仕分け第二弾とか言ってますなあ、派手に目立ちますなあレンホーさん。
議員の仕事も官僚も本来やってあたりまえ、縁の下の力持ち的存在なんだが
成果を競ってるように見えるのがサミシイ。
世界の警察なんて自分で言ってるアメリカ。
問題の沖縄の米軍海兵隊基地は戦争有事の際に最前線で活躍してくれるそうだから、
薬でいえば抗がん剤であり特効薬のステロイドである。
ということはだ、使いすぎると他が傷み弊害が必ず表れるということで、テロの
反撃はしかり、当然の成り行きとなる。復興支援さえ金儲け、NGOもコネ次第。
悪循環を繰り返し局地的戦闘が止むことはないので米軍は常に活動中である。
そして各地に平和は戻っていない。つまり特効薬は効いていないのである。
劇薬を当てにしても健康を望むことはできないということだ。
なんてことを普段はもう考えない、考える余地などなく戦争反対軍隊いらん
主義だから。鉄条網にリボンつけてくる派だから。
アメリカは癌だと思っている。ケーサツじゃなくて癌細胞。
福岡伸一の生化学の本によればガン細胞にだって一理あるわけで、アメリカ人の
コラムニストがエラそうに日本の総理大臣をコケするのもしかたがない。
言いたいヤツの口を封じることはできない。だが、耳を貸す必要もない。
リボンつける派、歌って座り込む派なのに、こんなこと考えてるのはやっぱり
劇薬使ってる日常があり、そこに疑問を持ち続けているゆえの連想である。
差し迫った現実があってこその思考なのである。
一カ所を治そうとしても全体の免疫力を高めねば逆効果だとしみじみわかる。
血は止まっても足腰、からだ全体を動かす力もなくなってしまうのである。
抵抗しているのであるなあ、からだ全体が民族運動化しているのである。
薬を選んでいる医者に言わせれば「仕方が無い」こと、しかし当事者にとっては
死活問題である。従っていれば寿命を縮めるやもしれぬ。
アメリカを相手に我が国はいまだ打つ手がない。戦争は終わったはずだが、
いまやっているのは何なのだ。防衛というが、何と闘っているのだ。
求めているのは何なのだ、という話は癌には通じないのであるが、じわっと
効く薬はかならずやある。平和を望まない者よりも渇望する者のほうが人口が
圧倒的に多いのだから。
聖徳太子の人間像は間違って伝えられていて今の政治家は見向きもしないが、
その奥深い中庸の思想を学べば、友愛なんぞ紙吹雪みたいだと気づくだろうに。
私を捨てずして政治(まつりごと)を行えば偏り、出口は塞がる。
ガラガラポンの時代、戦国時代と名付けられた時代区分があったが似てきた。
足利氏室町幕府が朝廷を支えきれず諸国の大名たちに頼ったあげく侮られ、
滅びへの道を辿っていく端緒にあったのは、私情そのものであった。
「私」は国を滅ぼし、大義を偽ることとなる。
それをバカ者が政局なんぞと言っている脇で、自暴自棄の中高年が線路へ飛び込む。
悪人跳梁跋扈いと易しだ。
時代はめぐる、愚かであるなあ、人間。
だが、死んではならない。
私を滅して私を生きるすべはあるのだから。
追記:朝日新聞20日付け記事。
大江健三郎の『定義集』タイトルは「強者に有利なあいまいな言葉」
明らかな言葉が抵抗の力、とあった。
最後の5行、大江氏にしては珍しく明解平易な言葉で締められていた。
戦後最大の正念場、確かにそうだ、そうなのだが、と思うわたしは
あきらめてはいないが、すでに違う方角を見ている。
それが独りよがりな逃避にならぬように注意せねばならない。
議員の仕事も官僚も本来やってあたりまえ、縁の下の力持ち的存在なんだが
成果を競ってるように見えるのがサミシイ。
世界の警察なんて自分で言ってるアメリカ。
問題の沖縄の米軍海兵隊基地は戦争有事の際に最前線で活躍してくれるそうだから、
薬でいえば抗がん剤であり特効薬のステロイドである。
ということはだ、使いすぎると他が傷み弊害が必ず表れるということで、テロの
反撃はしかり、当然の成り行きとなる。復興支援さえ金儲け、NGOもコネ次第。
悪循環を繰り返し局地的戦闘が止むことはないので米軍は常に活動中である。
そして各地に平和は戻っていない。つまり特効薬は効いていないのである。
劇薬を当てにしても健康を望むことはできないということだ。
なんてことを普段はもう考えない、考える余地などなく戦争反対軍隊いらん
主義だから。鉄条網にリボンつけてくる派だから。
アメリカは癌だと思っている。ケーサツじゃなくて癌細胞。
福岡伸一の生化学の本によればガン細胞にだって一理あるわけで、アメリカ人の
コラムニストがエラそうに日本の総理大臣をコケするのもしかたがない。
言いたいヤツの口を封じることはできない。だが、耳を貸す必要もない。
リボンつける派、歌って座り込む派なのに、こんなこと考えてるのはやっぱり
劇薬使ってる日常があり、そこに疑問を持ち続けているゆえの連想である。
差し迫った現実があってこその思考なのである。
一カ所を治そうとしても全体の免疫力を高めねば逆効果だとしみじみわかる。
血は止まっても足腰、からだ全体を動かす力もなくなってしまうのである。
抵抗しているのであるなあ、からだ全体が民族運動化しているのである。
薬を選んでいる医者に言わせれば「仕方が無い」こと、しかし当事者にとっては
死活問題である。従っていれば寿命を縮めるやもしれぬ。
アメリカを相手に我が国はいまだ打つ手がない。戦争は終わったはずだが、
いまやっているのは何なのだ。防衛というが、何と闘っているのだ。
求めているのは何なのだ、という話は癌には通じないのであるが、じわっと
効く薬はかならずやある。平和を望まない者よりも渇望する者のほうが人口が
圧倒的に多いのだから。
聖徳太子の人間像は間違って伝えられていて今の政治家は見向きもしないが、
その奥深い中庸の思想を学べば、友愛なんぞ紙吹雪みたいだと気づくだろうに。
私を捨てずして政治(まつりごと)を行えば偏り、出口は塞がる。
ガラガラポンの時代、戦国時代と名付けられた時代区分があったが似てきた。
足利氏室町幕府が朝廷を支えきれず諸国の大名たちに頼ったあげく侮られ、
滅びへの道を辿っていく端緒にあったのは、私情そのものであった。
「私」は国を滅ぼし、大義を偽ることとなる。
それをバカ者が政局なんぞと言っている脇で、自暴自棄の中高年が線路へ飛び込む。
悪人跳梁跋扈いと易しだ。
時代はめぐる、愚かであるなあ、人間。
だが、死んではならない。
私を滅して私を生きるすべはあるのだから。
追記:朝日新聞20日付け記事。
大江健三郎の『定義集』タイトルは「強者に有利なあいまいな言葉」
明らかな言葉が抵抗の力、とあった。
最後の5行、大江氏にしては珍しく明解平易な言葉で締められていた。
戦後最大の正念場、確かにそうだ、そうなのだが、と思うわたしは
あきらめてはいないが、すでに違う方角を見ている。
それが独りよがりな逃避にならぬように注意せねばならない。