DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

映画『魔術師』(1958):魔術師ヴォーグレルは、カネが欲しいので、「魔術師」を演じた!彼自身がそう証言した!なんとも寂しい「魔術」だ!

2020-08-02 12:49:13 | 日記
※映画『魔術師』Ansiktet(1958、スウェーデン)(日本公開1975)監督イングマール・ベルイマン  

(1)「魂」(心)は生きている間、存在するが、死ねば「魂」(心)も存在しなくなる!
魔術師の一座の話だ。魔術師ヴォーグレル、助手(妻)アマン、口上係チューバル、魔女役アガタ、御者、雑用係等からなる。馬車での移動の途中、役者ユーハンを助ける。だが彼は「死にたい」と言う。「舌と性器を切り取ってくれ。体の汚れをきれいにして魂を解き放ちたい」と言って死ぬ。
《感想》「魂」(心)は生きている間、存在するが、死ねば「魂」(心)も存在しなくなる。死後「魂を解き放つ」ことなどありえない。人は「身体」は土になり、「魂」(心)は虚無となる。
(2)「今を楽しむ」現実主義者!
口上係チューバルは「今を楽しむ」、「未来に興味ない」と言う。彼は、現実主義者だ。口がうまい。世慣れている。
《感想》チューバルは目端が利く。「生きる力」がある。やがて彼は、魔術師の一座に見切りをつけ、領事の館の女中頭と一緒になる。賢い。「髪結いの亭主」だ!
(3)「魔術を認めるか認めないか」の賭け!
領事と警察署長の「魔術を認めるか認めないか」の賭けのため、ヴォーグレル魔術一座は拘束される。立会人として医者も参加した。魔術一座は動物磁気(動物の体を動かす磁気力)、交霊術、催眠術、魔術をこれまで披露してきた。領事は「魔術」を信じ、警察署長と医者は「科学」の立場から、魔術を信じない。
《感想》「科学」の時代に「魔術」が登場する余地はない。ところが(ア)人は奇妙なことに出会うことがあるので、もしかしたら超科学的出来事があるかもしれないと秘かに思う。かくてオカルトや怪談がはやる。また(イ)「科学」の味気無さに飽き飽きして想像の「魔術」を楽しむ。
(4)「魔女」は媚薬等、様々の薬を売ってカネを稼ぐ!
魔女役アガタは、魔術一座に加わるだけでなく、媚薬等、様々の薬を売ってカネを稼ぐ。彼女は、「今は魔女が信じられなくなって困る」と言う。信じてもらえないと、魔術一座の人気も落ち、食っていけない。やがて彼女は、一座を離れる。
《感想1》科学の勝利だ。魔女が「本物」としては信じられることがない。だが媚薬はしばしば「本物」と信じるから売れる。
《感想2》「魔女狩り」という名の「私刑」(リンチ)、権力に対する「密告」制度、宗教的「狂信」が制限されたのは、科学の明るい面だ。Cf. 明るいとは「最大多数の最大幸福」の方向に社会が進んだということだ。
(5)「魔術(催眠術)」が警察署長の妻、また御者にかけられ、効果を示した!
ヴォーグレル魔術一座は領事、警察署長、医者の前で、魔術を披露する。だが(ア)魔術の仕掛けが明らかになり、馬鹿にされる。(イ)ところが「魔術(催眠術)」が警察署長の妻、また御者にかけられ、効果を示した。「魔術」が嘘でないと証明される。
《感想1》かつて催眠術は、「動物磁気」のコントルーによるものとされた。科学では、催眠状態(Ex. うたた寝しているような状態)の存在を認める。催眠状態では意識が狭窄しており、外界からの刺激や他の概念が意識から締め出される。1つの事象が意識を占領し、暗示のままに動かされる。
《感想2》日本では明治末から大正にかけ「催眠術」が大流行し、催眠術を応用した精神療法・身体鍛練法が唱えられた。1908年発布の警察犯処罰令(1948年廃止)は「みだりに催眠術を施した者」を処罰の対象とした。催眠術師は「霊術」「精神療法」「心理療法」と表現を替えた。「霊術」は昭和期に最盛期を迎え、1930年霊術家が3万人いたという。「霊術」は、戦後GHQによって禁止された。
(6)役者ユーハン!
