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何をそもそも歴史研究の対象とすべきかの《選択》は、現存在の歴史性の事実的な実存的選択の中ですでにくだされている!ハイデガー『存在と時間』(1927)「第1部」「第2編」「第5章」「第76節」(その2)

2020-04-29 12:22:01 | 日記
※ハイデガー(1889-1976)『存在と時間』(1927)「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第2編 現存在と時間性」「第5章 時間性と歴史性」「第76節 現存在の歴史性にもとづく、歴史学の実存論的根源」(その2)

(3)覚悟せる反復(※本来的に既住的に存在すること)のみが、かつて現存していた歴史を開示することができる!
D 「何が《本当に》歴史学の対象であるのか」?(394頁)
D-2 「歴史学の主題は・・・・事実的にかつて実存していた可能性なのである。」(395頁)
D-3「ただ事実的な本来的な歴史性のみが、覚悟せる反復(※運命的反復)として、かつて現存していた歴史を開示することができる」。(395頁)

《参考5》現存在の「事実性」(Faktizität)には次のような事柄が含まれる。①「世界の内部にある」存在者の世界内存在ということ。②しかも「この存在者はその『運命』において、おのれ自身の世界の内部でおのれに出会うもろもろの存在者の存在に連帯していることをみずから了解する」ということ。(第12節)
《参考5-2》ハイデガーは言う。「現存在は先駆において《おのれをふたたび取りもどし》て、ひとごとでない存在可能に直面させる。」「《このように本来的に既住(既在)(※過去)的に存在すること》を、われわれは《反復(Wiederholung)》となづける。」(339頁)Cf. なお了解における「非本来的既住性(既在性)(※過去)」が「忘却」or「忘却性」である。(339頁)
《参考5-3》「歴史とは、実存する現存在の、時間の中で起こる特殊な経歴(Geschehen)であって(※「人間や人間集団や彼らの《文化》などの変遷と運命」)、そのさい相互存在(※人間)のなかで《過ぎ去り》かつ同時に《伝承されて》きて、今日なお影響しつづけているもの(※「《過去》《現在》《未来》」をつらぬく「事件と作用の《連関》」)」。(379頁)

(3)-2 歴史研究の対象の選択は、現存在の歴史性の事実的な実存的選択の中ですでにくだされている!
E 「歴史学的開示も、やはり将来から時熟する。」(395頁)
E-2 すなわち「何をそもそも歴史研究の対象とすべきかの《選択》は、現存在の歴史性の事実的な実存的選択の中ですでにくだされている。」(395頁)

《参考6》現存在自身の時間的存在様式としての歴史性。つまり現存在は、「自己の過去を存在している」。「現存在の根本的な歴史性」!(20頁)
《参考6-2》「現存在の時間性を①日常性、②歴史性、③内時性として開発することによって、はじめて現存在の根源的な存在論の錯綜への仮借ない洞見が与えられる」(333頁)
《参考6-3》「現存在には、事実上いつもそれぞれの《歴史》がある。」というのも「この存在者の存在が歴史性によって構成されているからである。」(382頁)
《参考6-4》「現存在は歴史的であるというテーゼ(※現存在の歴史性)は、《世界を欠く主観が歴史的である》という意味のものではなく、《世界内存在として実存している存在者が歴史的である》と述べている。」(388頁)

(3)-3 まとめ:歴史学の中心的な主題!
F 「歴史学の中心的な主題は、かつて現存していたそれぞれの実存の可能性であり、そして、この実存は、事実的にはいつも世界=歴史的に実存するものである。」(395頁)
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