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アイリアノス『ギリシア奇談集』:「万物衰滅の理(コトワリ)について」(宇宙もやがて衰滅する)!「ディオゲネスの死について」(彼は死と葬儀について無頓着だった)!

2021-10-05 23:53:28 | 日記
※アイリアノス(200A.D.頃)『ギリシア奇談集』(第1~14巻)岩波文庫

第8巻(11)「万物衰滅の理(コトワリ)について」:宇宙そのものもやがて衰滅する!
河川が時とともに涸れ細る。高く聳えたつ高山も次第に矮小化する。万有の本性について、詳しく考察したと自称している人々の説によれば、宇宙そのものもやがて衰滅するという。
《感想》アイリアノスの時代の1800年後、今や次のように言われている。宇宙が誕生したのが138億年前、太陽・地球の誕生は45-46億年前、生命の誕生はその5億年後の40億年前。やがて50億年後、太陽は燃え尽き地球は消え去る。(Cf. それまでに人間は太陽系外の他の星に移住しているかもしれない。)

第8巻(14)「ディオゲネスの死について」:彼は死と葬儀について無頓着だった!
シノペの人ディオゲネスは、もはや助かる見込みのない病に罹った時、不自由な体をどうにか運んで、体育場のそばに懸かっていた小橋まで降りて行った。ディオゲネスはあらかじめ体育場の番人に「自分が絶命したのを見届けたなら、イッソス河へ投げこんでくれ」と頼んでおいたからだ。ディオゲネスは死と葬儀について、このように無頓着だった。
《参考》ディオゲネス(前404?~前323?)は古代ギリシアの哲学者。「樽の中のディオゲネス」と呼ばれた。キュニコス学派(犬儒学派)に属し「犬のような生活」をした。世俗の権威を否定し、自然で簡易な生活に努めた。Cf. 日光浴中のディオゲネスにアレクサンドロス大王が「望みはないか」とたずねたところ、「そこに立たれると日陰になるのでどいてほしい」と答えたという。
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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(105)-2 百田氏の誤り②:旧安保条約が「米国に日本を防衛する義務がある」と書かなかったのは「連合国軍内の『合意』」にもとづく!

2021-10-05 14:42:23 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)  

(105)-2 百田氏の誤り②:旧安保条約が「アメリカは日本を防衛する義務がある」と書かないのは「連合国軍内の『合意』や世界史的背景」があるからだ!(411-413頁)
D-3 百田尚樹『日本国紀』は「この条約[日米安全保障条約]には、アメリカは日本を防衛する義務があるとは書かれていなかった」(百田453頁)と非難するが、これは「連合国軍内の『合意』や世界史的背景」をふまえていない非難であり、誤りだ。吉田茂首相(日本政府)に他の選択肢はなかった。(412-413頁)
D-3-2  米・豪・ニュージーランドの「三国協定」(1951)で、米国は豪(オーストラリア)とニュージーランドに「アメリカは日本の脅威に責任を持つ」と約束している。(旧)日米安全保障条約で「日本を防衛する義務がある」(共同防衛)と書くと、日本が再軍備し豪・ニュージーランドの脅威となった時でも、アメリカが日本と共同防衛責任を負う。これはアメリカにとってありえない。(412頁)
D-3-3  また「日本国内で内乱が起きた場合は、その鎮圧のためにアメリカ軍が出動できる」(百田453頁)という項目も、日本の「共産クーデター」を想定しているだけでなく、日本に軍国主義政権が成立した時に介入できる項目である。つまり「アメリカが日本の軍国主義化をくいとめる」というアピールを太平洋の同盟国に保障するものだった。(412頁)
D-3-4  (旧)日米安全保障条約第1条(1951年)には次のように書かれている。「この軍隊[アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍]は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起された日本国における大規模の内乱及び騒擾(ジョウ)を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。」(412頁)
D-3-4-2  アメリカが日本を「守る」(「日本国の安全に寄与する」)ことについて、「義務」とは書いていないが、アメリカの意思で「守る」ことができると書いてある。(412-413頁)
D-3-4-3  吉田茂首相(日本政府)が(旧)日米安全保障条約の調印を行ったのは、一方で(ア)アメリカが日本を「守る」(「日本国の安全に寄与する」)意思を実行しないはずはないと判断したからだ。
D-3-4-3-2 吉田首相は、同時に、他方で(イ)アメリカのオーストラリアやニュージーランドとの「三国協定」(1951年)の存在を知り、さらに(イ)-2ダレスの「七原則」(1950年)が英国等、連合国に同意されていることを知っていたからだ。つまり「《国際連合が実効的責任を負担する》というような満足すべき別途の安全保障取り決めが成立するまで、《日本国区域における国際の平和と安全の維持》のために、米軍が日本に駐留し、その他の軍隊(日本の軍事、Ex. 警察予備隊)と引き続き協力する」ということ!(413頁)
D-3-5  かくて、(旧)日米安全保障条約(1951年)は「日本にとって不利、不平等な内容」(百田453頁)というより、「不平等だが日本には有利」だった。(413頁)
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