良寛さんは、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。
師は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と領解し、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや手毬をついたりしてよく遊んだという。
その良寛さんの歌は念仏者そのものでありました。
「草の庵に
寝ても覚めても申すこと
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
「わたしにし
身にしありせば今よりは
かにもかくにも弥陀のまにまに」
「われながら
うれしくもあるか 弥陀仏の
います御国に いくとおもえば」
寝ても覚めても申すこと
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
「わたしにし
身にしありせば今よりは
かにもかくにも弥陀のまにまに」
「われながら
うれしくもあるか 弥陀仏の
います御国に いくとおもえば」
「他力とは
野中に立てし 竹なれや
よりさわらぬを他力とぞいふ」
「おろかなる
身こそなかなか うれしけれ
弥陀の誓ひにあふと思えば」
「極楽に
わが父母は おはすらむ
けふ膝もとへ行くと思へば」
「不可思議の
弥陀の誓ひの なかりせば
何をこの世の思ひ出にせむ」
~辞世の句~
野中に立てし 竹なれや
よりさわらぬを他力とぞいふ」
「おろかなる
身こそなかなか うれしけれ
弥陀の誓ひにあふと思えば」
「極楽に
わが父母は おはすらむ
けふ膝もとへ行くと思へば」
「不可思議の
弥陀の誓ひの なかりせば
何をこの世の思ひ出にせむ」
~辞世の句~
「良寛に
辞世あるかと 人問はば
南無阿弥陀仏といふと答えよ」
辞世あるかと 人問はば
南無阿弥陀仏といふと答えよ」
南無阿弥陀仏