想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

早春3 雪みちと写真

2010-03-19 14:13:13 | Weblog
東京からの帰り道、天気予報がめずらしく当たった。
宝くじはとんと当たらない今日このごろ(昔も今もハズレなり)である。
こうぴったりと、「山沿いは雪になるでしょう」が当たると、
油断していただけにちょっとドキドキしたのであった。
もう今年の雪も終わりだ、終わりだと口々に言いながら、降っても粉雪
舞うくらいだ、と言い合っていたりするこの地元の人も驚いたかもしれん。
水っぽい雪でみぞれよりすこし固いので積もりそうであった。
気温は0度、少しずつ下がっていきそうで零下1度くらいにはなろうか。



車のエンジン凍結が気になるので夜更けに外へでてみた。
おおおっ、樹氷っぽくなって美しいではないか! と即カメラを取りに
戻った。今撮らないと朝になれば消えてしまうのであるからね。
見慣れていても撮りたいのである。
カメラ小僧ならぬカメラおばさん、うふふふふ。
どうしてかなあ、自分で見る、多少の周囲の人が見てくれる、保存して
後で懐かしむ、と撮る理由を並べるがどれも当てはまらない。

絵描きが書く、物書きが書く、見たものを描いたり書いたりと同じで
撮るというのも理由などない気がする人間の感性の延長にあるのでは
ないだろうか。
そこに便利なカメラやPCがあるのだから使ってしまうということだ。
わたしはケータイも画素数の高いカメラ付をこだわって選んだりしたが
ほとんど使っていない。
もっぱら持ち歩くのはデジタル一眼レフカメラかコンパクトカメラだ。

過去に撮ったものを眺めていると、記憶は蘇り物語もついでに立ち上がる。
写真は記憶の箱を開ける鍵のような、そんなものかもしれない。
撮っていなかったならば思い出すこともなく、今をすごすだけだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本日もごきげん、難しいは楽... | トップ | つづき、雪は消え春の陽 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。