懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

ボリショイバレエ

2008-11-30 14:25:41 | Weblog
今回のグリゴローヴィチ改訂新版「白鳥の湖」の内容について。

ジャパンアーツのHPのブログ内、ダンサー紹介の項で、ジークフリート王子役のアンドレイ・ウヴァーロフの解説、解釈が載っていた。

これで、やっと作品のいわんとすることがわかった。

(ありがとう!JAブログ、インタビュアーさん!こんな貴重なものを掲載してくれて!!!

バレエ以外の芸術にも言えるが、作品の真意を解ってみるのと、見てもその後も知らずに終わるのとで、芸術に触れる意味が全然違ってくる。)

王子、つまり青年はラストシーンで、恋した女性で青年の理想の体現であるところの、オデット姫を失う。彼女は青年の意に反し、悪魔との戦いで、死んでしまう。

救いたかった女性を、彼は救えない!状況と、自分への絶望感、喪失感が彼を襲う。

そして青年は大人になる。そういう普遍的な真理を描いた作品なのだった。

そして。

最後に、青年は、「現実を受け入れる」・・・。

それが、ボリショイの貴公子・ウヴァーロフのこの役への解釈。

なんという「苦い成熟」!

今まで解ってなかった!この作品は、哲学的で、素晴らしい芸術作品なのだった。

ただ「最後はすべて夢」という話なのかと、すっかり誤解していた。
(過去に、この版について、嘘つきの解説を書いたバカヤローに怒。
一部の日本のバレエマスコミのいい加減さには、きょうはさすがに、本当に怒った。
お金払ってみる私ら観客を、愚弄してる。尚、海外でバレエ見てる友人は、この解釈の話を知ってたのだそうだ。海外でどっかで読んだみたい。日本のバレエマスコミの人も、ちゃんと勉強してほしい。私みたいに、日本語文で見る観客には、一部のマスコミの文はイタい。)

今、バレエシーンで、これほど確たる内容のある、堅牢な芸術世界を示す舞台は、稀有となってしまった。

ウヴァーロフの深い解釈。その芸術的知性に、ただただ感動した。

(厳密に言えば、グリゴローヴィチ×ウヴァーロフ、怪物と天才による、古典の様式を持った、前衛芸術のような表現の世界だった。)

日本のバレエの観客は、こういう表現に慣れていないので、広範なお客様に、その真意が届くかは、別としても。
観客を育てることも大事。

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