この、11月10日(日)で、小田剛一(たけいち)が、検査入院から、わずか10日で、他界と言う、不思議な出来事から数えて、丸5年目に当たる。
偶然にも、延期された、新カツラ・テンノーと、彼をあやつる女帝愚妻の、パー霊怒が、強行される日とも重なる。
「養女」との、いまだ消え去らぬ、不可解な事象とは別にして、ココロを込めて、合掌、拝礼したい人の為に、記事を再掲載致します。
古都・鎌倉と、小田剛一の故郷。
計2つの墓名碑に行かれたい方の為にも・・・・。
なお、鎌倉の「光明(こうみょう)寺」までは、直行バスが、鎌倉駅から出ております。
富士山が、上手くいけば、高台に登ると、見えるかも知れませんが、紅葉はまだのようです
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≪ 2018・1・3 掲載記事 ≫
ん? 鎌倉の名刹(めいさつ)「光明寺」?
どっかで、聞いた寺の名前だなあ・・・・
あれ? 確か、記事の中に入れた寺の名前だぞ。
確か、高倉健の墓が、「養女」という名の付いた、仮にも遺族であるならば、到底理解しがたい異常心情で、全国どころか、世界のどこにも墓や碑が無いことに心痛めた、前・髙倉プロモーションの専務で、且つ、親戚筋でもあった、元・県会議員の男性が、その寺に掛け合い、碑を昨年、その寺の入り口近くに建立したんじゃなかったっけ?
自分の記事を、検索してみると・・・・・
その寺に、あの異色な企画で、視聴者と、テレビマンの目を見張らせ、出ているのが、バラエティー芸人ばかりなのに、作業終わると、感謝されるという、マカ不思議な番組、「池の水、ぜんぶ抜く大作戦」の、第6弾目で、この寺の池にロケ隊が入り、池の水を全部抜いた、という。
その模様が、先ほど、放送されていた。
といっても、とっさに、チャンネルを合わせたので、途中から視聴。
それでか・・・・・年末から、先の何本も、髙倉健を記事化したなかの、「光明寺」に碑が出来たという記事に検索が集中していたのは、そういう訳だったようだ。
そういえば、この寺の池は有名だった。このように、広い池にハスが敷き詰められているかのように、紹介写真には、このように出ていた。
でも、取材の主眼は、先の碑だったせいもあり、庭園や古い雅(みやび)さ漂う、このような建物は観てきたが、池はあんまり、気にしないで、帰宅してた。
ハスが、どのような影響か、殆んど、死滅し、まさに、このようになっていた。
で、寺の総務部長が、番組に依頼。
一回、池の水を全部、抜いてもらって、その原因を突き止めた末に、もう一度、ハスを再生させ、ハスの花を咲かせ誇った池に戻してみたい、と。
私が行った時も、そうだったが、いつも応対の印象は、とても良い寺。僧侶のノリも良い。
寺の僧侶15人いるうち、10人が、作務衣(さむえ)を、同長靴姿に着替え、池の水抜きに参加。
敢行されたのは、冬晴れの、昨年の12月11日。
水抜きを見守り、ヘドロ状になった池から、なんと、ウナギを発見したのは、「野外授業」に来ていた、低学年の小学生30人。
ロンブーの淳が、その声に押されて、
なんと、計27匹もいたのには、観てて驚いた。
下世話な見方だが、あのウナギの行方は、どうなったんだろうか?
