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King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『オブリビオン』鑑賞した

2013年06月13日 09時43分27秒 | 映画
雨の日の夜ということで映画を見に行きました。
上里ウニクスで『オブリビオン』を見ました。9時からの最終回です。

ハードディスクには録画した番組がたくさんありますが、やはりそれでも
映画館で見る映画は最高です。

それもSFというのはスターウォーズのようなチャンバラ的な何も考えないで
見られるものと違い、やはり現代文明を揶揄したり、哲学的であったり
宇宙人が攻めてくる中、地球人が一致団結して反撃するというナショナリズム
を描いていたりと受け取る側の取り方でもトンデモ物語で終わっているか
深いメッセージを感じるか分れるものです。

今回の『オブリビオン』はどんなものか。

TVのCFではたった一人惑星で任務をこなす主人公のもとにかつての恋人が
宇宙船でやってきたというよく訳の解らないものです。

そういう触れ込みなのに、始まりからしておかしいのです。

たった一人で惑星で任務をこなすということだったのに、最初に画面に出てくる
ジャックはベッドでパートナーと任務をこなす最高のチームだという説明なのです。

その任務もあと何日かで終了で、戦争に勝ったけど核汚染で住めなくなったので
タイタンに移住するため水を採集中でその管理をしてるというのです。

なんで管理しているかというとまだその敵が残っていて攻撃を仕掛けている
らしいので、無人の警備機がその対処をしており、その補修と修理をしている
という設定です。

その最初の設定でキーになるのはやはり記憶を消されているということと、
廃墟になる前の自分の記憶が消されたはずなのに
よみがえってくることです。

この核汚染で住めなくなってしまうという設定ですが、津波で原発がメルトダウンを
起こして現実に住めないところが出ている日本においてこれはSFでなく現実として
起きたことなので安閑と見られない部分もあります。

結局、明確な敵を倒すという正義の構図は見ていて単純明快でそれなりの
カタルシス効果もあるのですが、そう世の中簡単でないというのを知っている
大人としてはやはり食い足りない哲学的な命題と文明にまで食い込んでこそ
SFという気もします。

まあ、そんな大元で不満でも画面や最新のVFXや戦闘ポッドとの空中戦など
見どころはあります。

そして、アンドリューワイエスの絵クリスティーナの世界が示すものはなにか。

あの絵は本物なのでしょうか。

本物はニューヨーク近代美術館にあるのですが、その廃墟から掘り起こした
ものなのか。

この絵の主人公のように自宅へ不自由な身でも戻っていく
姿は、未来に向けた人類へのメッセージでしょうか。

『レ・ミゼラブル』見た

2013年02月01日 23時55分29秒 | 映画
熊谷にスキー板を取りに行った28日夜に見ました。

映画の『レ・ミゼラブル』です。

ご存知のようにずっと舞台で上演され続けているミュージカルの
映画版で、ヒュージャックマンがジャン・バルジャンのやつです。

この映画用に新曲が2曲作られたといいますがどれだかもとより舞台を
見ていないので知る由もありません。

ですが、上演時間が長いのですがそれも気にならずにじっくりと見入ってしまう
映画です。

アンハサウェイの娼婦に身をやつす流れとか映画ならではの演出で、舞台を
完全映画化という技を見せる手法の見事さを感じます。

アンハサウェイの体当たりともいえる演技とやたらと多いアップとは好き嫌いが
あり、意見の分かれるところだと思います。

しかし、あの大物がここまでやっているという感じが随所に現れ、コゼットの哀れさが
この映画の主題になったときにどれだけの人の心を鷲ずかみにし、血が繋がって
いなくても自己犠牲をして富も地位も自由も犠牲にするまたジャンバルジャンの
意思と現在に通じる貧富の差と格差社会を打ち破る人間の愛の力を高らかに
歌い上げています。

もちろんそこにそれでいいのかという疑問や時代的な背景や現代的覇権への
思いも働きますが、まずはその人間愛を堪能してみてからそれらを考えても
いいのではないでしょうか。

確かに昔そんなわけで人間愛から格差を打開して民衆が立ち上がり、革命を
なしてきたわけですが、今のテロと愛国無罪を叫んで日本の企業を襲う人々と
同じ話のようには見えませんよね。

いや同じことだと納得してもっと民主化して世界が良くなるとこの映画から
感じるのが主題でもないし、逆にそんな人々を思っていやな感情を思い出す
のも見方として正しくはないでしょう。

でも、自分たちはそうやって民主化を手に入れ豊かさと自由を手に入れてきたと
過去礼賛ですませていいものなのか。

逆に世界の人はどう見たのか、世界的に格差や貧困が問題に上がるときに
日本はデフレ克服をやっと前面に打ち出し豊かさを取り戻そうと動き出し
輝きと世界をリードする役に回れるのかどうか大変気になるところです。

