住職の独り言

~ご縁に触れて~

阿吽(あうん)

2022年12月15日 | 独り言
「はじまりとおわり」
私は
生まれてきたわけも
知らずして生きている
そして
死とは何も知らずに
死んでいく
宇宙の始まりも知らず
人類としての人間が
宇宙の最期を
みとることはできない
はじまりとおわりは
かたくとざされている
私は
夢幻の中を生きている
(静岡市葵区金澤 平三郎 23)

阿吽の呼吸の「阿吽」はインドの古い言葉(サンスクリット語)のアルファベットの最初と最後の文字を意味し、初めが 「阿」最後が「吽」ということで、阿吽とは 「初めから終わりまで」を意味して いるといわれています。

このことから、 「人生の初めから終わりまで」という考え方があり、 仏教では 「この世に生まれて悟 りを求め、涅槃 (煩悩や執着を消して辿り着く永遠の平和や安楽の世界を意味している) に 至ることが 「阿吽」の意味とされています。
また「阿」は口を開いて発声し、「吽」は口を閉じて発声することから、吐く息と吸う息を表し、そこから、二人以上が一つの事をするときの微妙なタイミングや気持ちの一致を「阿吽の呼吸」と表現 するようになったようです。

大きな寺院などでは仁王像(金剛力士像)も同じように口を開けた「阿形」と、口を閉じた「吽形」 があります。こちらも狛犬と同様の意味を持っているそうですよ。

お念佛 「南無阿弥陀仏」は、「なも」「あみ」「だぶ」と発音 (連続して唱える場合は 「仏」の「つ」の発音は省略されます)しますが、どれも開口閉口をします。つまり、「な:開口・も:閉口」「あ: 開口・み: 閉口」「だ: 開口 ・ぶ:閉口」となり、これは阿吽の連続でできていると いうことができます。 お念佛 「南無阿弥陀仏」 は阿吽で仕立てられていたのです。 臨終の間際の人が、 吐く息、吸う息の中で、そのままその息に合わせ 「なも、あみだぶ」と唱えられるように、阿弥陀如来はそこまで私たちのことを知り抜いて 「南無阿弥陀仏」 を成就されたのでありました。 念佛には、 「帰命尋十方無碍光如来」 や 「南無不可思議光如来」もありますが、それらでは、臨終の間際の人にはとても唱えにくい言葉となってしまいます。しかし「南無阿弥陀仏」であれば、いつでも、どこでも、 どんな時でも唱えやすい言葉となります。しかも阿吽でできた「南無阿弥陀仏」 は、その意味からも、その発音からも、無上の正覚(悟り) を成する言葉であったのです。
(阿吽(あうん)中央仏教学院通信教育 (chubutsu-tsukyo.jp) より一部転記)

天真寺の前卓の龍も左右で阿吽の姿であります。

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