King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

魚屋の危機

2018年07月16日 09時13分40秒 | 日々のこと

ここのところ気が付けば、いつもあった不動産関係の依頼とか

特殊ケースで複雑なケースの処理とかわざわざ指名して調査から処理まで

取り組まねばならないという困難なそれでも一番得意とするケースの

相談や解決に協力するということがめっきりなくなり、世の中

余分な田舎資産などみんな簡単に更地にして処分されてしまうように

なってしまったかという空き地ばかりが目立ち過疎化に拍車が

かかる事態は結構なスピードで進んでいるようです。

 

主な依頼先である金融機関も資産より投資が重要とその処理の

速度もかつてと取り扱いが変わったようです。

 

依然動産に関しては、何でもかんでもガラクタ扱いでときに

ゴミ扱いで一遍に処理され、芸術的価値とか収集品としての

骨董的価値などというのは一向に考慮されないようです。

 

もちろん名のある美術品などは目先の速い人たちにより一足先に

運びされていることが多く、建築物的な価値などは今では手に入らない

床柱なども全く価値など判断されません。

 

もっと古い建物や建築様式に価値と再生流通する制度がないと

いけないといつも考えています。

 

さて、この暑さの中、思い出すのはこの季節に食べたくなる食べ物です。

夏といえば、鱧とかすっぽんとかドジョウとかウナギとか色々ありますが、

なかでも食べなくてはという思いが強いのは岩ガキです。

 

これは家族と毎年出かけた千葉の海で出会った季節の味覚です。

 

最初カキはrの付く月に食べられるというのは英語の授業で最初に

聞いた言葉です。ちなみに12月から4月が旬とされています。

確かそれ以外は身に毒を持つと聞きました。だから食べてはならないと。

 

昨今は、冬でもノロウィルスの被害が喧伝され生食は敬遠されがちです。

 

さて、そんな食害のイメージの強い生食のカキですが、夏ともなれば

余計食中毒とかO157とか冬の食害よりも死に直結するだけに余計避けられる

ようなイメージですが、それにも増して毎年出かける千葉の海で出会った

味覚の数々は、そんなことを気にせず口にさせる魅力に満ちていました。

 

夏には食べてはいけないはずのカキが生で食べられるという驚きとともに

冬に食べるカキよりも実が厚く濃厚でその味はとにかく病みつきでした。

それだけでなく、大きなハマグリやすしなど美味しい物が沢山溢れていた

のです。

 

すしなどは銀座で食べた高級寿司よりも素朴でスーパーの店頭にあるような

平凡な見てくれながら、一口口にするとその魅力は銀座の高級店の寿司も色褪せる

そんなそこに出かけてこそ味わえるものでした。

 

そんなわけで、家族で海に出かける習慣のなくなった頃でもたまに夏に千葉に行き

美術館と食の旅をしたものです。

 

私にとって岩ガキといえば九十九里の浜辺なのです。

 

秩父市民にとって海といえば長らく鯨波だったことがあります。

 

私も千葉の海に通う前は市が開設したキャンプ場によく行きました。

当時関越道が開通して、日本海も日帰りできると鯨波の人気も

いや増しました。新潟といえばカニでそれを安く売る魚のアメ横と

いうのがマスコミに取り上げられ人気スポットでした。その中心に

あったのが角上魚類でその後、関東方面に店舗展開して来て寄居の

あたりにもかつては店がありました。所ジョージの世田谷ベースでも

取り上げられかつて私の通った会社の近所の店にロケに来ていました。

 

岩ガキといえば千葉だった私に久々千葉まで足を延ばそうかと思わせたのは

ここのところのどこも出かけていない感が高まり、そういえばお出かけ依頼

が減っているということやどうしても行かなければならない事情の減少に

ちょっと危機感を抱いたのとたまたま見たツィッターの寺泊魚のアメ横で

岩ガキを食ったという投稿です。それを見たら千葉に行くより簡単だし混まないで

行けるぞと思ったのです。さてそうすると新潟の諸々のやらずにとっておいたことや

かつての思い出のところなど訪ねてみたいところも浮かんできました。

それなのにいざこの連休の時に出かけようとしたらあまりの暑さに混んだところに

出かける気になれず、新潟に行かなくても角上はあるじゃんと単純に思い、

所沢の所ジョージが行った店に行けばいいんだ思い、一応電話して岩ガキが

あるか聞くとしばらく待たされた後にありますというではないですか。

結局、はるばる高速代をかけなくても所沢の角上に行くだけで岩ガキを

味わえたのでした。

 

行ってびっくりしたのはその寂れた感じでした。

もっと人でごった返した店内を予測していたのですが、かつての新潟の

角上の人混みと威勢のいい店員の声のこだまする店とは違い、ただの鮮魚

売り場だけのスーパーです。

 

秩父にもかつてはこういう鮮魚店がいくらもあり、スーパーの鮮魚売り場も

美味しい魚が沢山ありました。それが今では鮮魚店はなくなり、スーパーの

鮮魚売り場も生きた魚などいないみんないつ開いたのかわからない魚だらけと

なってしまいました。

 

角上はもちろんカキは生きたままの物をその場で開けてくれます。

 

こういう鮮魚店が寂れてしまうのは文化の衰退のように感じます。

秩父も魚屋がなくなり、急に高齢化や過疎化が目立ちだした感じです。

老舗のデパートとかスーパーはまだありますが、チェーン店でない

地元のスーパーが姿を消しだした時に町の魅力や住む価値も半減し

てしまったのです。

 

それなのに秩父にはお祭りは残っているという変な町になっています。

お祭りより鮮魚店がなくなる方が先というのがショックで何も成す術も無くと

いうのは多発する災害の増えた状況と似ています。


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