ホセ・クーラは今年2018年の9月、バルト三国エストニアの首都タリンの国立歌劇場で、プッチーニ「西部の娘」の演出・舞台デザインを手がけます。
以前、(告知編)でも紹介しました。
今回は、劇場のHPに掲載されたクーラのインタビューから抜粋して紹介したいと思います。
内容は、演目である西部の娘についても若干ふれていますが、クーラの家庭のこと、子どもたち、人生観、夫婦間・男女間についてなど、様々なことについて問われ、回答しています。
元はエストニア語のため、翻訳が全く不十分で、クーラの言わんとしていることの意味、ニュアンスが誤って伝わるのではないかという恐れを抱いていますが、あくまで抜粋、概略ということでお許しいただき、ぜひ劇場のページをご覧いただければと思います。
Staging team
Conductors: José Cura, Vello Pähn, Jüri Alperten
Stage Director and Lighting Designer: José Cura
Costume Designer: Silvia Collazuol
"私は本当の反逆者だった"
――ホセ・クーラ インタビュー エストニアにて
秋に、ホセ・クーラ演出のプッチーニ・オペラ「西部の娘」がエストニア国立歌劇場で上演される。
クーラは、妻シルヴィアが一緒でなければ、今日の彼にはなりえなかったと語る。シルヴィアは、神聖なる結婚の一方の側が大きな世界でその夢を実現できるように、主婦と母親の役割を選んだ。
Q、あなたはたくさん旅行する。家庭的な感情が失われたり、ルーツが破壊されることは?
A、見てほしい。樹木のセコイアは数百メートルまで成長することができるが、その根は依然として下に張っている。根が取り除かれると木は死ぬだろう。
人間も同じだ。経験を得るために遠くまで行っても、もし根っこや家族が強ければ、我々は立ち続けることができる。
アルゼンチンは私の母国。母、兄弟、友人がそこに住んでいる。私は過去30年間ヨーロッパに住んでいるが、私は自分のルーツを失っていない。
そして私はマドリードにも新しいルーツを持っている。もしそうでなければ、私は自分自身を罰するだろう。それはあまりにも辛いことだ。
私には妻シルヴィアがいる。これからの40年も共に生きてゆくだろう。
私には3人の子どもがいる - 長男は俳優としてのキャリアを始め、娘は写真家で、一番下の息子は大学で物理学と数学を勉強しており、プロのラグビープレイヤーだ。彼らは皆とても違っていて、とても良い。
Q、あなたはどのくらい子どもたちを導いている?
A、私は彼らに、それを理解させないようにしてきた(笑)。子どもに、この本を読まなければならないと言えば、彼らは読まないだろう。本は秘密にどこかに隠されていなければならない...。
俳優である私の息子は、私と一緒に彼の最初の舞台出演をした。オペラで少年の役割が必要だった(ヴェルディ「運命の力」に親子で出演)。関心をもった8歳の息子を招き入れ、そこから彼の興味が始まった。私はこれが彼の後の選択に影響を与えたと思っている。
長男ベンと。ヴェルディ「運命の力」1998年マルセイユ
Q、また、あなたには、音楽に加えて、いくつかの情熱を傾けるものがある。写真撮影をするし、ハードな修理工でもある?
A、写真は良い趣味だ――見ることを学び、自分の身近な物事を見る。
しかし大工仕事のハンマーの取り扱いには注意が必要。指を怪我すると、しばらくの間ピアノの後ろに座ることができない。
生活の中には、どんな人でも、恐れずにやってみるべきシンプルな良い仕事がある。私たちはすべて人間。マドリードの私の家は、すべて私が設計したり造ったりした。もちろん家本体は違うが。
時々自分自身でやったことを見るが...それは非常に良い出来とはいえないかもしれないが、別の価値がある。
2009年チューリヒのインタビュー動画より
Q、あなたはシンプルな人?
A、私はそう。そして、あなたは?