誰が、かば焼きにして、クチに入れたんだろうか。まさに、天然うなぎ。おいしかったのだろうか・・・・。
他に、手長海老、もずく蟹。日本石亀。
在来種だけで、9種類、2630匹も、この池に住みついていたようだ。
そのために、ハスの生育が、さまたげられて・・・・・らしい。
にしても、水が、25トン。ヘドロ、25トン。
ド強力バキュームカーで、吸い挙げていくのは、丸三興業という特殊企業。
ウチもやってくれないか?という打診が、増えたそうだ。
池をきれいにしたあと、新たにハスの根を植え付けていた。
うまく条件が合えば、今年の6月末か、7月には、ハスが咲き誇り、鮮やかな紅の花が咲く・・・・という。
番組では、途中からあわてて観たせいかも知れないが、髙倉健の「た」の字も、話しておらず。
スタッフも、田村淳も、知らなかったんだろうなあ・・・・・。
寺の方でも、積極的に、告知もしていない。
その影響か、記事化した後、寺に問い合わせた時も、「格別、それを目当てだけに来て下さる方は、増えてません。問い合わせも、さほどありませんね」と、言っていたくらいだし・・・・・・。
その一方で、九州の福岡県中間(なかま)市にある、小田家の菩提寺。
つまり、髙倉健こと、本名・小田剛一(たけいち)の、父母や兄らが眠る墓がある寺である、「西山(せいざん)浄土宗 小松寺 正覚(しょうがく)寺」に、実の妹である森敏子(写真下)が、1人奔走、尽力し、昨年の11月4日に、やっと、碑が建立出来ていた。
小田剛一のことを知る関係者や、ファンには、この彼が育った地元「正覚寺」に赴くといい。
養女に縛られていたもんなら、永久に何も出来ないままで終わることになる。
なにしろ、骨は捨てられ、散骨したという事実の真偽も、いまだ分からないまま。
遺骨のひとかけらも、いまだ無いまま。
したがって、寺院内にある「小田家の墓」には、剛一の骨は無い。
寺は、福岡県中間市にあり、JR筑豊本線の「筑前羽生(ちくぜんはぶ)駅」から、歩いて20分ほどのところにあった。
ヘタをすると、見逃してしまいそうな、住宅街のそばにあったので、行く人は気を付けて欲しい。
碑に刻まれている、この「寒青」という単語。
コレ、小田剛一の自筆。高倉健というサインも自筆だ。
寒青とは、寒い冬でも夢を育てているかのように、イキイキと枝を伸ばしている松。それを人間を見立て、人を愛し、楽しませる人でありたいという意味を込めて、弟は好きな言葉にしていたと、森敏子は言う。
碑の下には、このようなプレートに、髙倉健としての略歴が記されていた。
寺の人に聞いたら、「建立した式の時には、森敏子さんなど、10数名ほどが見えられてましたよ。何か、新聞では80名が来ていたとか書いてましたけど、そんなには、とても来てませんでしたね」
が、その後が
「毎日、かなり、ファンでしょうかねえ。来てらっしゃいますよ。花を持ってくる人も、ええ、いますねえ」
年始も終え、ファンの方は、この記事で満足するも良し。行かれるのも良し。
それぞれの心と、胸のなかでで忍んで戴ければと。記事化いたしました。
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≪ 2019・11・8 さらに、追記 ≫
鎌倉の「光明寺」の方は、建立してからも、集まりや、催しは行われたことは、一度も無いが、
ひょっとして、小田家の菩提寺である、「正覚寺」では、あるかも?と想い、聞いてみた。
「格別、お申し出は、ございませんね。
というのも、ウチの方は、次は7回忌が、執り行われる習わしになっております」
「催しが行われるかどうか、うかがっておりませんが、7回忌となるのは、来年の11月10日となりますので、何か、行なわれる・・・・かと、思います
墓参には、いつも、どなたか、来ておりますねえ。
ファンとおぼしき、年代の方も、若い方たちも、来ております
墓名碑の前には、献花が出来るようにスペースを取ってあり、飲み物も、置けるようになっております」
近くにバス停は無いので、「筑前羽生駅」から、徒歩20分。
そぞろ歩きながら、健さんに対する、それぞれの想いを胸に、訪ねてみてください。
羽生は、はぶ、と、よみます。はにゅう、では、ありません。
また、間違っても、「養女」小田貴が、来ることは、絶対に!無いと、想われます