『めがね』と般若心経

2013年01月23日 10時18分29秒 | 映画
テレビで『めがね』をやっていました。

『かもめ食堂』に続く姉妹映画のようなふれこみでしたが、
最初は違和感がふんだんな感じでした。

これがバブル絶頂の時に発表されたのなら意味もあったでしょうが
日本だけ先進国の中で仲間外れのようにずっとデフレが続く世で
たそがれる必要があるのかという疑問です。

もう十分にたそがれている日本にもっとたそがれろというのか。

しかし、映画の中ほどでドイツ語の詩が披露されると、あれ、
これはこういうことだったのかと全体像が見て取れるように
なった感じです。

世の中金をため込むことをやめ何も持たないという潔さがあれば
こんな縮こまった感じの国にはならないでしょう。

こんな考えをしていてふとまた思い当たることがありました。

今の100分DE名著は般若心経ですが、この内容が新鮮でそういう
ことだったのかというものです。

般若心経は昔から興味があり、色々な解説本を読んできましたが、
その内容もすべて知っていたつもりですが、このそもそもの構造は
初めて知ったようなのです。

釈迦がいて、観音菩薩がいて、シャリープトラがいるという最初の
構造から説明されることはまれです。

しかし、この短い経典のなかに舎利子という固有名詞が二回もでて
きて注目を集めます。

私もこのことを法事で会った菩提寺の住職に訊ねたのですが、この
100分DE名著の内容のように明確な答えではありませんでした。

ありきたりな信徒代表として我々仏教を学ぼうとする者すべての
代表として呼びかけてるんだとの解説でした。

私にはこの短い経典の鍵となるものがこの舎利子ではないかと
長年思い続けていました。

なぜ二回出てくるのか、その答えとして100分DE名著の観音菩薩と
釈迦と舎利子という構造を示したことでその疑問が解けた感じが
したのです。

めがねのドイツ語の詩も人生で背負い込み過ぎた荷を下ろすところで
そういうことだったのかと思えました。

もちろん映画の意味とかテーマとかというより、般若心経の構造が
解ったことでその意味するところが分かったように監督が撮りたかった
構造が解ったということです。

そして、日常においてこの構造がまた解った感じがした出来事も
最近ありました。

それはランナー同士理解しあえたこととか、スキーヤー同士で
同じ体験をして距離感が縮まった経験とかそんな諸々の構造と
出会いと人とのかかわりが問題と答えにつながってるということ
です。

結果が見えてもそれが全てではないし、答えが解っても学べたとは
限らないという構造もあるのですが、知るということと欲求は絶えず
あり、満たされることはありません。

持ち続けるということが大事なのでは。

荷物は下したとしても。

永遠の14歳『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』みた

2012年11月23日 23時26分49秒 | 映画
木曜の夜、仕事を終えてから熊谷のシネコンで
みました。

なんとこの映画館で一番の人出でした。

平日の最終回の終わりは11時になろうかという時間帯に
なぜこんな人出なのでしょうか。

この日はメンズデイということも関係したのでしょうか。

いつも行く、上里のシネコンより信号待ちとか渋滞とか
あり、来るのにも一苦労な感じでした。

さらにロビーは人があふれ、これもエヴァ効果かと思う
現象でした。なにしろ17日に公開して12月7日までしか
やってないし、この辺界隈ではここの映画館でしかやって
ないらしいのです。

もともとこの映画序、破、Qと来ているので今回が終わりか
と思われていました。しかし、なんとまだ続くらしい。
登場した使徒もテレビでは18使徒まで登場してたけど、
エヴァの方も今回13号機と09号機が出てくるなど新たな
お話になっているのです。

最初の序がテレビシリーズのなぞりだったのに対して、
今回は一気に話が飛躍してテレビシリーズで散々批判された
謎の積み残しや広げ放題の話も結局結末なしな状況に少し
結論が得られるのではないかと思われた映画版がさらに批判を
呼び、今度新となってさらに洗練された話になるのかと期待
された物も今回のQでやはりここまでかと思わせたのでは
ないでしょうか。

それは世の中が、世紀末の時に作られた緊迫感も今回は
それ以上に大震災を経験した日本人はつなみに原発事故と
いう科学万能と生活向上に大きく疑問を抱く状況を経験し、
死海文書とか人類補完計画とかの呪文も効きが悪いのです。

それに、何の説明もなく槍の一刺しで終わった破からなんの
説明もなく、いきなり戦いのシーンから展開して、何と何が
戦っているのか再構成しながら物語を追ううちこれはテーマ
は永遠の14歳ということなのだ。と思うようになります。

物語ではエヴァの呪縛などと言っていましたが、すっかり
姿を変える世間に対しても、世界情勢もなく、14歳は14歳で
子供のままなのです。

大震災の時に国民の間からこれはヤシマ作戦だと声が上がり
一気にまとまり感があったあの経験がある人は、物語の展開
としては、謎の答えより、さらなる希望と絆の物語を期待
したのではないでしょうか。

それに応えきれなかったのが、結局次にもう一作あるにしても
それは必要かという感じを与えたのは事実で、所詮14歳の話
だからとなってもはや大人の鑑賞には合わないような様相は
濃くなったと思います。

『黄金を抱いて翔べ』みた

2012年11月08日 09時34分24秒 | 映画
お店を閉めてから上里のシネコンにて
見てきました。

日経夕刊の映画評で星五つ(最高評価)を得た
日本映画です。

日本映画で星五つは珍しく、星五つを取るのは
都内の単館上映の芸術色の高いヨーロッパの巨匠
の映画と相場が決まっていました。

それをシネコンにかかる商業映画で星五つは非常に
珍しく、それも日本の映画ということで、それだけ
で見てみたいと思いました。

原作ははるか昔に読んだサスペンスで、今更映画に
する意味は何なのかと思いました。

それに、映画としての成り立ちと形として持つべきものが
欠けているので、星五つには当たらないというのが
私の感想です。

例えば『ノーカントリー』のように圧倒的な暴力の
世界でも現実の世界の側の代表者として保安官トミー
リージョーンズという存在があり、この映画を見るもの
としていたのに対して、暴力の側だけで描いてしまい
お化け屋敷のような映画にしてしまいました。

サスペンスとか非日常を味わいたいとかドキドキしたい
とかそんな人にはお勧めですが、見た後に色々感じたい
とか意味を考えてみる人には、がっかりな結果になる
でしょう。

『愛のむきだし』やりきれなかったかやりすぎたか

2012年10月12日 10時35分00秒 | 映画

NHKでしきりに園子温のドキュメンタリーをやっていたので、それをみて
どんな作品を出しているのか気になり、というより、そのドキュメントで紹介した
作品のカットが気になり、この『愛のむきだし』を見てみました。

主演の満島ひかりはNHKの満蒙開拓団のドラマにも出ていました。

この映画では、裏返った声の使い過ぎやコリント13章の暗唱場面が
印象的で、絶叫型の表現方法が好きな方にはたまらない物語なのでは
と思います。

でも、全体的にただ下品で本当に愛にスポットを当てたいのであれば
エロやグロでなく、誰でも受け入れやすい形で表現できるはずですし、
人間の尊厳とか崇高な意志の力とか信仰などについてもっと語って
ほしいところです。

日本の作品群がこんなみんな漫画チックな方法に行ってしまうのは
残念な感じです。

それになぜこんなだらだらと長く作らなければならないのかという
所も十分に抑制と制御ができていない完成度の低さを思わせます。

昔のアングラ映画などは潔い壊れ方とかエログロの使い方もパンチ
が効いていたのに、マンガ的な描き方に高校生の妄想に止まっている
感じすら受けます。

こいつは本当の愛というものを知っているのか、高校生が思い描いて
自慰行為する愛の姿を越えることができないのか、愛の勝利を語るに
しても敵がカルト教団ということだと宗教への理解も必要で、現実に
起きた事件など描きやすい環境があるだけに描く方向は限られている
という現実の前に発想の独自性も乏しく、カメラアングルなどがポルノ
現場が長い人の描き方という見え方がします。

デジタル化でどんな絵でも作り出せるだけに人間の持つ群像劇での
台詞の語りの力とかキャラクターが織りなすストリー展開により
映画のできることがこれからは求められている感じがします。

その一つがこんな漫画化のストーリーともいえるかもしれませんが、
実現性と信憑性という精神面に及ぼすことを考えれば簡単には肯定
できません。こういう映画に奇才とか使ってほしくない感じです。

『プロメテウス』観賞

2012年08月30日 23時28分10秒 | 映画
昨日業務終了後、上里のシネコンにて『プロメテウス』を
3Dで鑑賞。

何度かこのパターンでの利用をしているシネコンですが、
大丈夫かというほど今まではお客がいなかったので心配して
いました。

ところが、どうしたことか水曜でレディスディということ
でか、かなりの賑わいがありました。

この映画は人類の起源と大きく出たテーマと予告編を見て
見ることを決めていました。もちろんリドリースコットの
SFということも重要な点です。

ブレードランナーという映画にしろエイリアンにしろ繰り返し見て
その世界にのめりこみました。

夏はSFですよ。夏の思い出それも大スクリーンで見るスタウォーズであり、
エイリアンを新宿プラザで見たという夏休みの思い出があります。

エイリアンの宇宙で一人で立ち向かう女主人公に心情を重ねて
間一髪でエアシューターでエイリアンを宇宙の藻屑にした満足感を
感じるのでした。

そのエイリアンもシリーズ最後でもう地球にあと一歩に迫った
エイリアンを間一髪防いだものの、もうリプリーを主人公でつくる
には無理が生じてきていて、ついにエイリアン第一作以前の世界を
描くことになったのがこの映画ということです。

