King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『それから』読了つづき

2015年07月01日 17時41分45秒 | 読書


『それから』の読了、感想の続きです。

これはテーマとなっているものはなんなのかと考えて
本来では悲劇にもならないつまらないことが実際に
行われるべきことがあるテーマのもとに沿うと悲劇
になるという事ではないでしょうか。

主人公に与えられた地位と現況であれば大助は無産で
蓄えた知識を生かすでもなく、世に貢献とか社会に
参加とか何の欲もなく苦も無く暮らしているようです。

三千代さんを救うのも彼の地位と与えたられた状況で
何の問題もなく処理できるのです。

大人となった今読んでみるとそれをしない解決とは
親や社会からも拒否される状況に陥ってしまうという
のを描きたかったその原因を読者に問うているのでは
ないでしょうか。

つまり、大人の男としては親の選んだ結婚相手と結婚して
その財産を築いて独立後、その財と立場とによって親友の
妻を救い、別れさせたうえで何処かに住まわせて妻に
よく事情を説明の上囲ってやるやるという事も出来る
のです。

それを親を怒らして経済的援助を断ち切られ、親友とは絶交
を告げられてすぐ三千代さんと住むこともできないという
何とも不器用なことになっているのです。

それが三千代さんに対する愛だといえるのか。

よく漱石の本に出てくる真面目になってとか真面目ですかと
いわれる真摯な態度がすなわち愛なのでしょうか。

それは若い時には解らなかったけど気持ちだけでは
世の中うまくいかないことを身をもって体験すると
スマートに処理するのも実際必要だし、このケースは
そのことは現実に可能で世の男性は皆そうしていた
はずです。

それをしないで、自分の気持ともともと無産で何もできない
男が悲劇を選んだところに愛をつかむものとただ生きる者の
違いを問いかけるのではないでしょうか。

しかし、色々体験してきた身としてはこの小説のように
生きてはいけないし、やるべきではなく小説だからそう
なるのだと思いたいものです。

だから、題名もそれからなのだと思うのです。

主人公のそれからを皆で考えるという事だと思います。

漱石としては一度赤に染まるような結末を書きたかったんだなあと
真面目ですかとか真面目になってとかいう語句とともに考え
てその心情を思い描く物語でした。

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