DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

中国の行動原理は二つしかない!強いか弱いか、損か得か!それだけだ!①民主主義、②理想主義、③貴族層が支配する独裁的強権的国家、④幸い日本は島国だ!

2020-08-14 18:15:44 | 日記
※鹿島茂(仏文学者、1949-)・出口治明(ハルアキ)(立命館アジア太平洋大学学長、1948-)「私たちはコロナとどう生きるか」(『週刊文春』2020/08/13,20号)

(1)中国は民主主義(①②③④⑤)の国家でない!
鹿島茂氏が言う。「中国の行動原理は二つしかない。強いか弱いか、損か得か。それだけです。」
《感想1》かつてエドガー・スノー、アグネス・スメドレーが描いた理想主義的(民主主義的平等主義的)共産主義像はどこに消え去ったのか。ユートピアが描かれていた。この世にユートピアなど実現しないのだ。
《感想2》世界史的な「民主主義」の経験が生かされねばならない。①人は信用できないのであり、権力は絶対的に腐敗するから「権力分立」が国家の制度として不可欠だ。
《感想2-2》②「人の支配」でなく「法の支配」が重要だ。権力者を法の枠のうちに閉じ込める。「憲法」の支配だ。(立憲主義!)
《感想2-3》③「天賦人権」(基本的人権)が認められなければならない。つまり憲法に書き込まれなければならない。
《感想2-4》④かくて国民は「天賦人権」(基本的人権)のもと「自由・平等」である。そして「国民主権」だ。《感想2-5》また⑤民主主義的政治制度はさしあたり「普通・平等・秘密・直接」の選挙制度以外にないだろう。

(2)「理想主義的(民主主義的平等主義的)共産主義」は消え去った!
《感想3》「理想主義的共産主義」を目指したはずの政党(中国共産党)が指導する国家は、①「権力分立」はなく、独裁制(一党制)だ。②「法の支配」はなく恣意的な「人の支配」だ。つまり権力者が憲法によって縛られること(立憲主義、法の支配)はなく強権政治だ。③「基本的人権」は認められていない。「強いか弱いか、損か得か」を行動原理とする権力者が、人々を好き勝手に扱う。人々は「長いものには巻かれろ」であり「忖度」なしに生きて行けない。「余計なことは言わない。」しかも秘密警察・密告政治だ。「壁に耳あり障子に目あり」だ。気をつけろ!危なそうなときは、賄賂を贈って見逃してもらう。
《感想3-2》かつての中国革命期に中国共産党が約束した④真の「自由・平等」はなく、「国民主権」(人民主権)もない。
《感想3-3》⑤民主主義的政治制度である「普通・平等・秘密・直接」の選挙制度も今の中国にない。
《感想3-4》中国は民主主義(①②③④⑤)の国家でない。「理想主義的(民主主義的平等主義的)共産主義」はどこに行ったのか?消え去った。

(3)貴族層が支配する独裁的強権的国家!「中華帝国」の再建を目指す!
《感想4》だがこれまで100年(アヘン戦争に始まり、日清戦争の敗北で中国は半植民地化し)、中国は艱難辛苦・屈辱の時代を経験した、今や中国は世界第2位の「経済大国」となり復讐を開始した。「中華帝国」の再建だ。この「中華帝国」は民主主義も平等主義もない独裁的強権的国家だ。人々は「経済大国」を中国共産党の指導によって実現したことで、今は、不平を表立って言わないor言えない。
《感想4-2》中国共産党員として貴族層が特権を享受する。(上から下まで特権の大小はもちろんある。)中国共産党員は9000万人、家族も含めると2億7000万人だ。中国の人口は14億人だから、6人に一人(17%)が貴族(共産党員とその家族)だ。この比率は相当に強固だ。例えば、江戸時代の武士が家族も含め人口の7%(明治初めの調査)と言われるから、中国の貴族層(共産党員とその家族)の割合は相当に多い(2.5倍)。中国共産党の一党支配は容易に崩壊しないだろう。
《感想4-3》中国は今や、中国共産党という貴族層が支配する独裁的強権的国家であり、「中華帝国」の再建を目指す。民主主義も平等主義もない。
《感想4-4》その「中華帝国」の「行動原理は二つしかない。強いか弱いか、損か得か。それだけです。」そう鹿島茂氏が指摘する。「中華帝国」は中国共産党という貴族層の指導のもと、ひたすら「強国」をめざし、「経済的利得」を求める。
《感想4-5》中国では「人々を幸福にする」という理念はかろうじて保持されているが、その理念に反するとか、民主主義や平等主義に反するとか、中国を指導する貴族層(中国共産党)を批判することは、一切許されない。批判は国家分裂・転覆罪として暴力的に取り締まられる。

(4)幸い日本は島国だ!日本は「不沈空母」として「専守防衛」に徹するべきだ!
《感想5》そのような中国とどう付き合ったらいいのか?もちろん中国のあり方は、中国の人々が決めるのが原則だ。日本or日本国民は、意見は述べるが、介入すべきでない。
《感想5-2》だがウイグルやチベットやモンゴルの民族自決は人類の普遍的な正義だ。特に今なされているウイグル民族に対する中国の強硬な弾圧は許されるものでない。「民族自決」は今も人類の普遍的な正義だ。
《感想5-3》民主主義の諸原則も人類の普遍的な正義だ。中国では人権派弁護士が2015年7月9日一斉に拘束される「709事件」があった。また香港でも民主派活動家が弾圧されている。これらは民主主義の普遍的な諸原則に反し、許されるものでない。
《感想5-4》私見では、中国の民主化を望む。だが、今や自信をつけた中国共産党という貴族層は「民主化」改革を望まない。貴族層が支配する独裁的強権的国家の中国は、「中華帝国」として帝国主義的拡大を目指す。彼らに「行動原理は二つしかない。強いか弱いか、損か得か。」それだけだ。
《感想5-5》国家or国民として日本or日本国民はどうあるべきか。日本は何とか今、民主主義国家だ。この民主主義体制を国内的にも対外的にも守らなければならない。
《感想5-5-2》幸い日本は島国だ。日本は「不沈空母」として「専守防衛」に徹するべきだ。その場合、中国は日本を「仮想敵国」としない。「日本国」の安全は「日本国民」(同時に日本に住む外国人)の安全でもある。その上で自衛=防衛はハリネズミのようにしっかり行う。そしてこの核兵器の時代、日本は一国で防衛できない。かくて日本および日本国民の安全のため、日本は、諸外国と連携(同盟)しつつ、また外交に尽力する。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土屋賢二「高齢者の読書離れ」:①功名心でなく「好奇心」だ、②「不満足」な老後の問題、③「一目置かれたい」、④老後の新たな「目標」は疲れる、⑤「見るべきほどのものは見つ」!

2020-08-14 12:25:53 | 日記
※土屋賢二(1944-)(哲学者)「高齢者の読書離れ」(『週刊文春』2020/08/13,20号)

土屋賢二氏がある調査について報告する。「1か月に1冊も本を読まない人が一番多い年齢層は七十代だ」という。
《感想》たぶん調査の上限が70代で、私見では「本を読まない」のは、「視力が衰えた」せいが大きいだろう。だが土屋氏はそうでなく、「高齢者が向上心を失っている」ためだと言う。「向上心を失った理由」を、彼は5つ挙げる。

(1)宇宙・この世への「好奇心」でなく、「功名心」のため、成功の手段として読書してきたので、「成功」後、高齢になって本を読まなくなる!
理由①「自分はすでに頂点に達している」と高齢者は思うので「向上心」がなく、本を読まない。
《感想1》これは成功者・勝ち組の場合だ。宇宙・この世への「好奇心」でなく、「功名心」のため、成功の手段として読書してきたので、「成功」後、高齢になって本を読まなくなる。燃え尽きたのだ。
《感想1-2》宇宙・この世への「好奇心」があれば、何歳になっても、読書するだろう。

(2)高齢になっても「人並み以下」or「不満足」に生きて行くしかない場合は、「向上心」が生まれる!
②「何をもって『向上する』と言えるのか分からなくなった」と高齢者は思うので「向上心」がなく、本を読まない。
《感想2》つまり意欲がわかないのだ。これも成功者・勝ち組の場合だ。成功の手段としてのみ読書してきたので、「成功」後、高齢になってからは本を読まない。
《感想2-2》読書がなぜよい事か?①他者より物知りになる。他者と比較しての優位・自尊心を満たす。②エンターテインメントとして読書は楽しい。③実践に役立つ。Ex. 実務書、語学書、学習参考書。④宇宙・この世の謎を解き、真理に近づける。つまり「好奇心」を読書によって満たすことができる。
《感想2-3》「向上する」とは今より良い生き方をすることだ。高齢になって「人並み」にor「満足」して生きていければ、今のままでよいから、特に「向上する」必要がない。こういう場合は「何をもって『向上する』と言えるのか分からなくなる」。
《感想2-4》だが高齢になっても「人並み以下」or「不満足」に生きて行くしかない場合は、「向上心」が生まれる。競争・苦難を克服するため「向上」しなければならない。「読書」も必要だ。

(3)高齢者になっても、ライバル、友人を持てば、彼らに「一目置かれたい」ので「向上心」を持つ!
③「向上してもホメてくれる親など年長者がいない」と高齢者は思うので「向上心」がなく、本を読まない。
《感想3》小さい頃は、「親など年長者がほめてくれるので、《向上》しようとする」というのは本当だ。だが青年・大人に成ってからは、(ア)人より「物知り」になって「一目置かれたい」がため、あるいは(イ)「功名心」に基づき競争に勝ち抜くいため、読書する。これらが「向上心」だ。
《感想3-2》高齢者になっても、ライバル、友人を持てば、彼らに「一目置かれたい」ので「向上心」を持つ。

(4)新たな「目標」を発見してしまい、その「目標」の実現のため、高齢者になっても、つらい努力を再びする!
④「下手に向上すると、老後をのびのび過ごせなくなる」と高齢者は思うので「向上心」がなく、本を読まない。
《感想4》人は「のんびり過ごしたい」、「怠惰でいたい」と思うものだ。
《感想4-2》だが弱肉強食、優勝劣敗の熾烈な「競争」の世の中、少しでも「向上」して人に勝たねばならない。《感想4-3》競争がなくなれば、老後、「のんびり過ごしたい」と思うのは当然だ。
《感想4-4》「下手に向上する」とは、新たな「目標」を発見してしまい、その「目標」の実現のため、高齢者になっても、つらい努力を、(高齢になってのんびりできるはずなのに)再びするようになることだ。

(5)「この世」or「この世の人」に背を向けた高齢者は、寂しい!
⑤「これまで本を読んでも何かが改善したためしがない」と高齢者は思うので「向上心」がなく、本を読まない。
《感想5》「本は人が書いたものだ。だが人などたかが知れている」と高齢者は、「この世」or「この世の人」に背を向ける。かくて「改善」という概念がそもそも成立しない。この世が無存在だから、この世の「改善」も無存在だ。かくて「何かが改善したためしがない」。
《感想5-2》「見るべきほどのものは見つ」と言って碇(イカリ)を背負い壇ノ浦に沈んだ平知盛(トモモリ)を思い出す。
《感想5-3》「この世」or「この世の人」に背を向けた高齢者は、寂しい。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする