テレビでまた秩父を特集する番組がありました。
その名が秩父温泉という取り上げ方でとても違和感がありました。
それに紹介された旅館が一泊二万以上だったり、民宿なのに
12000円もしたりととても気安く泊まれない内容であり、ちょっと
古い町並みと自然をあてにして訪れるところではないような
高級温泉地のような印象と紹介される食事処とその料理など
まるでちぐはぐですごい田舎なのに旅館は高級という、日帰り
で泊まるところではないなあという印象を強くしてしまったテレビ
でした。
実は、私は庭の大きな杏の伐採をした後、体調を整えるダッシュを
して食事は久しぶりに訪れる昔からの市内のすし屋に出かけた後
この番組を見たのですが、その寿司屋の印象とか色々なくなって
しまったものを思い出していた時に見たので、余計じっくり秩父に泊り
掛けで来るだけの魅力を紹介するものになっていないことに一番の
タイトル秩父温泉とのミスマッチを感じたのです。
秩父旧市内にはたくさんの旅館がありました。
それらは甲州街道の裏街道として宿場町として栄えた歴史があり、
昭和中期から後期はレジャーブームと高度成長時代で団体客と
民宿の台頭があり、織物とセメントの町でそれぞれ秩父に訪れ
る人々は身近なレジャーを求める人やビジネス客やら夜をもてなす
それぞれの饗応施設などあったわけです。
その当時に今のような温泉が名乗られたならまた秩父の歩む道も
違ったものであったかもしれません。
ところが当時は、古くからのひなびた鉱泉宿と新しく団体客向けに
リニューアルされた鉄筋コンクリート造りの旅館と農家が始めた
民宿に温泉をアピールすることも風呂で勝負するということも
鉱泉宿という名前の呪縛から抜け切れずにいました。
ところが、法律が変わりバブルの勢いが落ち始めたころ新たな
日帰り温泉というブームと温泉掘削の技術の向上と法律の改正に
より加温されていても温泉と呼んでいいことになり、新たな温泉が
秩父でも開発されました。
それが年寄りがヘルスセンターで楽しむ文化と一体となって新たな
日帰り温泉でカラオケや旅芸人の演じる人情芝居を興じるという
独特の文化が残りました。
ですから、秩父の日帰り温泉施設は温泉じゃないところでもお休み
処の大広間と舞台を備えるというスタイルが標準です。
市内には昔ながらの銭湯が残りますが、色々なお風呂が楽しめる
スーパー銭湯のようなものはありません。
今回は全く紹介されませんでしたが、大きな野外音楽堂やCD録音にも
使われる音楽堂とかテニスコートの数とか色々なイベント利用や会議
変わったスポーツ大会や新たな使い方の可能な土地形状と都会との
アクセスなどまた資源として持っているポテンシャルは強く、それを
ただのB級食のグルメ地やデフレ商業ばかりを取り上げてみるのも
行かなくてもいいやという思いを強くするだけだと思います。
それとマッチしない高級値段の旅館群を今回取り上げたのはお祭り
前のひと宣伝ということなのでしょうが、最近のデフレ型ツアーでは
秩父夜祭のツアーは宿泊は甲府の温泉旅館だったり、新潟や
軽井沢といった安くて豪華さを感じさせる旅館とセットだったりします。
今残っているもののとりあえずの宣伝となるとこんな形になるのかと
いう何ともみっともないことになっていますが、実際町並みもどんどん
かすかすになり、古い町並みは見栄えが悪い空疎な外観になりはて
そこに何か希望はないのかと思ってしまいます。
例えば芝桜の丘ですが、夏と冬でもそこに立つように考えるとか
俳句の丘とか詩の丘とか次の一手がないのです。
アートを支援するとか芸術と文化の町を目指すとか市の目指すものが
ないので、ただ空疎化するのは止めようがありません。
今はまだ少し残っている熾火も消えないうちに次の一手が必要です。
羊山にしても観光用に羊がいますが、ただそれだけ。
これでは幼稚園児ぐらいしか楽しめません。
秩父銘仙がまだ普通に秩父にあるかのように秩父の温泉旅館がみんな
着飾ったりしてますが、もはや秩父に絹の文化などないのです。
誰も絹糸なんか紡いでないのにそれを宣伝しても誰が儲かるのでしょうか。
いっそ羊とアルパカを飼ってそこから毛をとり新たな地場産業にしたら
いいのではないかと思います。
暇な年寄りは沢山います。
羊の世話とアルパカの世話と市のマスコットにもなり、観光資源にも
なります。
ラムからメリノ、カシミアなど秩父でも山地でも育ちやすい種類を飼って
焼肉産業にも絡めて幅広い人の参加を求めれば幅広い職が根付くでしょう。
デザインも秩父ブランドとなる新しいものを確立して毎年コンベンションで
アルパカ祭りやメリノ祭りなどを開けばかつての秩父夜祭と秩父銘仙の
同じビジネスモデルの再現になります。
いくらでも手はあるのに行政は国や県の補助金を追うことばかりで
何もなさず、無駄なことに浪費して力を失うばかりです。
まともな寿司屋日本料理や割烹料理屋、市内の商人宿、洋服の仕立て屋
映画館、魚屋、仕出し屋など無くなった理由とその影響を考えると自然と
次になすべきことも勝ち残る術も見えてくるというものです。