そんな前情報もないまま、人類の起源がこの夏明かされるという
予告編を信じて映画館に来たら、やはりエイリアン映画だったと
いう落ちでなんだかだまされたようなこれを待ってたんだというような
肯定と否定の気持ちが入り組む複雑な心境で映画館を後にすることに
なるのですが、私はこれはやはりSFファンであり、エイリアン好きで
あれば必ず見なければならない映画であり、非日常ということで
映画の世界観に浸り日常を脱するということでもやはり最適な映画
であると言えます。

ただ、3Dで見る必要も増して日本語吹き替え版はお勧めしません。

結構セット映像や室内とか出来合いのセットのシーンが多く、3Dで
スケール感を感じることもないのです。

それに主役の女性が不細工で吹き替えが台無しにしてくれるので、
要注意です。それに反して脇には有名俳優が碌に見せ場もなく
使い捨てにされるのも面白いところです。

様々なSF作品のオマージュにあふれ、ストーリーはまるでエイリアン
その物を焼きなおしたかのようなお約束なストーリーが展開して、
社長が創造主に会いに行くといきなりやらてしまうのもブレードランナーの
レプリカントが社長に老化を止める方法を聞きに行くのを思い出して
しまいます。

最初のシーンがずっと謎に感じていましたが、あれは自殺でなくて
あれが人類創造の仕方だったのかと思うと納得行くのですが、同じ
禿の巨人種でも訪れた星で出会った巨人種となんか種類が違うようで
やはりなんかしっくりこないところもあります。

色々と科学的に突っ込みどころはあるのですが、それはいちいち
指摘しないのが大人の対応で、これは楽しんだものがちなのです。

テレビで見た『インセブション』

2012年07月22日 01時49分26秒 | 映画
私は劇場でもこれは見ているのですが、今回テレビで
見てみて随分違って見えた部分もあり少々複雑です。

メイキング映像か何かでCGでなくスタジオにセットを
作ってあの町が巻き上がる映像も作ったということで
かなりのこだわりと入りこの夢というコンピューター
プログラムというか回帰演算のような物語の面白さと
構造を構築した目新しさ、さらに敵が出てきてアクション
となっている潜在意識との戦い、アイデアを抜き取る
ことから植えつけるという解りにくいものを映像にした
とにかく本当に映像にしたからこその面白さであり意義が
ヒシヒシと感じられる映画です。

それが、テレビで見るとニュアンスが違っていたり、あれ
あのシーンがないというとても気持ちの悪いつながりを
見せられたりとイヤーな感じも結構あったり、CGは極力
避けたというメイキングの話より、実際は作った映像
満載でこだわった実写やアクションやセットや美術映像も
テレビだと陳腐に映るのです。

映画館で見た日本のイメージってこんな変なものでリサーチ
とか文化理解もなっていないと違和感が募ったりもしたのが
テレビだとなんかいろいろ面白く感じるし、なにこれーと
おいおいという感じで見た新幹線の個室もああこれは夢の
世界ということで見ると妙に夢だとこういうのかなうんだあと
いう感じで見れたのです。

個室新幹線の座席の頭カバーにJRの刺繍なんてこれ本物でも
ないもので、これ日本のてっちゃんがみれば泣いて個室に
乗りたいと見ることだろうと思ってしまいます。

私も今回京都に個室で行ってみたいと思いました。

スパイ大作戦的要素とマトリックス的活劇と世界を飛び回る
007的ストーリー展開と物語の謎が主人公の心の病とそれに至る
傷も物語の成功もリンクになっていてとても成功困難で、それ
なのに失敗か成功かはらはらとさせそのくせすんなりきれいに
終わり過ぎ説明がなくなんとなくほっぽり出されたように
感じた映画館でのエンディングもテレビではこうすんなり
見えてしまうんだと変にすんなり簡単になっていることに
違和感を感じるのでした。

最後のコマが止まろうとするのかそのまままわり続けて
いたとるのか、これも映画館の帰りにああだこうだ
言い合いながら帰ったのが、テレビではすんなりと
すべて成功してめでたしめでたしであれはコマが今にも
傾いてしまいそうだし、でもそう見たらなんか陳腐にも
感じてしまうのです。

でも、テレビではメンバーが少しずつ挨拶したり、サイトウが
座席から携帯をいじったりと最初からめでたしめでたしの
雰囲気で、映画館の時のええどうなったのなんで教授が迎えに
来てるのという疑問と子供が普通に振り返りディカプリオと
じゃれつくシーンとやったやったというムードがあり、コマ
なんか気にならず終わりだったのです。

テレビで見た感じの方が正解で、夢を共有したらそれぞれの
潜在意識から収拾つかない物語になっちゃうだろうとつっこみ
をいれたり、最後のきれいなまとまりに文句もつけたりする
だけで、あの映画館でのライブ感からでるでどうなったのと
最後残る謎を話し合う余裕もなく、ああ終わりでけりの映画
になってしまっています。