遅かれ早かれ、人生はプレッシャーにさらされる。私はプロフェッショナルとして誇りを高めていくが、それは傲慢さのためではなく、何年もの経験と自信を持っているからだ。
今、私は、何がうまくいき、何がうまくいかないのか、自分がそれを知っている。
・・
もし本当に知らなければ、すべてを知っていることを証明する必要はない。チームを信頼することは、どの分野においても最も重要なことだ。
Q、あなたは観客に、感情的な体験を贈る。あなたは何を得ることができる?
A、私は同じエネルギー、良い感情を得る。
ただ旅行では残念なことも多い。劇場、舞台、素晴らしい人々とオーケストラに出会う。しかしそれがすべてだ。夜はホテルの部屋とベッドを見るだけ。壁の中で1日12時間から13時間を過ごすしている。
Q、だから、あなたはどこにいてもミュージシャン?
A、それだけ!
リハーサルをして、舞台の中心にいる。それが終わっても、観光客として街を見てまわることはない。
オペラ歌手の人生が、キャビアとシャンパンだというのは、ハリウッド映画の中だけだ!
実際の生活は、ホテルの部屋に帰り、1日食べられなかったので、小さなバーで食事をし、眠りにつく。
Q、あなたは何度もエストニアに戻ってくる。なぜ?
A、巨大な劇場はなくても、そこに住んでいる人たちだ。エストニアには人がいる!
なぜあなたは、ウィーンやニューヨークが、より優れていると思う?みんながすべてに慣れているということはしばしばあるが、驚くべきことはない。
あなたの国立オペラ座は、他の主要オペラハウスと比べても申し分ない。プロフェッショナルの人々、オーケストラ、合唱団がいる。彼らは本当に素晴らしい。
Q、あなたは作曲家、指揮者、演出家、アーティスト、歌手だが、どういう子どもだった?
A、私は本当の反逆者だった! 私はトラブルや頭痛の種を引き起こしたが、同時に非常に礼儀正しかった。私はいつも反骨精神をもち、何に対しても、誰に対しても、反対して論争したがっていた。
私は40歳の誕生日に、母親から非常にクールな贈り物を受け取った。
私の先生が、私が9歳の時に手紙を寄こした。当時私は知らなかったが、そこはこう書かれていた。
“親愛なるホセのお母さん、私はあなたに、小さなホセは、常にあらゆるものを自分で管理しようとする気性の少年であることを伝えたい。何か問題が起きるとき、それは常に最初の1人だ。何か良いことがある時も、一番最初だ。”
先生は次の言葉で文章を終えていた。
“私はホセが、大人になったら素晴らしい人になると思っている。”
それは心に響く手紙だった。
Q、あなたは妻であるシルビアと40年間ともに歩いてきた?
A、私たちは1979年に出会い、間もなく40年を祝う。
Q、良い長い関係の秘訣は?
A、忍耐とスキルと耳を傾けようとすること。
日常生活において、私たち男性は女性と平等だが、ベッドに行くときは、彼女は女性で、私は男性だ。
私は彼女のためにドアを開け、コートを脱ぐのを助け、花を贈るだろう。私が病気の時は、彼女は私を休ませ、治療を助けてくれる。
私たちは家で、すべてのことに全力をつくす。私は自分で靴下を洗い、食事をとることができるが、家族と妻のために自分がやる必要があるときは、私はそれをやる。男性として、父親として。
シルビアが弱いから?NO!愛する女性を守ることは、私の血のなかにある。
Q、今、平等について多くの議論があるが、どう思う?
A、このトピックは間違って議論され、政治的に使用されている面があると思う。
誰もが平等な機会を持たなければならないことは明白なことだ。これは人権だ。
しかし正直に言って、男性は男性で、女性は女性であり、そのことは残るし、残るはずだ。
2人の男女間の素晴らしく優しい関係は最高だ。なぜそれを破壊しようとする?
