つい、この半年前まで、ロッテの「1軍投手コーチ」として、いまや、ドシロートと、門外漢たちに騒がれ過ぎの、佐々木朗希を、
彼が話したことを、うまくライターがまとめて出した、4著作のタイトルから、推し量ると「朗希には、教えていなかった」吉井理人(まさと)。
その、4月10日の、完投、105球、奪三振記録試合を、「チームの、コーディネーター」として、ブログでは手放しで、喜んでいたのを目にし、
? そうかあ? 本音じゃねえだろうなあ…と思いつつ、記事化し、彼のブログを知らない読者に紹介しておいた。
そして、期待通り、4月17日の、佐々木朗希の、102球、無失点の、0-0とはいえ、8回で降板したことに、改めて、触れていた、
「質の悪い、直球を投げていた」
「6回で、代えて欲しかった」
「ついつい、目先の勝利や記録にとらわれて、選手に無理をさせてしまいかねない」
そう言っておいて、球団の1重要スタッフとしての、立場から
「8回での降板,よい判断でした」
でありながら、きっぱり言い放つ
「壊れてしまってからでは、遅いのです」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この一言を、國保陽平は、どう、聞くであろうか
マスコミへの取材拒否は、おそらく、佐々木朗希が引退するまで、かたくなに、続けるであろう。
ドラフトで、競合4球団の末、ロッテ球団、とりわけ、現場のかなめ、吉井には、診察・診断記録を提示して、口酸っぱくして、「朗希の、ガラスの肩、下肢、腰」の症状を説明したように思う。
佐々木朗希とは、メールや電話で、恩師としての会話、助言、激励は続行中であろう、
一方で,朗希の母や、兄や弟への、取材拒否も、致し方ないと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに、吉井の言う通り、6回で降板していれば、投球数、77球
昨年の1軍戦で、投球したのと、ほぼ同様だったことになる。
それは、吉井が、1軍投手コーチとして、帯同し、そばにいて、朗希にも納得させていた球数だ。
すでに、記事化しているが、1度だけ、100球超えたときがあった。
わたしでさえ、見ていて、ひやひやものだった。
1度だけの、見切り発車の、試運転であったのであろう。
今回、6回で降りて、欲しかった理由
それは、5回までの、投球数、60球であったのが、
6回、2-3のフルカウントまで、打者に粘られるなどして、17球も投げざるを得なくなってしまったからだ。
コントロールの、精度が、ガクンと、落ちた
吉井に代わり、1軍投手コーチになっている、木村龍治も、言う
「6回くらいから、球が、暴れ始めてきた」
降りてきた、佐々木に、「肩や、ひじの、コンディションは、どうだ?」と聞いたところ
「いや、大丈夫です」と、答えが、帰ってきた。
かつて書いた、大越基の言葉を思い出した。
そう、言って返した朗希には、いままでに見られなかった、あわや、ホームラン級のあたりも出た。
7回、逡巡し・・・・・8回途中で決断した。
今はまだ、ガラスだが、そのうち、宝石に輝くであろう大器だけに、吉井も、木村も、見ていて、気が気ではなかったはず
ボロ、見せたくない。
安全圏で、降板させたほうがいい
まだ、実質1年目でもあるのだから
野球人生、まだまだ、これから
それも、自らの深い反省からきたものと思う。
結果として、酷使させてしまった種市の復活
そのことを、心からの喜びを、ブログに刻んでいる。
ぜひ、読んでいただきたい。
正直な、吉井のこころを
それにしても3流選手でしかなかった、岩本勉や、里崎智也らの、ただただ、声、うるさいだけの、自画自賛の、的外れでしかない、8回の降板「怪説」
改めて、記載しておきましょう
「選手が、壊れてしまってからでは、遅いのです」