でもやはりこのストーリーと世界をめぐる感じと自分の夢にも
こういうシーン出てくるんだよという感じと好きな映画だという
結論は揺るぎませんでした。

『ミッションインポッシブル4 ゴーストプロトコル』観た

2011年12月19日 12時51分36秒 | 映画
前回の映画鑑賞時の予告編からこれは楽しみにして
いました。

このシリーズは宙吊りや高層ビルでのアクションが
つきもので、変装や裏切りといつもながらのお話です。

これをもう絶対無理、絶対ありえない荒唐無稽な話と
拒絶するのもよし、すっかり楽しんでしまうのもありと
思います。

だいたい組織がIMFってのがふざけすぎではないのかと
思ってしまいます。

架空の組織ならもっとそれらしく偽装と創作をうまく
して欲しいものだとふと思いました。

この経済危機の状況でIMFがなくなってしまうというのを
映画で聞くのもなんかギクッとしてしまいます。

それにしてもこのスパイ大作戦の映画版では、いかにも
下請け的なスパイ活動で、指令を受けてテープが自動消滅
するというのがテレビでのひとつの名物シーンだったわけ
ですが、様々オマージュとおふざけが加わっています。

そもそも、最後の4人というのも世界を救っている人たち
のことを本当に組織もなく国家的裏づけもない正義と超人
的な人間の体力勝負で守られているのかとふと不安にも
なります。

様々なハイテク機器によるスパイ活動ですが、それがどれも
時々誤動作して最後は体力と土壇場の知力の勝負となり、
映画独特の追っかけやらとなるところが映画らしいところです。

ペンジーがエージェントで現場職員になっているにのハントが
びっくりするシーンがありますが、なんとなくぴんと来ま
せんでした。

うちに帰ってきてトップギアをみるとそのサイモンペグが
ゲストででていてびっくりです。

イギリスでは人気のコメディアンであり、脚本家だと
しりました。そんなことでこの映画も脇役の重要ポストを
得たのでしょう。

でも消滅してしまった組織なのにまた指令が来てという
この謎の組織はどうなっているのでしょう。そもそも、
組織の長が裏切るというのは毎回このシリーズでは繰り返す
テーマであり、設定としては交通局の職員という設定が
なぜビルを飛び回って世界中に行くという行動も無理がある
と思われます。

通常スパイは世界を飛び回る必然性のある職種の人が当然
偽装しており、裏の仕事があると簡単にわかってしまう
平凡すぎる外面は却って逆効果なのです。

さらに、前回で一線を退いているのを無理やり復帰させたもの
だから今回はいきなり、刑務所の中といういきなりの設定で
ロストのソーヤが出てきたもののあっけなく殺されてしまう
などものすごいスピード感です。

その勢いがあるからまあ無理無理な荒唐無稽さも薄れるので
しょう。

『百万円と苦虫女』観た

2011年11月23日 11時03分46秒 | 映画
BSでやっていたのを観ました。

何と言っても蒼井優ですね。

この大人とも少女とも言えない時の若い女の
旬を撮ったという記念的な映画だと感じます。

全体的に痛い感じとか少女趣味に満ちていて
最後のシーンなんかもどう観るかでまるで映画の
価値が違うでしょう。

私は、ラストの来るわけ無いかというつぶやきに
自分の成長をにじませたところが秀逸だと
思いました。

同じカメラの移動と階段の上と下と同時系列と
思える視点移動なのに一方からはお互いが
見えないというのは人生を俯瞰しているかの
ようであり、最後のつぶやきでこれは彼女の
期待映像なのかと思わせるところが受け取る側
により見方が変わるという映画ならではの
手法です。

現実的に観れば、罰金刑の刑事罰とかいじめを
受けた弟の知略のなさとか世の中の切実な動き
とはかけ離れたものであり、もっと世の中では
色々な働きがけがあり、勝手に流れるなんて
優雅な事は出来ないのです。

誰もが全国をあても無くその場その場で少し働いて
さすらって行きたいという願望はあるのです。

強さが無いから出来ないのか、弱いから流れて
行くのか、そこには損だとか不効率とか成長とか
レベルアップとか生きる上での要素があるし、
何かを拒否した結果の流れ行く人生であり、
人々の愛の拒絶の姿のように感じます。

自分を探したくないからやっているというのが
そのままの表現かもしれません。

そんな痛々しい姿の若い女を愛さずにいられない
男たちと出会っては別れそんな人生を人は望んで
いるのかもしれません。

でもこんな映画が出来てしまうなんて現代日本人
の精神年齢が幼くなっているようにも感じます。

『コンテイジョン』観た

2011年11月22日 09時25分34秒 | 映画
昨日のレイトショーでみてきました。

題名のcontagionという名も良く覚えていないで、
contentionかコンテジションだと思っていました。

とにかく名優が揃って監督も有名でかなり期待して
でかけました。

日経夕刊の映画評も星四つでした。

私の評価は大甘で星三つです。

つまりませんでした。

同じような映画でダスティンホフマンの出ていた
『アウトブレイク』があったわけですが、その時は
政府の関与とか軍事的背景とかテーマがあった
わけです。

今回今日的状況では、
強毒化したウィルスが発生しどんな被害を及ぼすか
はいつ現実化してもおかしく無い状況で、それを
映像化して見せたわけです。

毎年、鳥インフルエンザや新型インフルエンザの
脅威が言われる中、これからその季節と合わせて
の公開なのに、全くお客も入っていませんでした。

題名をカタカナで英語にした意味は何なので
しょう。

名優が沢山出ているんだけど、一つ一つのドラマ
が完結してなくて、ヒーローも無く、核となる
ストーリーも問題と対処がなく、解決という安心
や達成感がないというのも物語が何を描き、何を
主張したいのかぼやけています。

出てくる主役級の男性がなぜかみんなかっこ悪い
というのも特長です。

みんなデレっと太った感じで、アメリカ映画に
ありがちな正義や職責という上ではどこまでも
真っ直ぐで献身的な高潔さが描かれるはずが、人間的な
ズルが描かれます。

究極な場面では、食料やワクチンは絶対数が足りず
それは略奪やばかげた行動に結実し、ただ解決を
遅くするというおろかさだけが露呈するのです。

日本は同じような立場にたたされても略奪や暴徒化
する事もなく淡々とみんなが耐えていたと世界から
絶賛されましたが、それが果たして良かったのか
現場の混乱以上に未だに対処の遅れている政府の
対応を見れば賢い行動が良い結果を生むのかという
のも考えてしまいます。

この映画で考えさせられるのは、いつもヒーロー
いつも正義に翳りが出てきたということは、トップ
に立つアメリカの変化でしょう。

LOST前回までは

2011年10月20日 10時46分59秒 | 映画
LOST好きです。

LOST前回までは…
で始まるこのドラマ。テレビでやったのはかなり前で、つづきをずっと
やりませんでした。

ついに我慢ならずGEOにて借りてしまいました。



このドラマが始まった当時、このハチャメチャなストーリーをどう
最後収拾するのかかなりネットでも議論がありました。

それだけ多くの謎をちりばめどう展開し、この後どうなるのか
誰もが注目していました。

ネットでも第一話無料配布という今では当たり前になった
手法が最初に投入されたシリーズだったと思われます。

24がヒットして海外ドラマブームが起きましたが、その後継と
製作者の名前が浸透した作品でもありました。

久しぶりに見たシリーズは、今までの謎がどんどんと明かされ
説明されまたドンドンと次の展開へと物語が終末に向け加速する
一番面白いシーズンだと言えます。

黒い煙の謎とホッキョクグマ、ダーマインダストリー、アザーズ、
と複雑な関係と島の秘密がどんどん説明され物語が一気に進んだ
感じがしますが、いささか説明臭い無理無理の修復も結局なにも
進んでなかったんだという結論も作品の持つテーマもなんだかもう
説明したくないというところまでやって最後ほっぽらかしたという
感じもします。

謎も謎だからいい事もあるし、最後観客にゆだねると言う昔古来の
手法もあるわけです。

当時、ネットでは謎について最後は夢落ちだろうとか宇宙人説など
宇宙意識だとか間人格とか色々ありましたが、今では島の謎
より、ジェイソンという人間像に実体化しただけに人の争いに
見えてきてしまいました。

で、結局何の為なのかは依然解らず、新キャラクターを出さないと
物語が持たなくなって、

真田博之が出てくるのですが、これが
思ったほどに存在感がなく、画面の中の見栄えも実にしょぼい為
あまり重要キャラにならずに退場されてしまいます。

サイードとかソーヤーは格好いいですからね。

当初、そんな重要キャラでもなかった彼らが登場場面をふやし
物語に積極的に絡んでくるようになったのも人気の上昇と
比例してと言うのはこのドラマ上でも有名な話です。

それに比べて、真田のショボ過ぎには同じ日本人として、ジン
程の人気もないのかとがっかりしてしまいました。

画面で見ていても実物以上に小さく見えるし、サムライ感も
乏しいのです。

スターのオーラと言うものが感じられず、国際色豊な人物模様
の中、今の日本と同様影の薄い存在と言うのが皮肉のようでした。

『ハリーポッターと死の秘宝part2』鑑賞

2011年09月02日 11時05分12秒 | 映画
ついに十年越しのシリーズが完結したと喜ばしい事と
随分ほめた評価を載せた新聞の映画評を読んで、それなら
見てみようかと思い立ったのは随分前の事でした。

映画の日の昨日、そろそろ夏休み映画も入れ替わりの時期で
見るなら最後のチャンスかと思い夜の最終回に出掛ける事にしました。

ただ、ひとつ問題がありました。

このpart1は見ていないのです。



そもそもその前の映画もテレビでやっとこの間見たのでした。


その頃正月映画にハリーポッターをやっていてももはや内容的に
付いていけないと脱落していたのです。

不死鳥の騎士団までは劇場で見ています。


それでも、その次はテレビで見てこの記事をみて10年間よくやったという
評を見たらそんなにいいのかとなって私も途中になっているこのシリーズに
けりを付けたい気が起きたのです。

