この本は何度か読んでいるものですが、この夏から
ずっと読んで寒くなるまでかかってしまったのは
衰えた視力によるところが大きいです。
印象としては今から15年ほど前のニュース番組で
当時世間を騒がした女子高校生監禁殺害ドラム缶遺棄事件の
被告が獄中反省の姿勢を示すために読書感想文として示した
のがドストエフスキーの『白痴』で、それが番組中読み上げ
られましたが、その内容が自分も白痴にならないように人として
いきたいというような殊勝な内容でしたが、それを聞きながら
そもそもそういう本じゃないし感じることも悔い改める方向も
違うように感じて本を読み返したのを覚えています。
そして、本のテーマが被告の言っていることでもなければ
作者の意味するところも小説もただ利用されただけだなあと
思ったことと、自分が思っている内容で合っていたという
安堵感がありました。
さて、『悪霊』を読み終えた後、『白痴』を読めばどう思うだろうか
と興味を感じ読んでみることにしました。
世の中、ドストエフスキーというと小説家であり、傑作『罪と罰』が
あまりに有名で、小説家、ドストエフスキー『罪と罰』は誰でも
セットで思い浮かべるところです。
それがドストエフスキーを読んだことがない人でも傑作、代表作
は『罪と罰』と答えるのです。
じゃあ、どうして『罪と罰』で、どんな内容なのか。
何がそんなに傑作なのか。世の中が誰でもその名を上げるのか。
それは謎です。
ベートーヴェンと交響曲第五番と同様、ドストエフスキーといえば
『罪と罰』の名が上がります。
しかし、私はベートーヴェンならピアノソナタの方をよく聞きますし、
交響曲なら第九だと思います。
同様に、ドストエフスキーなら絶対に最高傑作にして不朽の名作で
人類の宝と言えるのは『カラマーゾフの兄弟』だと思います。
そして最高にして、未完であるという魅力の尽きないところがまた
最高であり至高である点に拍車を掛けます。
この様な例は音楽家でもよくあることで、生涯をかけた最後の名作が
未完であることはままあるのです。それがまた作品の魅力に尽きない
輝きを増していることがあります。
中にはその続きを書いてしまう不届きな人も出てきます。
実際多くの人が続きを夢想し楽しんでいるのは事実です。
そんな最高傑作にして、未完の『カラマーゾフの兄弟』もこの震災後
何度も読んでしまう作品です。
ドストエフスキー作品を読んだことがある人なら、『罪と罰』を
最高で代表作としてあげないのではないかとよく思います。
ですから、小説の話をしてドストエフスキーと『罪と罰』とすぐ出る
人ほど小説に対して軽薄な知識しか持ち合わせないことを表明している
かのように感じます。
書かれている内容も『羅生門』を連想させ気持ちのいいものでは
ありません。
最近の日本の小説にはない読み応えとか読書的感動というのは
味わえますが、今読むべきものかというと成人になるまでに大学の
教養課程みたいに通過儀礼として読んでおけばでいいという感じ
ではないでしょうか。
小説というのは読んでおかないと損であるとか知らないと人生に
おいて大変な損失を人生の収支上において負うというそれだけの作が
あるのではないでしょうか。
よく絵画や美術作品でも一生のうちに見ておきたい作や風景などが
あるといいますが、まあ見たからと言って何が変わるでもないのに
対して良い芸術作品は様々な影響を残します。
絵の場合は、美術の教科書やネットで見たということもありますが、
芸術作品の場合やはり本物を見るのと写真やコピーを見るのとは
違うものです。
感想というのは私的なものであり、それがどう思おうがどう感じようが
かまわないのに、聞いてみるとこの人本当はこの本読んでないなという
事はよくあることです。
そして学生の頃からなんで読書感想文など書かせるのかという疑問も
本当にこいつは本を読んでいるかどうか知るための踏み絵のような
物に過ぎなかったのかと思うこともあります。
今年の夏休みの宿題の相談で一番多かったのが読書感想文で、その書き方
をレクチャーするものが人気が高かったそうです。
そして、最近の本のベストセラーのトップ5に小説が登場しなくなって
しまったというニュースも心さびしいことです。
私自身、最近の本は読んでおらず、フランクルとか『白痴』『悪霊』
と古いものばかりです。
この記は、後半に続く。
ずっと読んで寒くなるまでかかってしまったのは
衰えた視力によるところが大きいです。
印象としては今から15年ほど前のニュース番組で
当時世間を騒がした女子高校生監禁殺害ドラム缶遺棄事件の
被告が獄中反省の姿勢を示すために読書感想文として示した
のがドストエフスキーの『白痴』で、それが番組中読み上げ
られましたが、その内容が自分も白痴にならないように人として
いきたいというような殊勝な内容でしたが、それを聞きながら
そもそもそういう本じゃないし感じることも悔い改める方向も
違うように感じて本を読み返したのを覚えています。
そして、本のテーマが被告の言っていることでもなければ
作者の意味するところも小説もただ利用されただけだなあと
思ったことと、自分が思っている内容で合っていたという
安堵感がありました。
さて、『悪霊』を読み終えた後、『白痴』を読めばどう思うだろうか
と興味を感じ読んでみることにしました。
世の中、ドストエフスキーというと小説家であり、傑作『罪と罰』が
あまりに有名で、小説家、ドストエフスキー『罪と罰』は誰でも
セットで思い浮かべるところです。
それがドストエフスキーを読んだことがない人でも傑作、代表作
は『罪と罰』と答えるのです。
じゃあ、どうして『罪と罰』で、どんな内容なのか。
何がそんなに傑作なのか。世の中が誰でもその名を上げるのか。
それは謎です。
ベートーヴェンと交響曲第五番と同様、ドストエフスキーといえば
『罪と罰』の名が上がります。
しかし、私はベートーヴェンならピアノソナタの方をよく聞きますし、
交響曲なら第九だと思います。
同様に、ドストエフスキーなら絶対に最高傑作にして不朽の名作で
人類の宝と言えるのは『カラマーゾフの兄弟』だと思います。
そして最高にして、未完であるという魅力の尽きないところがまた
最高であり至高である点に拍車を掛けます。
この様な例は音楽家でもよくあることで、生涯をかけた最後の名作が
未完であることはままあるのです。それがまた作品の魅力に尽きない
輝きを増していることがあります。
中にはその続きを書いてしまう不届きな人も出てきます。
実際多くの人が続きを夢想し楽しんでいるのは事実です。
そんな最高傑作にして、未完の『カラマーゾフの兄弟』もこの震災後
何度も読んでしまう作品です。
ドストエフスキー作品を読んだことがある人なら、『罪と罰』を
最高で代表作としてあげないのではないかとよく思います。
ですから、小説の話をしてドストエフスキーと『罪と罰』とすぐ出る
人ほど小説に対して軽薄な知識しか持ち合わせないことを表明している
かのように感じます。
書かれている内容も『羅生門』を連想させ気持ちのいいものでは
ありません。
最近の日本の小説にはない読み応えとか読書的感動というのは
味わえますが、今読むべきものかというと成人になるまでに大学の
教養課程みたいに通過儀礼として読んでおけばでいいという感じ
ではないでしょうか。
小説というのは読んでおかないと損であるとか知らないと人生に
おいて大変な損失を人生の収支上において負うというそれだけの作が
あるのではないでしょうか。
よく絵画や美術作品でも一生のうちに見ておきたい作や風景などが
あるといいますが、まあ見たからと言って何が変わるでもないのに
対して良い芸術作品は様々な影響を残します。
絵の場合は、美術の教科書やネットで見たということもありますが、
芸術作品の場合やはり本物を見るのと写真やコピーを見るのとは
違うものです。
感想というのは私的なものであり、それがどう思おうがどう感じようが
かまわないのに、聞いてみるとこの人本当はこの本読んでないなという
事はよくあることです。
そして学生の頃からなんで読書感想文など書かせるのかという疑問も
本当にこいつは本を読んでいるかどうか知るための踏み絵のような
物に過ぎなかったのかと思うこともあります。
今年の夏休みの宿題の相談で一番多かったのが読書感想文で、その書き方
をレクチャーするものが人気が高かったそうです。
そして、最近の本のベストセラーのトップ5に小説が登場しなくなって
しまったというニュースも心さびしいことです。
私自身、最近の本は読んでおらず、フランクルとか『白痴』『悪霊』
と古いものばかりです。
この記は、後半に続く。
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