私は女性には女性に対するように接したいと思っている。
しかし、職場での仕事においては、私たちは翼の一翼として見られるべきだと思う―― 彼女が私より優れていれば、より良い給料を得る必要がある。
私は多くの成功した女性を知っている。彼女たちは教育を受け、素敵で、強く、しかし1人でいる。それは、彼女たちの世界に合った男性が見つからないからだ。彼女たちは、愚かな人と一緒にいるよりも、むしろ独りでいる方が好きだと言う。
私たちはともに社会的な能力をもち、平等でなければならない。
しかし、どうか、花を渡し、ドアを開き、称賛することを続けさせてほしい。
Q、あなたの日々は、サーチライトの光の中で何百もの人々の視野のなかを通過してきた。これまでに、ステージにあがることが精神的または肉体的に不可能な瞬間があった?
A、私は1年半前に深刻なバーンアウトを経験した。私はそれまで30年連続で毎日働いてきた。私は毎日、非常にアクティブだったが、その時、私の体は言った - 今は休憩だ!と。詳しく語るつもりはないが、良いレッスンだった。
物事を考える時だった。私は何年も他の人をケアしてきたが、自分自身ではなかった。私は自分の死後、まわりが悲惨になることを望んでいない。それはエゴイスティックだろう。人は救われ、愛されなければならない。
Q、プッチーニのオペラを国立オペラ座で演奏するが?
A、「西部の娘」は、私の非常に好きな演目の1つ。
一流の仕事を創造するために招待された時には、より強力な権限をもち、あなたが一番好きなことをやってほしい。
私は仕事をしている?それとも趣味?私は大好きなことをやり、それによってお金を得ることができる。
過去には、私は、ある評論家、また別の評論家が、後で何を書くのか心配していたが、今日では、もはやそれを考えない。
心が満たされるように私がドアを閉じることができれば、それは最高です。
誰もがあなたのことを好きではないし、それでは誰も幸せになれない。しかし自分自身が満足できれば、あなたは幸せになれるだろう。
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いつものように率直な物言いで、誤解を恐れぬ語りぶりです。クーラ自身は、たいへんなロマンティストで、キリスト教的な「騎士道精神」が身についているように思います。また外見は非常にマッチョな人ですが、このインタビューでも、男女の平等は当然であり、平等は人権だと言い切っているのは、当然ですが重要なことだと思います。
またデリケートな今日的な話題にも率直に発言していますが、オペラと芸術のテーマのほとんどは、愛と性に関するものであると指摘するクーラらしく、個人的な性愛にもとづく豊かで優しい男女の関係の素晴らしさと魅力を語り、一方で仕事の面や社会における男女平等と能力にもとづく評価の重要性の問題を明確に分けて、それぞれ強調しているところが大事な点だと思いました。
以前の記事でも何度か紹介しましたが、クーラと妻シルヴィアさんは、幼い長男とともに91年にイタリアへ渡りました。母国アルゼンチンでは軍事独裁政権を終わらせたばかりで、経済的混乱のなか食べていくのが難しかったからです。以来、イタリア、フランスと安住の地を求めて移り住み、ようやくクーラが歌手として売れ出し、パリ郊外にマイホームを得たと思ったら、第4のテノールだとか、セクシースターとして売り出そうとするエージェントや広告会社に納得できず、独立して、苦しくても自分の足で歩むことを決断したのでした。
その後、スペインのマドリードに自宅と事務所を構え、シルヴィアさんはクーラの会社の会計責任者として、公私とものパートナーとして、ともに支えあってきたということです。困難を乗り越えてきた絆、お互いへの尊敬、細やかな愛情があってこその40年間なのでしょうね。
子どものころのエピソードは、なるほど納得!という感じで、そのまますくすくと育ったのですね(笑)。クーラのお母さんが、彼の個性を否定したり変えようとしたりせず、認めて育てたことがよくわかりました。
9月のエストニアの西部の娘、今後、クーラが演出構想などを発信してくれるのを楽しみに待ちたいと思います。
*このインタビューは、クロニクルジャーナルの3月号に掲載されました。劇場HPはこちら