※アイリアノス(200A.D.頃)『ギリシア奇談集』(第1~14巻)岩波文庫
第7巻(10)「ソクラテスの妻」:クサンティッペは「見にいく」のであって、かつ「見られにゆく」のだ!
ソクラテスは、妻のクサンティッペが祭りの行列を見物に行くのに、夫の上着を着てゆくのを嫌がった時、「ほれごらん、お前は見にいくのじゃなくって、見られにゆくんだよ」と言った。
《感想1》「夫の上着を着てゆく」のを嫌がったクサンティッペの方が普通だ。それに文句をつけるソクラテスは女性(妻)への理解不足だ。
《感想2》またクサンティッペの行動に関するソクラテスの発言は誤りだ。クサンティッペは「見にいく」のであって、かつ「見られにゆく」のだ。
第7巻(18)「エジプト人の我慢強さと、インド人の妻の殉死」:拷問されたエジプト人は、自白するより前に死んでしまう!インドの殉死の風習サティ!
エジプト人は恐ろしく我慢強いという。拷問されたエジプト人は、自白するより前に死んでしまうそうである。インドでは夫が死ぬと、妻たちは夫を焼く火で自ら焼死することを厭わない。死亡した男の妻たちは互いに競い合い、籤(クジ)に当たった女が夫とともに焼かれる。
《参考1》インドの殉死の風習はサティと呼ばれる。例えば、17世紀ムガール帝国宮廷に仕えたフランス人ベルニエ『ムガル帝国誌』にサティの記述がある。「昔ほど多数が焼死していない。現在統治しているイスラーム教徒は、この野蛮な風習に敵対しできるかぎり防止している。 とはいえ・・・・反乱を恐れ、自分達よりずっと多数の偶像崇拝の徒(ヒンドゥー教徒)である人民に、自由な宗教行為を許している。・・・・サティ(殉死)は夫に対するあふれんばかりの愛情によるというより・・・・本当のところは、妻達を夫にもっと隷属させ、夫の健康にとりわけ心を配らざるを得なくさせ、妻達が夫を毒殺するのを妨げるための、男達の策略だった。」
《参考2》1829年にイギリス植民地当局がサティ禁止令を出した。
第7巻(10)「ソクラテスの妻」:クサンティッペは「見にいく」のであって、かつ「見られにゆく」のだ!
ソクラテスは、妻のクサンティッペが祭りの行列を見物に行くのに、夫の上着を着てゆくのを嫌がった時、「ほれごらん、お前は見にいくのじゃなくって、見られにゆくんだよ」と言った。
《感想1》「夫の上着を着てゆく」のを嫌がったクサンティッペの方が普通だ。それに文句をつけるソクラテスは女性(妻)への理解不足だ。
《感想2》またクサンティッペの行動に関するソクラテスの発言は誤りだ。クサンティッペは「見にいく」のであって、かつ「見られにゆく」のだ。
第7巻(18)「エジプト人の我慢強さと、インド人の妻の殉死」:拷問されたエジプト人は、自白するより前に死んでしまう!インドの殉死の風習サティ!
エジプト人は恐ろしく我慢強いという。拷問されたエジプト人は、自白するより前に死んでしまうそうである。インドでは夫が死ぬと、妻たちは夫を焼く火で自ら焼死することを厭わない。死亡した男の妻たちは互いに競い合い、籤(クジ)に当たった女が夫とともに焼かれる。
《参考1》インドの殉死の風習はサティと呼ばれる。例えば、17世紀ムガール帝国宮廷に仕えたフランス人ベルニエ『ムガル帝国誌』にサティの記述がある。「昔ほど多数が焼死していない。現在統治しているイスラーム教徒は、この野蛮な風習に敵対しできるかぎり防止している。 とはいえ・・・・反乱を恐れ、自分達よりずっと多数の偶像崇拝の徒(ヒンドゥー教徒)である人民に、自由な宗教行為を許している。・・・・サティ(殉死)は夫に対するあふれんばかりの愛情によるというより・・・・本当のところは、妻達を夫にもっと隷属させ、夫の健康にとりわけ心を配らざるを得なくさせ、妻達が夫を毒殺するのを妨げるための、男達の策略だった。」
《参考2》1829年にイギリス植民地当局がサティ禁止令を出した。