2019年10月20日、中国・上海の東方芸術中心(Shanghai Oriental Art Center)で、ホセ・クーラのオペラアリアコンサートが開催されました。クーラは歌手、指揮者として、2人の中国人歌手、上海フィルハーモニー管弦楽団、上海フィルハーモニー合唱団と共演しました。
(告知編)で紹介したように、第21回中国上海国際芸術祭の一環のコンサートで、クーラが上海で歌うのは、2007年プッチーニのトゥーランドットのオペラ公演以来、12年ぶりだそうです。クーラは、上海だけでなく、北京(2015年)や韓国・ソウル(2010年)など、東アジアまで時折、来ていますが、残念ながら、日本には2006年以来、来ていません。
今回は、羽田から3時間、時差1時間という近距離なので、思い切って上海まで行ってきました。
会場となった上海東方芸術中心(上海オリエンタル芸術センター)は、上海市内に張り巡らされている地下鉄の2号線・上海科技館駅から歩いて数分のところにあります。まわりは巨大な公園、公共施設などがあるようで、とても美しく整備されたエリアです。
チケットは、センターのHPで売り出され、座席指定もできるのですが、(告知編)でも書いたように、残念ながら、中国の銀行口座をもち、中国国内の携帯電話の番号を持っていないと購入できないようになっているようです。また外部のチケット販売サイトもあるのですが、そこも同様でした。そのためあれこれ模索してうまくいかず、困り果てた結果、手数料がかかりましたが、中国旅行のオプションなどを手配している業者に購入代行を依頼しました。メールで簡単なやり取りをして、希望の席を予約してもらうことができました。当日は、少し早めに行き、東方芸術中心の正面玄関を入って階段を上がった2階右手にある自動発券機でチケットを入手しました。発券機に2種類の番号を入力するのですが、入力の際、センターの係員の方が親切にあれこれ教えてくれて、実は中国語でよくわからなかったのですが、なんとか無事に発券できました。
右が当日購入したパンフレット、左は劇場にあったチラシ、下が当日発券したチケットです。
クーラのコンサート会場は、オペラ劇場なども完備するセンターの複数の施設のうちの、一番大きい2000人規模のコンサートホールです。2005年に開場した新しい施設で、とりわけ素晴らしいと思ったのは、この写真でもわかるように、ステージの低さと近さです。50センチほどの高さしかなく、アーティストが、すぐ手の届く距離に立っています。また客席がゆったりとしていて、前席との間も広く、内側の席の人を通す時に立ち上がらなくても通れる余裕がありました。そしてトイレの数が多いというのも安心で、とても居心地の良い、ストレスのない施設だと思います。
≪出演者とプログラム≫
Jose Cura 何塞·库拉 男高音,指挥
Mario de Rose 马里奥·德·罗斯 指挥
Guest
Hong Zhiguang Baritone, Ph.D., Yale University Opera 洪之光
Xu Xiaoying Soprano, Chief of Shanghai Opera House 徐晓英
Shanghai Philharmonic Orchestra 上海爱乐乐团
Shanghai Philharmonic Chorus 上海爱乐交响合唱团
ーPROGRAMー
●Opera Pagliacci
1. Prologue Tonio "Si può?... Si può?..." (クーラ 歌)
2. Nedda's aria
3. Intermezzo
4. Canio's aria (クーラ 歌)
●Opera Nabucco
1. Sinfonia (クーラ 指揮)
2. Va pensiero (クーラ 指揮)
●Opera Cavalleria Rusticana
1. Intermezzo (クーラ 指揮)
●Opera Otello
1. Credo – Iago
2. Ave Maria - Desdemona
3. Dead of Otello (クーラ 歌)
●Opera Samson et Dalila
1. Samson aria (3 act) (クーラ 歌)
2. Baccanale (クーラ 指揮)
●Opera Carmen
1.Je suis Escamillo - Don Jose / Escamillo (クーラ 二重唱)
●Opera Butterfly
1.Un bel di vedremo
2.Coro a bocca chiusa
●Encore
1.Tosca E lucevan le stelle (クーラ 歌)
2.La Boheme O soave fanciulla (クーラ 二重唱)
3.Turandot Nessun dorma (クーラ 歌)
告知編で紹介した事前のプログラムから、若干の変更がありました。
(前半)
まずコンサートのスタートは、道化師のプロローグ。舞台に向かって左側の客席脇から入場したクーラが、客席内の通路を歩きながら、バリトンのトニオのプロローグを歌って、観客に向かってお辞儀したり、握手したり、観客にタッチしたりと、演技し、観客とコミュニケーションしながら、オペラの導入の雰囲気を盛りあげていきました。実は、私のすぐ横も通ったので、もうドキドキ、早くも大興奮でした。
そのあと、ゲストのソプラノ徐晓英さんの歌や、クーラが指揮するナブッコの序曲、合唱などをはさみ、クーラは、カニオの「衣装を着けろ」や、オテロのラストシーンなどを歌いました。オテロのクレドは、クーラの初挑戦かと少し期待しましたが、やはりそれはなく、若いバリトンの洪之光さん。なかなかの美声でした。
クーラのカニオとオテロは、はやり圧巻でした。思った以上に甘く、柔らかな響きがあり、そして感情が激した時のつよく爆発的な声は、会場中と私たちの全身がビリビリするほどでした。前のほうの席だったため、力を込める時、さっと顔に赤みがさすところや、役柄になりきった細かい表情までよく見て取れました。完璧に演技をしながらの歌で、もちろんすべてマイクはありません。圧巻の音量、音圧、音の勢いと、情熱的な表現に圧倒されました。
