DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

山田太一(1934ー)『車内のバナナ』:多数派に従いたくない者は逃げ場がない時、従うか殺されるか、どちらかだ!

2019-11-07 17:20:31 | 日記
鈍行列車のボックス席で、人の良さそうな男が他の乗客に色々話しかける。そのうちバナナを出し、みんなに1本ずつ「食べたらどうか」と渡そうとした。二人は受け取ったが、私は「いい」と断った。「なぜ断るのか?」と私は一人、非難された。「隣組じゃないの。我(ガ)を張らないでさあ」と戦争中に、近所のおばさんに言われたのを私は思い出した。

《感想1》同調しなければ村八分となり攻撃され侮蔑され暴力を受ける。恐るべき同調圧力。
《感想2》世の中はもちろん「十人十色」。しかし許容されない差違がある。敵と味方だ。
《感想2ー2》多数派に従いたくない者にとって、問題は逃げ場があるかどうかだ。逃げ場がない時、彼は従うか、敵として殺されるか、どちらかだ。
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映画『シャザム!』Shazam!(2019):里親・里子の家族が、善意・友愛・信頼の関係を築くため苦闘する過程がわかり心をうつ!

2019-11-06 22:12:35 | 日記
(1)
背景は里親・里子の家族。主人公は14歳のビリー・バットソン。小さい頃、母親(17歳)に捨てられる。彼は後に母親と再会するが、母親はすでに再婚しており、母親と別れる。ビリーは「里親家族のもとで、一人で生きる」と決意する。
(2)
ビリーは、ある日突然、魔法使いの国に迷い込み、魔術師から「純粋な心をお前は持つので、私の後継者になれ!」と言われ、スーパーパワーを持つシャザムとなる。Shazamは、S=ソロモンの知恵、H=ヘラクラスの怪力、A=アトラスの耐久力、Z=ゼウスの全能、A=アキレスの勇猛心、M=マーキューリーの飛行力という6つの力を持つ。14歳の少年ビリーは「Shazam!」と叫ぶと、スーパーヒーローへ変身、また少年の姿へ戻ることができる。
(3)
シャザムの敵は邪悪なドクター・シヴァ。ドクター・シヴァは大会社社長の父親と、年の離れた兄から無能呼ばわりされ、二人に復讐心を持つ。彼は魔術師から「お前は純粋な心を持たないので私の後継者にしない」と言われ、後継者となったビリー=シャザムを恨む。ドクター・シヴァもスーパーパワーを持つが、それは魔物たちの世界支配の手先として、魔物たちから与えられたものだ。
(4)
邪悪なドクター・シヴァは、大会社社長の父親をビルから突き落とし、重役の兄を魔物たちに食い殺させる。そして彼は、ビリーへの個人的な恨みのために、また魔物の世界支配の手先として、ビリー=シャザムを攻撃する。激闘の末、ビリー=シャザムが、ドクター・シヴァを倒す。ハッピーエンドだ。

《感想1》
ビリーを取り巻く里子たち・里親夫婦の血のつながりがない家族、その善意と友愛と信頼に胸打たれる。人間はともに平和に幸福に生きることが可能なのかもしれないと、希望を持てる。
《感想2》
里親・里子の家族は血のつながりがないので、一から家族の善意・友愛・信頼の関係を築かねばならない。その苦闘の過程がわかり、心をうつ。
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現存在は「死へ臨む存在」であり死において全体として存在する!現存在の本来的な存在可能は、良心を持とうとする意志のなかにある!ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第45節」

2019-11-05 15:30:20 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第45節 現存在の準備的基礎分析の成果と、この存在者の根源的な実存論的解釈の課題」

(1)「実存」:「現存在は、おのれの存在においてこの存在そのものに関わらせられている了解可能的な存在可能として、存在している」!
A 「現存在の本質」は「実存」である。(231頁)
A-2 「実存」とは「現存在は、おのれの存在においてこの存在そのものに関わらせられている了解可能的な存在可能として、存在している」ということである。(231頁)
Aー3 「存在了解が現存在の本質的な存在契機であるからには、おのれの存在のうちに存在了解をそなえているこの存在者を、まずそれ自身の存在について根源的に解釈しておかなければならない。」(231頁)
《感想1》「存在了解」とは日常用語では”意識する”ということだ。

(2)解意としての存在論的考究:先持(※主題)と先視(※仮説)と先取(※理論)!
B 「存在論的考究は解意の一種である。」(231頁)
Bー2 「解意とは・・・・ある了解を開発して領得することである。」(231ー2頁)
Bー3 「解意には・・・・先持と先視と先取がある。」(232頁)
《感想2》「先持」とは解意さるべき「開示さるべき『対象』」、つまり《主題》をあらかじめ明確にすることだ。
《感想2ー2》「先視」とは主題についての《仮説》のことだ。
《感想2ー3》「先取」とは主題を説明する《理論》(「概念組織の型」)のことだ。

(3)これまでの実存論的分析の「先視」(※仮説):「本来的な存在可能」が「先視」のうちに取り入れられていない!
C 「現存在の存在は関心である。」(232頁)
C-2 「実存論的分析は日常性から着手した」ので、「無差別的もしくは非本来的に実存することの分析」に限られていた。このような「先視」(※仮説)には不足がある。「本来的な存在可能」が「先視」のうちに取り入れられていない。
《感想3》「先視」(※仮説)は「世間」(das Man)のレベルにとどまるということ!

(4)これまでの実存論的分析の「先持」(※主題):「全き現存在」を・・・・「主題提示」できなかった!
D 実存論的分析を「日常性から着手した」ので、「全き現存在を、すなわちその『始め』からその『終末』にいたるまでの姿でこの存在者を、主題提示」できなかった。(233頁)
《感想4》これまでの実存論的分析の「先持」(※主題)において、《死》が取り入れられていなかったということ。

(4)-2 「死へ臨む存在の実存論的構造」が「現存在の全体存在可能の存在論的構成」にほかならない!
E 「現存在は死において終末に達し、このことによって全体として存在する。」(234頁)
E-2 「現存在」にとって「死は、死へ臨む実存的な存在(ein existenzielles Sein zum Tode)においてのみ存在する。」(234頁)
E-3 「死へ臨む存在の実存論的構造」が「現存在の全体存在可能の存在論的構成」にほかならない。(234頁)
E-4 こうして「全き実存する現存在」の実存論的分析の「先持」(※主題)のうちに取り入れることができる。(234頁)

(5)「良心を持とうとする意志」!これのうちに「現存在の本来的な存在可能」はある!
F 「現存在の本来的な存在可能は、良心を持とうとする意志(das Gewissen-haben-wollen)のなかにある」!(234頁)

《感想5》「良心」は一種類でない。一方の者の「良心」が、他方の者の「良心」からみれば「邪悪・悪辣・非道」なこともあり得る。
《感想5ー2》ハイデッガーは、各現存在における「良心」について論じる。各現存在の「良心」間の関係(Ex. 闘争・共同・中立・無関心)について、論じない。
《感想5ー3》「現存在の本来的な存在可能」が「良心を持とうとする意志」の中にあるとしても、「良心」とは何か?ホモ・ルーデンス(遊びの人)の「良心」(虚構の天国のうちに生きる)、ホモ・サピエンス(知恵の人)の「良心」(永遠者が定めた秩序の発見の喜びのうちに生きる)、ホモ・ファーベルの「良心」(工作人、M.シェーラー;プラグマチックな世界での征服感・達成感を人工物の製作を通じて得ることを目的に生きる)、
宗教人の良心(この世と死後を含む世界を信じることの安寧感のうちに生きる)等々、「良心」は様々だ。
《感想5ー4》「良心」とは、各現存在の「本来的な存在可能」の導きの星であり、「死」を知りつつも、「死」を超える永遠の価値・理念つまりイデアのことだ。

(6)現存在の実存性の根源的な存在論的根拠は、時間性である!
G 「現存在の実存性の根源的な存在論的根拠は、時間性(Zeitlichkeit)である。」(234頁)
G-2 「関心」は「時間性にもとづいてはじめて実存論的に理解しうるものとなる」。(234頁)
G-3 「日常性は実は時間性の様態である」。(234頁)
G-4 「この時間性にもとづいて、現存在がその存在の根拠において歴史的であることの理由も・・・・理解されるようになる。」(234-5頁)
H 「関心は『時間』を用い、したがって『時間』を考慮に入れざるをえない」。(235頁)
H-2 「現存在の時間性は『計時法』を発達させる。」ここから「日常的=通俗的な時間了解が生ずる。」(235頁)

