※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)
(106)-7 百田氏の誤り⑦:百田氏が安保反対デモの人数について「主催者発表」の数字のみ紹介し、「警察発表」の数字を示さないの、事実の叙述に関し公正でなく誤りだ!(417-418頁)
E-8 百田尚樹『日本国紀』は「新安保条約の自然承認が成立する6月18日夜(19日午前零時をもって成立)には33万人のデモ隊が集結した。・・・・自然承認の成立を前に、岸は首相執務室に、弟の佐藤栄作大蔵大臣(後、首相となる)といた。佐藤は『兄さん、二人でここで死のうじゃないか』と言ってブランデーをグラスに注ぎ、兄とともに飲んだという逸話が残されている。」(百田456頁)
E-8-2 百田氏の誤り⑦:「美談仕立て」で当時の官邸内の様子が描かれているが、百田氏は安保反対派が過激で極めて多数であると強調し、「ここで死のうじゃないか」という逸話を紹介している。しかしデモ隊の人数がが「33万人」というのは「主催者発表」の数字で、「警察発表」は13万人だ。百田氏が「主催者発表」の数字
のみ紹介し、「警察発表」の数字を示さないのは、「逸話」の「美談」性を強調するためと考えられ、事実の叙述に関し公正でない点で、誤りだ。(417-418頁)
E-8-3 また百田氏は安保反対派デモが過激である事を強調するが、(ア)「賛成派の反社会的勢力がデモ隊を襲撃する事件」もあった。また(イ) 6月15日、安保反対派デモに参加していた東京大学の学生樺(カンバ)美智子が死亡する事件が起きる。反対派デモが過激化したのは、樺美智子の死の知らせが届いた後だ。(ウ)安保反対派のデモにおいて、大部分のデモ隊と警察官は非暴力的だった。全体として負傷学生400人、死者1人(樺美智子)、逮捕者200人、警察官負傷300人だった。(418頁)
(106)-7 百田氏の誤り⑦:百田氏が安保反対デモの人数について「主催者発表」の数字のみ紹介し、「警察発表」の数字を示さないの、事実の叙述に関し公正でなく誤りだ!(417-418頁)
E-8 百田尚樹『日本国紀』は「新安保条約の自然承認が成立する6月18日夜(19日午前零時をもって成立)には33万人のデモ隊が集結した。・・・・自然承認の成立を前に、岸は首相執務室に、弟の佐藤栄作大蔵大臣(後、首相となる)といた。佐藤は『兄さん、二人でここで死のうじゃないか』と言ってブランデーをグラスに注ぎ、兄とともに飲んだという逸話が残されている。」(百田456頁)
E-8-2 百田氏の誤り⑦:「美談仕立て」で当時の官邸内の様子が描かれているが、百田氏は安保反対派が過激で極めて多数であると強調し、「ここで死のうじゃないか」という逸話を紹介している。しかしデモ隊の人数がが「33万人」というのは「主催者発表」の数字で、「警察発表」は13万人だ。百田氏が「主催者発表」の数字
のみ紹介し、「警察発表」の数字を示さないのは、「逸話」の「美談」性を強調するためと考えられ、事実の叙述に関し公正でない点で、誤りだ。(417-418頁)
E-8-3 また百田氏は安保反対派デモが過激である事を強調するが、(ア)「賛成派の反社会的勢力がデモ隊を襲撃する事件」もあった。また(イ) 6月15日、安保反対派デモに参加していた東京大学の学生樺(カンバ)美智子が死亡する事件が起きる。反対派デモが過激化したのは、樺美智子の死の知らせが届いた後だ。(ウ)安保反対派のデモにおいて、大部分のデモ隊と警察官は非暴力的だった。全体として負傷学生400人、死者1人(樺美智子)、逮捕者200人、警察官負傷300人だった。(418頁)