吉崎焼失と赤本
1474(文明6)年3月28日、吉崎御坊が火事になった時
蓮如上人が御聖教『教行信証』の一冊を、
忘れてきてことに気づくや。
弟子の本光坊了顕が御聖教を探しに火の中に飛び込んだ。
しかし、逃げ道を失った了顕は
自らの腹を切って御聖教を体内に押し込めたまま焼死された。
命がけで御聖教を護った本光坊了顕の亡骸を前に、
蓮如上人は感涙されたという。
以後、勤行要集(赤本)として受け継がれている。
吉崎焼失と赤本
1474(文明6)年3月28日、吉崎御坊が火事になった時
蓮如上人が御聖教『教行信証』の一冊を、
忘れてきてことに気づくや。
弟子の本光坊了顕が御聖教を探しに火の中に飛び込んだ。
しかし、逃げ道を失った了顕は
自らの腹を切って御聖教を体内に押し込めたまま焼死された。
命がけで御聖教を護った本光坊了顕の亡骸を前に、
蓮如上人は感涙されたという。
以後、勤行要集(赤本)として受け継がれている。