※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年) 「飛鳥時代~平城京」の章(43-66頁)
(8)飛鳥文化・白鳳文化:四天王寺式伽藍配置は「日本独特の様式」でない!百済・高句麗・中国南北朝、また新羅・唐の影響下にある「芸術性」だ!(47-49頁)
C 百田尚樹『日本国紀』は四天王寺、法隆寺について「日本独特の様式」と述べ、薬師寺金堂薬師三尊像、法隆寺百済観音像、高松塚古墳壁画について「いずれも日本人らしい芸術性が感じられる」(43-44頁)と述べる。
C-2 法隆寺(西院伽藍)は「日本独特の様式」である。しかし四天王寺式は「中国の影響を受けた伽藍配置」である。
C-3 飛鳥文化は百済・高句麗、中国南北朝時代の影響を受け、白鳳文化は新羅経由(7世紀)および遣唐使(8世紀)によってもたらされた文化だ。高松塚古墳壁画は、唐・高句麗の壁画の影響がある。「日本人らしい芸術性」というのは無理だ。
(9)645年乙巳(イツシ)の変で蘇我氏は滅んでいない!この時、中大兄皇子はまだ皇太子でない!(49-51頁)
D 百田氏は、乙巳(イツシ)の変で「皇太子の中大兄皇子が645年に蘇我氏を滅ぼし」た(45頁)と言うが、(ア)蘇我氏は滅んでいない。滅んだのは「蘇我蝦夷・入鹿」だ。また(イ)645年乙巳の変の時、中大兄皇子はまだ皇太子でない。皇太子になるのは乙巳の変の後だ。
D-2 645年乙巳(イツシ)の変の翌年、「改新の詔(ミコトノリ)」が出され、日本(大和朝廷)は「律令国家」を目指す。百田氏は律令国家を「儒教に基づく法治国家」(45頁)と述べるが、これは誤り。「律」が刑法(刑)、「令」が儒教(礼・楽)というのは漢代の話。当時すでに唐代では、律令国家の「律」は刑法、「令」は行政法その他諸法を指す。
(8)飛鳥文化・白鳳文化:四天王寺式伽藍配置は「日本独特の様式」でない!百済・高句麗・中国南北朝、また新羅・唐の影響下にある「芸術性」だ!(47-49頁)
C 百田尚樹『日本国紀』は四天王寺、法隆寺について「日本独特の様式」と述べ、薬師寺金堂薬師三尊像、法隆寺百済観音像、高松塚古墳壁画について「いずれも日本人らしい芸術性が感じられる」(43-44頁)と述べる。
C-2 法隆寺(西院伽藍)は「日本独特の様式」である。しかし四天王寺式は「中国の影響を受けた伽藍配置」である。
C-3 飛鳥文化は百済・高句麗、中国南北朝時代の影響を受け、白鳳文化は新羅経由(7世紀)および遣唐使(8世紀)によってもたらされた文化だ。高松塚古墳壁画は、唐・高句麗の壁画の影響がある。「日本人らしい芸術性」というのは無理だ。
(9)645年乙巳(イツシ)の変で蘇我氏は滅んでいない!この時、中大兄皇子はまだ皇太子でない!(49-51頁)
D 百田氏は、乙巳(イツシ)の変で「皇太子の中大兄皇子が645年に蘇我氏を滅ぼし」た(45頁)と言うが、(ア)蘇我氏は滅んでいない。滅んだのは「蘇我蝦夷・入鹿」だ。また(イ)645年乙巳の変の時、中大兄皇子はまだ皇太子でない。皇太子になるのは乙巳の変の後だ。
D-2 645年乙巳(イツシ)の変の翌年、「改新の詔(ミコトノリ)」が出され、日本(大和朝廷)は「律令国家」を目指す。百田氏は律令国家を「儒教に基づく法治国家」(45頁)と述べるが、これは誤り。「律」が刑法(刑)、「令」が儒教(礼・楽)というのは漢代の話。当時すでに唐代では、律令国家の「律」は刑法、「令」は行政法その他諸法を指す。