※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第1編 現存在の準備的な基礎分析」「第6章 現存在の存在としての関心(Sorge、気遣い)」「第44節 現存在、開示態および真理性」(c)「真理の存在様相と真理の前提」(その1)
(c)「真理の存在様相と真理の前提」(226頁-)(その1、真理の存在様相)
(8)「真理」は「開示態、発見、被発見態」として、「現存在が存在している間だけ真である」!
A 「真理は、現存在が存在しているかぎり、かつその間だけ、《与えられている》(《es gibt》)。」(226頁)
A-2 「真理」は「開示態、発見、被発見態」として、「現存在が存在している間だけ真である」。(226頁)
A-3 「このような『限定』をつけたからといって、『真理』が真であることを格下げするわけでもない。」(227頁)
《感想8》現存在はモナドであり、宇宙だ。宇宙の真理は、宇宙のうちにのみ発見される。ある現存在が死ねば、真理は姿を現す、つまり《es gibt》=《与えられている》ことができない。
《感想8-2》だがモナドは他モナドと間モナド的な宇宙を構成しうる。この場合、宇宙は感覚=《物の出現》においてのみ間モナド的だ。真理は間モナド的真理として、各現存在(モナド、宇宙)において出現する。
(8)-2 「発見するということが、『真理』というもののありかたである」!
B 例えば「ニュートンの法則はニュートン以前には真でも偽でもなかった。」法則は特定の「存在者を発見的に挙示する。」「ニュートンの法則はニュートンによって真となった。」(227頁)
B-2 つまり「ニュートンの法則によって、現存在にとっては、存在者がそれ自体においてあるありさまで接しえられるようになった。」(227頁)
B-3 「存在者のこの被発見態とともに、この存在者はまさしく、前々からすでに存在していた存在者として現れ出てくる。このように発見するということが、『真理』というもののありかたである。」(227頁)
(8)-3 《モナド共同体》の永遠性が立証されて、初めて「永遠な真理」が「証明」される!
C 「永遠な真理」が与えられているかどうかは、「現存在が永遠にわたって存在していたし存在するであろう」ということが首尾よく立証されて、初めて「証明」されたことになる。(227頁)
C-2 「この証明がない間は、この命題(※「永遠な真理」が与えられているという命題)は空想的な主張にすぎない」。(227頁)
《感想8-3》ここでは現存在の《間モナド的》永遠性が語られている。《モナド共同体》の永遠性が立証されて、初めて「永遠な真理」が「証明」される。
(8)-4 「発見すること(※真理性)は・・・・言明を『主観的恣意』のとどかないところへおき、発見する現存在を存在者そのものに直面させる」!
D 「あらゆる真理は・・・・現存在の存在に相関的である。」(227頁)
D-2 これはあらゆる真理が「主観の恣意にゆだねられている」ということではない。(227頁)
D-3 「発見すること(※真理性)は・・・・言明を『主観的恣意』のとどかないところへおき、発見する現存在を存在者そのものに直面させる。」(227頁)
(c)「真理の存在様相と真理の前提」(226頁-)(その1、真理の存在様相)
(8)「真理」は「開示態、発見、被発見態」として、「現存在が存在している間だけ真である」!
A 「真理は、現存在が存在しているかぎり、かつその間だけ、《与えられている》(《es gibt》)。」(226頁)
A-2 「真理」は「開示態、発見、被発見態」として、「現存在が存在している間だけ真である」。(226頁)
A-3 「このような『限定』をつけたからといって、『真理』が真であることを格下げするわけでもない。」(227頁)
《感想8》現存在はモナドであり、宇宙だ。宇宙の真理は、宇宙のうちにのみ発見される。ある現存在が死ねば、真理は姿を現す、つまり《es gibt》=《与えられている》ことができない。
《感想8-2》だがモナドは他モナドと間モナド的な宇宙を構成しうる。この場合、宇宙は感覚=《物の出現》においてのみ間モナド的だ。真理は間モナド的真理として、各現存在(モナド、宇宙)において出現する。
(8)-2 「発見するということが、『真理』というもののありかたである」!
B 例えば「ニュートンの法則はニュートン以前には真でも偽でもなかった。」法則は特定の「存在者を発見的に挙示する。」「ニュートンの法則はニュートンによって真となった。」(227頁)
B-2 つまり「ニュートンの法則によって、現存在にとっては、存在者がそれ自体においてあるありさまで接しえられるようになった。」(227頁)
B-3 「存在者のこの被発見態とともに、この存在者はまさしく、前々からすでに存在していた存在者として現れ出てくる。このように発見するということが、『真理』というもののありかたである。」(227頁)
(8)-3 《モナド共同体》の永遠性が立証されて、初めて「永遠な真理」が「証明」される!
C 「永遠な真理」が与えられているかどうかは、「現存在が永遠にわたって存在していたし存在するであろう」ということが首尾よく立証されて、初めて「証明」されたことになる。(227頁)
C-2 「この証明がない間は、この命題(※「永遠な真理」が与えられているという命題)は空想的な主張にすぎない」。(227頁)
《感想8-3》ここでは現存在の《間モナド的》永遠性が語られている。《モナド共同体》の永遠性が立証されて、初めて「永遠な真理」が「証明」される。
(8)-4 「発見すること(※真理性)は・・・・言明を『主観的恣意』のとどかないところへおき、発見する現存在を存在者そのものに直面させる」!
D 「あらゆる真理は・・・・現存在の存在に相関的である。」(227頁)
D-2 これはあらゆる真理が「主観の恣意にゆだねられている」ということではない。(227頁)
D-3 「発見すること(※真理性)は・・・・言明を『主観的恣意』のとどかないところへおき、発見する現存在を存在者そのものに直面させる。」(227頁)