(6)-2 「内時性」としての時間の根源は「時熟」である!
I 「世界の内部に存在するものは『時間のなかで』出現するといわれる。」この意味での「時間」が「内時性(die Innerzeitigkeit)」としての時間である。(235頁)
I-2 「内時性」としての時間の根源を解明すると、「時間性の本質的な時熟可能性の一つ」があらわになる。(235頁)
I-3 「現存在の存在を構成する存在了解は、この根源的な時熟(Zeitigung)にもとづく」。(235頁)

(7)「第2編 現存在と時間性」:「第1-6章」!
J 以上より「第2編」は次の諸段階を経歴する。
一、「第1章 現存在の可能的な全体存在と、死へ臨む存在」
二、「第2章 本来的な存在可能の現存在的な臨証と、覚悟性」
三、「第3章 現存在の本来的な全体存在可能と、関心の存在論的意味としての時間性」
四、「第4章 時間性と日常性」
五、「第5章 時間性と歴史性」
六、「第6章 時間性と通俗的時間概念の根源としての内時性」
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ブルガーコフ(1891-1940)『悪魔物語:分身が一人の事務員を破滅させた物語』(1925):「生活に根をおろした幻想、映画のような急速な場面転換」!

2019-11-03 21:11:38 | 日記
(1)20日の出来事
中央マッチ工場書記のコロトコフは、1921/12/20、「給料出ません」と経理課から知らされる。
(2)現物支給
マッチ箱が現物支給される。コロトコフは「不良品でないか」と、家に帰り受け取った大量のマッチ擦ってみる。燃えがらが左目に飛び込み、彼は火傷し左目を包帯で包む。
(3)禿頭の出現
工場長室に行くと入り口に禿頭の新しい工場長、髯を剃ったカリソネルがいた。彼は怒鳴り散らし続ける。彼が「兵士用ズボン下を女子従業員に支給する」と指令を出す。
(4)第一節 コロトコフを解雇する
翌日、コロトコフは市電の事故で遅刻する。工場長カリソネルが、コロトコフを解雇する指令書をだす。コロトコフは遅刻の理由説明をし、解雇を取りやめてもらおうとカリソネルを訪ねる。
(5)悪魔の策略
カリソネルは出かけ、コロトコフが後を追う。ここで髭を伸ばしたカリソネルが現れる。コロトコフは、カリソネルを見失う。工場にもどると、老人が「工場長カリソネルは、コロブコフを名簿から削除・更迭した」と言う。「自分はコロブコフでなく、コロトコフだ」とコロトコフは主張。しかし身分証明書をコロトコフは盗まれてしまい、自分が誰か証明できない。
(6)最初の夜
コロトコフは、髯を剃ったカリソネルと、髭を伸ばしたカリソネルが居たことを、思い出す。
(7)オルガンと猫
次の日、コロトコフが工場に行くと、全員が更迭され入れ替わっていた。しかも書記の席でカリソネルが仕事していた。彼は工場長から書記に降格された。カリソネルが「お前は私の補佐だ」と言った。ところが、「コロトコフはすでに馘(クビ)で、お前はコロブコフだ」とカリソネルが証明書を出した。コロトコフが髯のカリソネルにとびかかる。工場のホールにオルガンが鳴り響く。ここで髯のないカリソネルは馬車を走らせ絶叫し逃げる。コロトコフが、ビルまでカリソネルを追いかける。途中、耳も鼻もなく左腕が骨折した男と会う。髭のカリソネルが、ビルから転落し黒猫に変身して逃げ去る。
(8)第二の夜
その日の夜12時に、時計が40回も打った。
(9)タイプライターの恐怖
コロトコフが市民相談室に、身分証明書をとりに行く。ブルネットの女が「私はあなたのものよ」と言った。老人が、彼をコロブコフと呼び、「お前は若い女を4人誘惑したので告発書を提出する」と言いマントを翻し、宙を飛んだ。コロトコフが「コロブコフじゃない」と叫ぶ。男が引き出しの中から出てきた。「身分証と神聖な名前を返してくれ」とコロトコフが言う。タイプライターが曲を演奏する。
(10)恐ろしいドゥイルキン
二人のコロトコフのうち、第二のコロトコフ(コロブコフ)はエレベータ内の鏡の中に置き去りにされる。「コロトコフを逮捕する」とシルクハットの太った男が言う。コロトコフが「身分証明書がないから、私は誰でもなく逮捕されない」と言う。恐ろしいドゥイルキンが、魔法の力で善良なドゥイルキンに変身する。青年がドゥイルキンを鞄でひっぱたく。コロトコフは燭台でドゥイルキンを殴る。またコロトコフが、カッコウの時計をたたき壊す。時計から出生地証明書のついた白い雄鶏が飛び出し逃げる。
(11)追跡映画と深淵
白い雄鶏を多くの者が、また色々な物が追いかける。コロトコフに銃弾が降り注ぐ。エレベーターにコロトコフが乗る。コロトコフが「カリソネルに反撃された」と少年に言う。ビリヤード室でコロトコフが敵たちに反撃する。「降伏せよ!」と叫ぶ声。「消防士たちに包囲された」とコロトコフ。カリソネルが銃を構え迫ってきた。「屈辱を受けるくらいなら死んだ方がましだ!」とコロトコフは最上階のビリヤード室から飛び降りる。(「分身が一人の事務員を破滅させた」!)

