DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

安倍公房(1924-1993)『鞄』:「鞄」はやがて本性を現し、生命の安全を脅かし、生活を保障せず、また人身・思想良心・経済活動の自由を禁止し、幸福追求の権利を否定する!

2019-11-07 20:22:58 | 日記
半年前の求人広告に応募してきた青年。「『鞄』が大きくて重くて、また『鞄』が行き先を決めてしまい、自分は自由に歩けない。やっと半年かかって、ここに着いた」と青年が言った。私は言った。「そういう事情なら、君を雇おう。」さらに私は彼に下宿屋も紹介した。彼は、会社に「鞄」を置いて、下宿屋の下見に出かけた。私は彼が置いていった「鞄」を持ってみた。するとずっしり思い。しばらくすると突然、ものすごく重くなって腰骨の間に背骨がめり込む音がした。私は意識を失い、気づけば事務所の外にいた。私は「鞄」に導かれ、ただ歩いていれば良かった。私は嫌になるほど自由だった。

《感想1》ナチズムを支持した者たちは「自由から逃走した」と、かつてE.フロム(1900-80)が言った。自由の面倒くささから逃れ、ナチスのイデオロギーに従うことで彼らは楽になった。
《感想2》A.ゲーレン(1904-76)は、本能を持たない人間の「負担除去」のため文化が生まれたと述べた。人間は自由を持てあます。
《感想3》サルトル(1905-80)は、人間は「自由の刑に処せられている」と述べた。
《感想4》「鞄」に従うことで「自由から逃走」し、彼の「負担は除去され」、「自由の刑」を免れる。「鞄」が生命の安全を保障し、生活を保障するなら、また人身の自由、思想良心の自由、経済活動の自由を保障し、幸福追求の権利を保障するなら、「鞄」は「自由」であることと同じだ。
《感想4-2》「鞄」は移動の自由だけ認めない。つまり人身の自由のみ一部制限する。(刑務所にいれたりはしない。)その制限だけで、あとは自由なら、「鞄」は「自由」と言っていいだろう。
《感想4-3》移動の自由を制限するのみで、生命の安全・生活の保障・思想良心の自由・経済活動の自由・幸福追求の権利の保障(移動の自由は除く)をもたらす「鞄」ならあまり問題がないだろう。
《感想4-4》そんな便利な「鞄」は普通ない。「鞄」はやがて本性を現し、生命の安全を脅かし(Ex. 徴兵、逮捕、拷問)、生活を保障せず(Ex. 物資統制、配給制)、また人身の自由、思想良心の自由、経済活動の自由を禁止し(Ex. 密告制度、秘密警察、戒厳令、統制経済)、幸福追求の権利を否定する(Ex. 強制収容、テロによる支配)。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田太一(1934ー)『車内のバナナ』:多数派に従いたくない者は逃げ場がない時、従うか殺されるか、どちらかだ!

2019-11-07 17:20:31 | 日記
鈍行列車のボックス席で、人の良さそうな男が他の乗客に色々話しかける。そのうちバナナを出し、みんなに1本ずつ「食べたらどうか」と渡そうとした。二人は受け取ったが、私は「いい」と断った。「なぜ断るのか?」と私は一人、非難された。「隣組じゃないの。我(ガ)を張らないでさあ」と戦争中に、近所のおばさんに言われたのを私は思い出した。

《感想1》同調しなければ村八分となり攻撃され侮蔑され暴力を受ける。恐るべき同調圧力。
《感想2》世の中はもちろん「十人十色」。しかし許容されない差違がある。敵と味方だ。
《感想2ー2》多数派に従いたくない者にとって、問題は逃げ場があるかどうかだ。逃げ場がない時、彼は従うか、敵として殺されるか、どちらかだ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする