冊を手にし、腰を下ろし、しばし読み耽った。

「まず、山田さんの若い頃の武勇伝など、お聞かせ下さい。」

「まあ、当時は戦中という事でしてな。
 『強い奴が幅を効かす』時代でした。
 私が養子として、叔父の家の家督を継いだ理由も、
 それが一番大きな理由だったわけです。」

・・・何なんだ?これは。先代は「切れ者」の筈じゃあ・・・

「私が専務として入社した当時、
 昼休みに愚連隊の連中が相撲をしておりましてな。
 私にこう言うんです。
 『専務、体格がよろしいですな。ひとつ、我々と相撲をしてみませんか?』
 と。」

 「ほう。山田さんの事を全く知らずにですか?(笑)」

 「はい。婿養子として山田家に入り、専務として入社した私を
  皆の前で恥をかかせてやろう、と言う魂胆ですな。
  私はシメシメと思いましたがね。」

・・・一体、何者なんだよ?アンタ?・・・

 「で、最初の一人は『張り手』で、工場の壁に叩きつけてやり、
  壁が抜けましたわ。もう一人、市の大会で優勝した奴も、
  おったのですが、『さば折り』でしとめてやりました。」

・・・あ?・・・

略歴を見てみた。
専修大学で相撲の選手として活躍後、○○部屋入門?
元、関取かよ?

写真も色々出てきた。
周囲の人間より、首一個分背が高く、横幅は倍くらいある。

ジイサンにしては大きな人だな、とは思ったが、
俺の見た元太郎は、ヨボヨボで痩せており、
とても想像がつかない姿だった。

「ま、女子社員も大勢見ておりましたし、
 以来、私に逆らう者は社にいなくなりましたな。」

・・・そりゃいないだろうな。
   「女子社員も大勢見ておりましたし」は意味不明だけど。・・・

それにしても、こういう「武闘派」の人間が、
サラリーマンになって、出世する、
なんて話は、本宮ひろしの漫画の世界だけか?
と思っていた。(なんだっけ?ナントカ金太郎とか?)

この山田元太郎氏の業績は、相撲だけでは無い。
が、長くなったので、詳しい話は、次の機会に譲ろう。

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