しかし、テレビで続々と映画公開にさきがけ過去の作品を放送しましたが、
さすがにpart1はテレビではやらず、これはDVDを借りる事にしました。

映画館も気を効かせてリバイバル放送すれば、いくらか入りが違ったかも
と思うのは私だけでしょうか。

しかし、借りたDVDは盛り上がりにかけ、延々と暗い感じの物語がつづきます。

この前の謎のプリンスから暗い物語で盛り上がりもなく、見るべき映像も
ない物になっていました。

ただ冷静に振り返って見れば、この10年に登るシリーズも友情と冒険という
テーマを人生の目的とか恋愛とかにどうつなげて行くかという難しい問題を
はらんでいて、そもそも最初から男二人と女の子という主人公のスタイルは
問題をはらんでいたのです。

選ばれたものと悪の帝王との対決というテーマもこのシリーズをみていく
上でその必然を感じないというそもそもの破綻を持っているのもいただけません。

悪の帝王が復活して、それがあっという間に魔法界を席巻してしまい取り込まれる
と言う大人の世界のもろさも気になります。

しかし、世の歴史として、民主化された世界が訪れるといろんな意見が出て
まとまりを欠き、醜い勢力争いに終始し、いつしかそれにつかれた人々が
強力な権力による統一を望むようになり倒したはずの強権を請い求めるように
なるというストーリー受け入れが人々にできているからでしょう。

そして、その強権も真の民主化を知り、自由と独立を守る人々の蜂起により
破られるという歴史の繰り返しを誰もが予測してそうなる事を望んでいる
と言う予定調和の話です。

つまりは、結末が見えているようなものですが、今回は魔法の物語ですから
それなりの道具仕立てが必要です。
それが、ニワトコの杖、よみがえりの石、透明マントの死の秘宝ですが、
よみがえりの石の果たす役割というのがいまひとつ不鮮明に思えました。

校長先生に兄弟がいたり、その兄弟間に何があったのか、なぜそれでも
ハリーを助けたのかとか、ドラコが助けたり助けられたりという永遠の
ライバル的な関係とか後から付け足したので苦しいものがシリーズとして
あります。

それでも、映像的にも面白さも一番あるかもしれません。

一話見るごとに深さが加わるとか物語の世界観が広がるという感じで
ないのが残念ですが、ゴブリンの映像化とか変身薬の役者の演技とか
映像化としては成功しているところに安心感というか見るべきものを
発見できます。

先ほどホームページを確認したら、Part1も直前には劇場リバイバル上映が
あったらしいです。

まあそうでしょうね。

私が見るのが遅すぎただけです。

まあPart1を見なくても楽しめるのであわててDVDを借りなくても平気です。

ただ、謎のプリンスは見てないとダンブルドアとスネイプの関係とか
重要なので、忘れている人はこちらの方をDVDで復習してから見た方が
いいでしょう。

でもこのシリーズを見てきた人はこれを見れば、常にスネイプの最後の
どんでん返しを見てきているので結末は予想できてしまいます。

日本のドラマなどではこういう血の物語の場合、もっと複雑な人のつながり
と生誕の秘密というのがあるのですが、その辺りはあっさりと解り易い
人間関係です。

実際の人間ドラマの方がもっとどろどろしていたり、金銭では解決できない
意地とかこころとか恨みを消化させた人の美しさとか描かれて当然な
ファクターが見事に抜けているのも面白いところです。

嵐のように激しく降り続ける雨の夜に私も10年に渡る物語に決着を付けました。

『パイレーツオブカリビアン命の泉』鑑賞

2011年06月03日 10時14分14秒 | 映画
毎夜の雨で走りに行くのを中止して映画に行きました。

一応珈琲屋は年中無休ですので、閉店後息抜きで上里ウニクスまで
行きました。

そんな気になりますよね。

あのお昼のニュース。

てっきり総選挙だと思ったら、なんと内閣不信任案否決。

造反を収めて権力の座に居座るという離れ業。どうなってるのか。

結局、震災以来何か宙ぶらりんにまま、何か遊ぶ気にも遠出も
する気になれずいましたが、店を7時半に閉め、出掛けて見ました。

ただ、あまり見たい映画もなかったのです。

大統領のスピーチは映画評でも高い評価でしたが、なんか感動もの
を味わう気にもなれず、既にウニクスでは終演となっており、さて
と見渡せば『ブラックスワン』くらいしかありません。

『パイ…』は3Dなら映画館に出掛けて見る価値があるかと、それに
しました。

こんな娯楽映画でも過去の歴史観をもって見るか見ないかでかなり
評価も感じるものも変わってきます。

例えばこの映画は、永遠の命をテーマとしてそれぞれがそれを
追い求めると言う宝探しの究極が命であるというところが、ひとつの
答えの様になっていて海賊が裏切りを繰り返しさて誰が宝にたどり
着けるのかというお話です。