《感想1》ブルガーコフは、ロシア革命前、1891年キエフで神学大教授の家に生まれた。1916年、キエフ大医学部を卒業し医師となる。1917年ロシア革命。1921年モスクワに出て文筆活動で生きると決意。1923年、最初の長編『白衛軍』を書く。しかし共産党の文芸政策と対立し一部しか発表できなかった。1925年『悪魔物語』も発禁処分。その後の多くの戯曲も、すべて1929年、上演禁止となる。ブルガーコフは発表の当てのないまま、いつの日か必ず勝利するであろう「文学」の力を信じ、書き続ける。重病と失明の中、1940年死去。(《参考》「解説」水野忠夫)
《感想2》「ソヴィエト官僚主義の風刺というテーマにおいては全く陳腐なものである」との批評がある。(1924年『ズヴェズダ』誌)「生活に根をおろした幻想、映画のような急速な場面転換」とエヴゲーニイ・ザミャーチンが評価。(1924年『ロシアの現代人』誌)
《感想3》ソ連は強権主義の国家で民主主義を認めない。特に共産党を通したスターリン独裁が、多くの人間を殺した。これまでの人類史は残虐の歴史だ。(ただしどんな殺戮の時代であれ、殺戮が行われない人々の間には、しばしば繁栄と文明・文化が生まれた。)
《感想3-2》安倍首相は「自由・民主主義・法の支配・人権」という普遍的価値を守る「価値観」外交を提唱する。ソ連が認めなかった価値観だ。ただし安倍首相が「言行一致」しているかどうか、議論が分かれる。
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われわれは真理を前提せざるをえない!真理は現存在の開示態として存在せざるをえない! ハイデガー『存在と時間』(1927)「第44節」(c)(その2、真理の前提)

2019-11-03 13:56:42 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第1編 現存在の準備的な基礎分析」「第6章 現存在の存在としての関心(Sorge、気遣い)」「第44節 現存在、開示態および真理性」(c)「真理の存在様相と真理の前提」(その2)

(c)「真理の存在様相と真理の前提」(226頁-)(その2、真理の前提)
(9)われわれは真理を前提せざるをえない!真理は現存在の開示態として存在せざるをえない!
E 「われわれは何故に、真理が与えられていると前提しなくてはならないのであろうか」。(227頁)
E-2 「現存在は・・・・内世界的存在者(※事物)の配視的発見的配慮に関わらせられている」。(228頁)
《感想9》日常的なプラグマティックな生活、つまりハイデガーの配視的生活においては、「真理」つまり事実である因果連関のみが、配視的なプラグマティックな計算上、有用だ。嘘(虚偽)では困る。「橋がある」と言われ、行ってみて橋がなかったら(「偽」の言明)君は困る。言明の「真理」が配視的なプラグマティックな計算上、日常生活で不可欠だ。

E-3 「われわれは真理を前提せざるをえない。真理は現存在の開示態として存在せざるをえない。」(228頁)
E-4 「このことは、現存在が世界の内へ投げられているという本質的被投性に属している。」(228頁)
E-5 「たとえ何びとも判断(※認識、言明)しない場合にも、そもそも現存在が存在しているかぎり、真理がすでに前提されている」。(229頁)

(9)-2「純粋自我」とか「意識一般」とかいう理念は、現存在のアプリオリな原理を逸する!
F 「空想的に理想化された主観」によって、「『事実的な』主観(すなわち現存在)のアプリオリな原理が・・・・逸せられる」。(229頁)
F-2 「『純粋自我』とか『意識一般』とかいう理念は・・・・現存在の事実性と存在構成の存在論的諸性格を・・・・眼に入れてさえいない」。(229頁)
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