※サキ(Saki)、本名ヘクター・ヒュー・マンロー(Hector Hugh Munro)(1870-1916)、『サキ短編集』新潮文庫、1958年。
(3)「肥った牡牛」
画家エシュリーは、優美に牛を描く人気で成功した画家だった。彼の家は、街のはずれにあった。晩秋のある日、隣家のアディラが突然、彼のアトリエにやってきた。「うちの庭に牛が入ってきて、花壇の大切な菊の花を食べてる。追い出してほしい」と言った。「あなたは牛の絵を描くから、牛を追い出せると思ったの!」エシュリーが「牛の絵を描いても、牛は追い出せない」と断ったが、結局、アディラの庭に行った。ところが牛は「巨大な斑の牡牛」(「肥った牡牛」)だ。彼がいつも描く「優美な若牛」と全く違う。「クルジスタンの遊牧民の酋長と、ニッポンのゲイシャほど違う」と彼は思った。牡牛は高価な菊の花をむしゃむしゃ食べる。エシュリーが追い出そうとするが、うまくいかない。それどころか牡牛はアディラの家の居間に入り、花瓶の花を食べ始めた。アディらは怒り、「図書館に行って、警察に電話をかけてもらいます」とプンプンしながら出て行った。ところが牡牛はじきに居間から出て、庭からも出て行った。実は、この挿話は画家としてのエシュリーの一生の転機となった。彼の驚異的な作品『晩秋の居間における牡牛』は次の年のパリのサロンで、センセイション起こし大成功をおさめた。その時以来、彼の成功は、一時的なものでなく終生、確保されることなった。
《感想1》「牛を描くこと」と「牛の扱いがうまいこと」に親和性があると思ったアディラの仮説は、事実によって反証された。
《感想2》「巨大な斑の牡牛」(「肥った牡牛」)と「優美な若牛」の違いを、「クルジスタンの遊牧民の酋長」と「ニッポンのゲイシャ」の違いに譬えたのは、ジャポニズムの時代(19世紀後半~20世紀初頭)を思わせる。
《感想2-2》日本の諺なら「月とすっぽん」、「提灯に釣り鐘」、「雲泥の差」だ!
《感想3》「肥った牡牛」の挿話が、実は思いがけなく画家エシュリーの「一生の転機」となったというのがすごい。(「アッと驚かせる」サキの手法だ。)
(3)「肥った牡牛」
画家エシュリーは、優美に牛を描く人気で成功した画家だった。彼の家は、街のはずれにあった。晩秋のある日、隣家のアディラが突然、彼のアトリエにやってきた。「うちの庭に牛が入ってきて、花壇の大切な菊の花を食べてる。追い出してほしい」と言った。「あなたは牛の絵を描くから、牛を追い出せると思ったの!」エシュリーが「牛の絵を描いても、牛は追い出せない」と断ったが、結局、アディラの庭に行った。ところが牛は「巨大な斑の牡牛」(「肥った牡牛」)だ。彼がいつも描く「優美な若牛」と全く違う。「クルジスタンの遊牧民の酋長と、ニッポンのゲイシャほど違う」と彼は思った。牡牛は高価な菊の花をむしゃむしゃ食べる。エシュリーが追い出そうとするが、うまくいかない。それどころか牡牛はアディラの家の居間に入り、花瓶の花を食べ始めた。アディらは怒り、「図書館に行って、警察に電話をかけてもらいます」とプンプンしながら出て行った。ところが牡牛はじきに居間から出て、庭からも出て行った。実は、この挿話は画家としてのエシュリーの一生の転機となった。彼の驚異的な作品『晩秋の居間における牡牛』は次の年のパリのサロンで、センセイション起こし大成功をおさめた。その時以来、彼の成功は、一時的なものでなく終生、確保されることなった。
《感想1》「牛を描くこと」と「牛の扱いがうまいこと」に親和性があると思ったアディラの仮説は、事実によって反証された。
《感想2》「巨大な斑の牡牛」(「肥った牡牛」)と「優美な若牛」の違いを、「クルジスタンの遊牧民の酋長」と「ニッポンのゲイシャ」の違いに譬えたのは、ジャポニズムの時代(19世紀後半~20世紀初頭)を思わせる。
《感想2-2》日本の諺なら「月とすっぽん」、「提灯に釣り鐘」、「雲泥の差」だ!
《感想3》「肥った牡牛」の挿話が、実は思いがけなく画家エシュリーの「一生の転機」となったというのがすごい。(「アッと驚かせる」サキの手法だ。)