死んだはずの役者ユーハンが、生き返る。仮死状態だったのだ。出現した彼の姿を見た一座の雑用係たちは、「幽霊が出現した」と震え上がる。
《感想1》呼吸がなく、心拍動が停止するかきわめて微弱な場合が仮死だ。ショック,麻酔,溺水(デキスイ),難産新生児,飢餓,極度の寒冷状態などで見られる。放置すると普通死亡するが,人工呼吸,心臓マッサージなどで蘇生できる。
《感想2》役者ユーハンは仮死状態から自然に蘇生した。ただしすぐに再び死ぬ。今度は本当に死ぬ。Cf. 墓場から蘇るドラキュラは仮死状態からの蘇生だとの説がある。
(7)魔術師ヴォーグレルが、検視によって解剖され切り刻まれる!
領事、警察署長、医者の前で、魔術を披露していた魔術師ヴォーグレルが、突然死ぬ。(実は死んだふりをしていた。)翌日、彼は医者の検視によって解剖され切り刻まれる。「魔術師ヴォーグレルが切り刻まれた」と、医者は当然思っている。ところが切り刻まれたヴォーグレルが、鏡に映り、突然、手を出して医者の首を絞める。医者は驚愕する。
《感想》「科学」を信じる医者の敗北だ。「魔術」が証明された。死者の蘇生が起きたのだ。
(8)魔術師はそもそも死んでいなかった!
ところがここで魔術師が、姿を現す。魔術師はそもそも死んでいなかったのだ。彼は一座の者たちによって棺桶に入れられたが、トリックで棺桶の中にあった役者ユーハンの死体と入れ替わった。医者が解剖したのは、役者ユーハンの死体だった。この事実を知って、医者は、驚愕がおさまり平常心に戻る。
《感想》魔術師ヴォーグレルに逃げ場はない。(ア)役者ユーハンの死体を彼は運んでいたのであり、(イ)拘束された時点ですでに医療まがいの行為をしていたことが明らかになっていた。彼は犯罪者として捕まるだろう。
(9)いかさまが知れ渡り、犯罪者と認定されて、魔術師は乞食のようにカネを無心する!
翌日、魔術師は、領事の館を急いで去ろうとする。彼はカネがない。乞食のように、彼はカネを無心する。無様な魔術師。もはや彼は「魔術師」でない。いかさまが知れ渡り警察署長から「犯罪者」と認定された。彼は、カネを少しでも恵んで貰って逃げるしかない。
《感想》何という無様!非科学的「魔術師」は、科学の世に存在しえない。科学の勝利だ。
《感想(続)》Cf. 21世紀の科学の水準は驚異的だ。バベルの塔のような高層ビルの林立、軍事技術(Ex. 弾道ミサイル・核兵器)、工業技術、コンピューターとインターネットによるIT革命、人工衛星による通信・地球撮影、そして宇宙戦争等々。
(10)皇帝陛下が「ヴォーグレル魔術一座を天覧したい」と望んだ!
魔術師一座は解体する。口上係チューバル、魔女役アガタは去る。しかも魔術師ヴォーグレルと助手(妻)は警察署長により逮捕される直前だ。ところが、なんと彼らは救われる。1846年、皇帝陛下が「ヴォーグレル魔術一座を天覧したい」と望み、彼らが宮廷に招待された。警察署長は、彼らの犯罪について全て赦免した。
《感想1》権力は威力抜群だ。警察署長がこれまで「犯罪」としてきたものを、「犯罪でない」と宣言する。Cf. 水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか!」だ。
《感想2》「科学か、魔術か」は、真理追求の問題でなく、「どちらがカネになるか」の問題だ。「カネがもうかる」から、人は「魔術師」となった。今は人は「科学者」、あるいは「科学」にもとづく諸資格を取るが、それは「カネがもうかる」からだ!
《感想2-2》魔術師ヴォーグレルは、カネが欲しいので、「魔術師」を演じた。彼自身がそう証言した。なんとも寂しい「魔術」だ。
《感想3》映画『魔術師』についてのある短評:「怪奇現象、超能力、交霊術といったオカルト的要素に、科学と呪術、芸術と権力などの二項対立をごった煮で凝縮し、愉快なエンタテイメントへと昇華したイングマール・ベルイマン監督の初期の到達点。」

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする