King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

麦畑に思うその二

2005年10月02日 23時57分17秒 | 日々のこと
9月は何も進歩のないまま色々な事件はありましたが、
あっけないほど簡単に過ぎてしまいました。
それにしても暑い夏でした。9月も8月と同じように暑いまま
やっと10月になり涼しい日も出てきました。今日はかなり
暑い日で、街の人は半そでがほとんどでした。
街には金木犀の香りがあふれて、味覚の秋を思い出させます。
そして、あの黄金の輝きのゴッホの麦畑の絵。前の麦畑の
ところでゴッホの麦畑と言えば『鳥のいる麦畑』をさすが、
黒澤明が言った麦畑はどれだろうという疑問を書きました。
しかし、ゴッホはミレーのオマージュかミレーの描いた農村
の風景をレプリカしたものや模写したものがかなりあります。
そして、サンレミ時代に農民がひとりいて麦畑を刈っている
絵が何枚もある事を思い出しました。

麦畑だけをイメージしていたので、この農夫がひとりいる
シリーズをまったくはずしていたのです。これは主役はやはり
ひとりで黙々と広大な農地に挑む農夫であり、麦畑は脇役です。
サンレミ時代のゴッホの絵は、特徴であるぐるぐるとまわる
背景や服などの模様もぐるぐると流れる筆使いが有名で、それを
彼の異常な精神の表れとする人が一般的です。しかし、精神異常者
の描く絵があのような確立した宇宙を現せるはずもなく、彼の
天才を理解できる人はやはり少ないのかもしれません。
彼の残したものが偉大だから、130年も経っても未だに新たな
解釈や伝記本が上梓され、毎年何らかの発見が発表されます。

それだけ多くの人が、彼に注目して彼の絵を愛し、彼の精神に迫ろうと
しているのです。私は海外からゴッホの本物が来るたびに展覧会に
出かけてなるべく絵の前に長く立つようにしています。最近では
どの展覧会も人が多く、平日でも絵の前に立ち止まるなといわれます。
しかし、立ち止まり筆使いから絵の具の塗られ方を細かく見ていく
だけであっという間に1時間はたってしまいます。すばらしい絵の前で
はその絵からでている波長に感応し肌が粟立ちます。良い絵は空間
やそのときの空気を止めたにとどまらず、絵から作者の宇宙を感じ
自分のいる宇宙と感応するのです。作者が何を停め置こうとしたのか、
何を現したかったのか絵からでる波長を読みそれを受け止めます。

刻まれた筆に絵の具の美しさに、線の力強さに、込められた厚塗りに
熱く感動を受けるのです。とはいえ昨年末に行ったロサンゼルスの
ノートン美術館で『雪の牧師館庭』をみたのにまったくどんな絵か
思い出せません。今いながらにその絵をパソコンでParsonage Garden in the snow
を呼び出せるのに私の頭には絵の印象が
ないのです。いえこの絵を見ていると実物の絵の具の具合とか複雑な
空模様の不思議な描かれ方を思い出しました。彼の人生において
貧しい人々の暮らしとか底辺で虐げられている人の生活感というもの
がさりげなく人生の意味を問いかけてきます。この絵のひとり描かれた
男も暗い冬の空の下歩まざるを得ないその生末を想像させます。
そうです。それをこの絵を見たときにも感じたのです。無造作に他の
同年代に活躍したモネやセザンヌ、ドガの絵と並べられていましたが、
他の印象派らしい光にあふれた絵に較べてゴッホの暗い冬の絵はそれで
も異彩を放って鎮座していました。たくさんの美術品がひしめきとても
一日では周りきれないそんな収蔵品なのにたったの6ドルでした。

広島に行かなければ。その手前の大阪にも『郵便配達人ルーラン』がある。
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