その名が秩父温泉という取り上げ方でとても違和感がありました。
それに紹介された旅館が一泊二万以上だったり、民宿なのに
12000円もしたりととても気安く泊まれない内容であり、ちょっと
古い町並みと自然をあてにして訪れるところではないような
高級温泉地のような印象と紹介される食事処とその料理など
まるでちぐはぐですごい田舎なのに旅館は高級という、日帰り
で泊まるところではないなあという印象を強くしてしまったテレビ
でした。
実は、私は庭の大きな杏の伐採をした後、体調を整えるダッシュを
して食事は久しぶりに訪れる昔からの市内のすし屋に出かけた後
この番組を見たのですが、その寿司屋の印象とか色々なくなって
しまったものを思い出していた時に見たので、余計じっくり秩父に泊り
掛けで来るだけの魅力を紹介するものになっていないことに一番の
タイトル秩父温泉とのミスマッチを感じたのです。
秩父旧市内にはたくさんの旅館がありました。
それらは甲州街道の裏街道として宿場町として栄えた歴史があり、
昭和中期から後期はレジャーブームと高度成長時代で団体客と
民宿の台頭があり、織物とセメントの町でそれぞれ秩父に訪れ
る人々は身近なレジャーを求める人やビジネス客やら夜をもてなす
それぞれの饗応施設などあったわけです。
その当時に今のような温泉が名乗られたならまた秩父の歩む道も
違ったものであったかもしれません。
ところが当時は、古くからのひなびた鉱泉宿と新しく団体客向けに
リニューアルされた鉄筋コンクリート造りの旅館と農家が始めた
民宿に温泉をアピールすることも風呂で勝負するということも
鉱泉宿という名前の呪縛から抜け切れずにいました。
ところが、法律が変わりバブルの勢いが落ち始めたころ新たな
日帰り温泉というブームと温泉掘削の技術の向上と法律の改正に
より加温されていても温泉と呼んでいいことになり、新たな温泉が
秩父でも開発されました。
それが年寄りがヘルスセンターで楽しむ文化と一体となって新たな
日帰り温泉でカラオケや旅芸人の演じる人情芝居を興じるという
独特の文化が残りました。
ですから、秩父の日帰り温泉施設は温泉じゃないところでもお休み
処の大広間と舞台を備えるというスタイルが標準です。
市内には昔ながらの銭湯が残りますが、色々なお風呂が楽しめる
スーパー銭湯のようなものはありません。
今回は全く紹介されませんでしたが、大きな野外音楽堂やCD録音にも
使われる音楽堂とかテニスコートの数とか色々なイベント利用や会議
変わったスポーツ大会や新たな使い方の可能な土地形状と都会との
アクセスなどまた資源として持っているポテンシャルは強く、それを
ただのB級食のグルメ地やデフレ商業ばかりを取り上げてみるのも
行かなくてもいいやという思いを強くするだけだと思います。
それとマッチしない高級値段の旅館群を今回取り上げたのはお祭り
前のひと宣伝ということなのでしょうが、最近のデフレ型ツアーでは
秩父夜祭のツアーは宿泊は甲府の温泉旅館だったり、新潟や
軽井沢といった安くて豪華さを感じさせる旅館とセットだったりします。
今残っているもののとりあえずの宣伝となるとこんな形になるのかと
いう何ともみっともないことになっていますが、実際町並みもどんどん
かすかすになり、古い町並みは見栄えが悪い空疎な外観になりはて
そこに何か希望はないのかと思ってしまいます。
例えば芝桜の丘ですが、夏と冬でもそこに立つように考えるとか
俳句の丘とか詩の丘とか次の一手がないのです。
アートを支援するとか芸術と文化の町を目指すとか市の目指すものが
ないので、ただ空疎化するのは止めようがありません。
今はまだ少し残っている熾火も消えないうちに次の一手が必要です。
羊山にしても観光用に羊がいますが、ただそれだけ。
これでは幼稚園児ぐらいしか楽しめません。
秩父銘仙がまだ普通に秩父にあるかのように秩父の温泉旅館がみんな
着飾ったりしてますが、もはや秩父に絹の文化などないのです。
誰も絹糸なんか紡いでないのにそれを宣伝しても誰が儲かるのでしょうか。
いっそ羊とアルパカを飼ってそこから毛をとり新たな地場産業にしたら
いいのではないかと思います。
暇な年寄りは沢山います。
羊の世話とアルパカの世話と市のマスコットにもなり、観光資源にも
なります。
ラムからメリノ、カシミアなど秩父でも山地でも育ちやすい種類を飼って
焼肉産業にも絡めて幅広い人の参加を求めれば幅広い職が根付くでしょう。
デザインも秩父ブランドとなる新しいものを確立して毎年コンベンションで
アルパカ祭りやメリノ祭りなどを開けばかつての秩父夜祭と秩父銘仙の
同じビジネスモデルの再現になります。
いくらでも手はあるのに行政は国や県の補助金を追うことばかりで
何もなさず、無駄なことに浪費して力を失うばかりです。
まともな寿司屋日本料理や割烹料理屋、市内の商人宿、洋服の仕立て屋
映画館、魚屋、仕出し屋など無くなった理由とその影響を考えると自然と
次になすべきことも勝ち残る術も見えてくるというものです。