そして、その命も最後に裏切って見せるというところがミソで
今までのシリーズでは、命より愛をとるのが人みたいなことに
なっていました。

それをディズニー映画だから強く訴えたいのか、権力に寄り添う
悪とその潔さを訴えたいのか深く見ると色々な見方が出来ます。

今回、イギリス帝国にスペインと言う敵がまた現れ、彼らは
その永遠の命をまた否定するところに面白さがあります。

でも、歴史としてイギリスとスペインが戦争する経緯とか
なぜイギリスが異教徒と呼ばれるのかとかしっていないと
いけないのではないでしょうか。

私はこの間のウィリアム王子の結婚式に伴い英国王家映画を
特集していたのを見て、さらにブーリン家の姉妹をみていた
ので、この顛末を血の物語のように感じ、海賊を下等の輩と
扱う英国海軍もその後海外で各地に植民地を開き、奴隷を
送り込み、イスラエルを支援して現在を招いた事を思えば、
永遠の命だ愛だと言う騒ぎもバカされる側にはいたくないと
感じるだけでした。

そんな事をいうと身も蓋もない事になってしまいますので、
映画について感想を述べると『アバター』以来の3Dでしたが、
前回より、やたら画面が狭く感じました。

これは3Dでなく見た方がスケールは大きく感じるかも。

とにかく剣が飛び出したりするところはかなり飛び出て感じたり、
それなりの効果はあるものの、もうそんなものに驚かなくなって
しまった人には、絵は見づらく感じるだけかもしれません。

特に動きのある絵は、良く状況が解らないだけでなく、結局
ピントが合っているのは真ん中の人物だけという状況が良くあり、
大スクリーンもしっかりと見えるのは狭い範囲だけと言う無駄の
多い絵になっている事が多くスケール感がそがれます。

それでも歴史的には、色々考えることが出来るし、聖杯など
宗教的なものを意味するものが導入され、それと権力とか
色々暗示するものは増え合わせて考えて見るのはいいかも
しれません。

ディズニーアニメでは重要キャラの人魚を怖い存在にして
しまったのには、賛否があるのではと思います。

ジャックスパローというキャラはアイバーソンを思い
出させる好きな存在です。

このシリーズが続いてほしいと思う一人です。

『パピオン』に映画とは何か教えられる

2010年11月10日 09時19分59秒 | 映画
今週のNHKの映画は、スティーブマックイーン特集です。

かつて何度もテレビでもやられているので、特別注視し
ていませんでした。

ストーリーもだいたい思い出せます。

しかし、昨日の『パピオン』は久々であり、なんか
そそられました。

そして夜走っているときにパピオンのストーリーを
思い出していると、ダスティンフォフマンの名が
浮かんだのですが、自分ですぐ思い出しておきながら
スティーブマックイーンとダスティンフォフマンが
競演というのが妙な組み合わせに感じました。

記憶では、男の友情がベースにあった様に思います。

私にとってダスティンフォフマンの印象は、真夜中
のカーボーイであり、ラッツォのしゃべり方です。

ラッツォがマックイーンに絡むとどうなるのか。

ストーリーは断崖の絶壁と青い海のシーンが印象に
残っています。

椰子の実と麻袋で逃げるけど彼一人だけでラッツォは
別行動ででも友情は印象に残っているという記憶が
あります。

ストーリーを思い出していると、死体にすり代わって
でるのか、海がめにつかまって逃げるのかよく解ら
なくなり、他のストーリーとごっちゃになってきま
した。

そうなるとやはり見てみたくなりライブでみて
しまいました。

そして、それは衝撃の映像でした。

ギロチンで首が落ちてきたり、懲罰拘束で犬食いを
させられたり、らい病患者の島の人に助けられたり、
とてもお茶の間にふさわしくない映像であり、こんな
ものよくNHKが放送したなというものですが、当時は
エロやグロの映像なんてそんなめずらしくなく、
テレビてストリップ映像などもやっていたのです。

それだけ世の中がお上品になり、豊になった分
汚い物に触れずに済ませられるようになって来た
のでしょう。

その結果、草食系などという言葉も出てきたのでは
と考えます。

そんな文化論的な事も考えつつ、ストーリーを
見るのですが、初見のようなこんなストーリーだった
んだという連続です。

そして受けるイメージも強く、自由のために戦い、
挑戦しなければ手に入らないという強いメッセージ
を感じます。

やはりベースにある本当に非人道的な刑務所を
体験した原作や迫害を受けた脚本家など世に伝えよう
訴えようとした人の本物の心が通じるからでしょう。

映像的にはCGのない時代にこれだけの迫力画面が
できるという本物の持つ力が心を打つのだと思います。

最後のシーンでは、麻袋を支えるダイバーの姿など
が見えてしまうのですが、それでも映画のすばらしさ
がそんなミスもほほえましく感じさせてくれます。