前半の途中で、ひとつハプニングが。クーラがカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲を指揮しようとした時に、客席内で携帯電話が鳴ってしまいました。クーラは、「私あての電話だ。彼に、今忙しいから、後で返事するって言って」とユーモラスに言い、全体にむけて「携帯電話を切って」と呼びかけ。そして2007年に初めて上海で公演した時のことを話し出しました。英語のできる観客に通訳も頼んで、「12年前、初めて上海に来た時、街は車のクラクションとバイクの音でとても騒がしかった。でも今は、クラクションはなく、バイクも少なくなり、街はとても静かで、美しく見える。信じられないほど違って、大きなアドバンテージだ。おめでとう!」と上海の変化を称賛しつつ、「しかし、ひとつだけまだやるべきことが残っている」、「Phone!!」(笑)。この携帯電話のトラブルは、どこでも起こっていて、かなり深刻な問題ですが、コミカルに、ユーモラスに語りながら、言うべきことを言い、そして観客とのコミュニケーションを深めているのがクーラらしいです。客席が落ち着いた後、クーラが美しく切なくカヴァレリアの間奏曲を指揮しました。
(後半)
休憩後は、サムソンの石臼のアリアから。昨年、サンクトペテルブルクでも聞くことができたこのアリアですが、今回は、舞台がさらに近かったこともあり、クーラの声の美しく繊細な響きを、サムソンの悲嘆と怒りを表現する力強さと迫力のなかに感じることができました。
とても珍しく楽しかったのは、バリトンの洪之光さんと歌った、カルメンの第3幕、ドン・ホセとエスカミーリョとの掛け合いの場面です。最後の決闘のシーンを、2人でカンフーのスタイルで演じたのでした。クーラが若いころにカンフーで黒帯だったのは有名な話ですが、56歳の今も、体の芯がいっさいブレないのには感心しました。また洪之光さんもクーラに負けじとやりあっていて、なかなかの芸達者でした。動画がないのが残念ですが、洪之光さんのインスタの画像を。
蝶々夫人からは、ソプラノのアリア「ある晴れた日に」と合唱。これで本プログラムは終わりのようで、続けてアンコール曲は、クーラのカヴァラドッシ「星は光りぬ」、ラ・ボエームのロドルフォとミミの二重唱「愛らしい乙女よ」。甘く美しく激しいクーラの「星は光りぬ」が生で聞けて、本当にうれしかったです。またボエームの二重唱の前に、クーラが徐晓英さんの耳元に「Beautiful!」とささやくのが聞こえました。クーラが彼女の緊張をほぐし、気持ちを近づけようとしているのがわかりました。
そして最後は、お待ちかねの「誰も寝てはならぬ」。会場から何度も大声で「Nessun dorma!!」の声がかかり、「O,K、ちょっと待って」と暑そうに上着の一番上のボタンを外して、合唱団にも参加をお願いして、歌いはじめました。
こちらはスペイン語のニュースサイトがアップした動画。クーラがカニオのアリアの歌う様子、指揮、リハーサル風景、インタビューなど、そして最後は、誰も寝てはならぬのラストが収められています。観客の熱狂ぶりが伝わるかと思います。ただし、この動画の声は、実際に聞いたクーラの声よりも、さらに重く暗く感じます。
そして帰国後クーラがSNSにアップした上海の写真。殺人的4日間だったが、コンサートは素晴らしく、若い才能あるミュージシャンが沢山のとても良いオケ、上海フィルを発見した、とコメント。
最後に、洪之光さんがインスタにアップしたクーラとのツーショット写真を。
今回のコンサート、あらためてクーラの、観客を楽しませるエンターテイナーぶり、圧倒的な存在感、声の美しさと豊かさ、強さ、ドラマティックな表現力と迫力、観客とのコミュニケーションを大切にすること、ユニークな個性と人間的魅力を確認することができました。
この12月で57歳になるクーラ。すでに髪も髭も真っ白になりつつありますが、間近で見た顔にはしわひとつなく、彫りが深く、目鼻立ちがはっきりした大きな顔は、生きたギリシャ・ローマ彫刻のようでした。それがいつも生き生きして、表情が演技でさまざまに変わっていく様子をみて、つくづく、舞台に立つために生まれてきた人だと感じました。
今後、ますます歌を減らし、指揮や作曲、演出などの活動の比重を増やしていくことと思います。すでに上海の疲れもみせずに、現在、ハンガリー入りして、11月のヴェルディのレクイエムを指揮するコンサートや、クーラ作曲のオラトリオ「あの人を見よ」のレコーディングの準備に取り掛かっています。新たなチャレンジであり、クーラの大きな夢がかないつつあります。
とはいえ、オペラ歌手、ヴォーカリストとしてのクーラの魅力は、現在でも衰えることなく、円熟の魅力を増しています。高音も力強く輝いています。もちろん30代など若い頃の声からは変化していますし、声はますます重くなっています。本人も、もうフレッシュな声を持っているとはいえない、とたびたび語っています。しかし、1曲のアリアであってもドラマを描き出す、オペラの解釈に支えられた表現力、甘さ、渋さ、激しさ、つよさを兼ね備えた独特の深みのある声、つねに自然体でリラックスした大人の余裕と自信に満ちた舞台上の存在感、美しい立ち姿・・。そして好みの分かれるところだと思いますが、過度な装飾的な表現のない自然な、まるで語っているかのような歌唱スタイルは、わざとらしさがなく、私にとっては本当に素晴らしいと感じられます。
指揮や作曲などの領域で活動をひろげつつも長く歌い続けてほしい、このユニークなヴォーカリストの歌をできるだけ長く聞き続けたい、そうつよく思いました。
コンサートの余韻にひたり、興奮して感情的な文章になっていることをおわびいたします。 読んでいただき、ありがとうございました。
*画像は、劇場や出演者等のSNSからお借りしました。