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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(81)-3 百田氏の誤り③:開戦は「内閣の決定」によるのでない!「開戦」の決定は、天皇の「外交大権」に属する!

2021-05-16 13:26:46 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「大東亜戦争」の章(235-314頁)  

(81)-3 百田氏の誤り③:百田氏が開戦は「内閣の決定」によると考えるとしたら誤りだ!「開戦」の決定は天皇の「外交大権」に属する! (312-313頁)
V-4 百田氏は「大東亜戦争の開戦には反対だったにもかかわらず、開戦が決まった御前会議においても、内閣の決定に対しては一言も意を唱えなかった」(百田405頁)と述べる。
V-4-2 百田氏の誤り③:開戦は「内閣の決定」によるのでない。百田氏が開戦は「内閣の決定」によると考えるのは誤りだ。
V-4-3 明治憲法下では「開戦・講和・条約の締結」といった「外交大権」は天皇大権の一つだ。内閣は天皇を「輔弼(ホヒツ)」する(助ける)にすぎない。《感想》天皇が「大東亜戦争の開戦には反対だった」なら、「御前会議」(天皇臨席の「大本営政府連絡会議」)で、天皇は「開戦」を決定しないはずだ。実際には、天皇は「御前会議」において、自分を「輔弼(ホヒツ)」する内閣の方針を採用し、かつ「軍」(「大本営」)の意見も参考に、自らの「外交大権」(天皇大権)を行使して「開戦」を決定した。
V-4-4 なお「陸海軍の編成・指揮」は「統帥(トウスイ)大権」で、これも天皇大権の一つだ。これに内閣は関与できない。国務を扱う「政府(内閣)」と軍事に関わる「統帥部」は独立した機関だ。Cf. 「軍部」が「政府」の意向を無視し暴走出来たのは、この独立性による。(※統帥権の独立!)

(81)-3-2 「御前会議」とは、「大本営政府連絡会議」に天皇が臨席する場合を指す!
V-4-5 「御前会議」とは何か?日中戦争勃発後の1937年11月、軍の最高機関として日露戦争以来3度目の「大本営」が設置された。そして「軍」と「政府」の意見調整のため「大本営政府連絡会議」が開かれるようになった。
V-4-5-2 「大本営政府連絡会議」で「軍」と「政府」の意見が対立することもよくあった。Cf. 1944年東条が「政府」の首相と陸相に加え、参謀総長(「陸軍の長」)を兼任したのは、「軍」と「政府」の意見の対立を解消しようとする動きだった。
V-4-5-2-2 「政府」の陸相・海相は軍の事務・予算(軍政)を担当するが、具体的な作戦(軍令)は「軍」の陸軍参謀本部、海軍軍令部の担当で、「政府」(陸相・海相)は関与できなかった。
V-4-5-3 太平洋戦争末期の「御前会議」とは、「大本営政府連絡会議」に天皇が臨席する場合を指す。
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