人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ 初期の歌声 Jose Cura early days

2016-03-07 | 初期の歌声


ホセ・クーラの魅力の1つは、やはりその声ではないでしょうか。指揮者・作曲家をめざしていたクーラに、母国の恩師は、「君のような声は30年に1人しかでない」と言い、経済的に苦しいクーラに無料で歌のレッスンをしてくれたそうです。
クーラの声は、年とともに円熟し、重くなり、オペラの解釈を深まりとともに劇的なパワーと表現力を高めていますが、また一方で、若い頃の声は、レーザービームのような、天まで貫くかのように輝かしく、忘れがたい魅力をもっています。

クーラは1991年にアルゼンチンからイタリアに渡り、国際的なキャリアを歩み出しました。そのごく初期の歌声、1991年から95年までの録音、映像を、Youtubeなどから紹介します。
もちろん正規の録音ではなく、しかも古いため、画質、音質が悪いことをあらかじめお断りしておきます。ただし少し我慢して聞いていただければ、若いクーラの声の魅力を実感していただけるものと思います。
 →クーラの略歴も参考にごらんいただけるとうれしいです。

●渡欧の年 はじめてのコンサート
イタリアに渡った年1991年の7月、ジェノヴァで欧州初のコンサートに出演しました。ヴェルディの椿姫「乾杯の歌」、指揮はマルコ・アルミリアートです。
クーラが最近開始した動画サイト「ホセ・クーラTV」に掲載されました。同じ日のノルマからのデュエットもあります。
 →JOSE CURA TVの動画リンク


●1993年―はじめて主要な役でデビュー
この年、はじめてオペラの主要な役でデビューがかないます。ヤナーチェク「マクロプロス事件」のアルベルト役。イタリアのトリノです。Youtubeには他にも同じ舞台の映像がいくつかアップされています。
Janácek - The Makropulos Case - II act Part 3 Raina Kabaivanska, Jose Cura




ドイツでしょうか、TV番組に出演し、プッチーニのトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」を歌っています。きらきらするような声の響きが独特です。
Jose Cura 1993 "Nessun dorma"


●1994年―オペラリアで優勝
94年、プラシド・ドミンゴが主宰するオペラリアに優勝します。この頃を期に、メジャーな劇場への出演、主役としてのロールデビューが相次ぐようになります。

オペラリアで、プッチーニの西部の娘より「やがて来る自由の日」。司会はダイアナ・ロス。
Jose Cura 1994 "Ch'ella mi creda" La fanciulla del West




●1995年――ロンドンやパリのオペラ座にデビュー
メジャーな劇場に主要な役で出演するようになります。この年、ロンドンのロイヤルオペラに、ヴェルディ「スティッフェリオ」のタイトルロールでデビュー、またパリ・オペラ座 オペラ・バスティーユにデビューしました。

オペラ・バスティーユ ヴェルディ「ナブッコ」イズマエーレ
Jose Cura 1995 Nabucco " Fenena! ... O mia diletta! "


ジョルダーノのフェドーラ ロリスのアリア「愛さずにいられないこの思い」。歌い終わった後、拍手とブラボーの声が止まらず、無理やり再開しています。
Jose Cura "Amor ti vieta di non amar" 1995 Fedora


ロイヤルオペラ ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」ガブリエーレ(音声のみ)
Jose Cura Simon Boccanegra 1995 Duo Amelia & Gabriele


この翌年には、ウィーン国立歌劇場にデビューするのをはじめ、ぞくぞく主役デビューが続きます。その先はまた、いずれ紹介したいと思います。

             

*写真はクーラのHPなどからお借りしました。

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